戦没学徒の遺書遺稿を集めた「きけ わだつみのこえ」に掲載された元京大生木村久夫が、B級戦犯として処刑される直前に書いた「もう1通の遺書」と「わだつみ」に掲載された遺稿のうち削除された部分を、今日の東京新聞が全文を掲載。これは、保存しておきたい。
— Shoko Egawa (@amneris84) 2014, 4月 29
戦没学徒の木村久夫氏(元陸軍上等兵、シンガポールの戦犯裁判で死刑とされた)の遺書全文が掲載された、今日の東京新聞は、買う価値があると思ふ。
— Shoko Egawa (@amneris84) 2014, 4月 29
東京新聞
「わだつみ」に別の遺書 恩師編集、今の形に
2014年4月29日 朝刊
戦没学徒の遺書や遺稿を集め、戦後を代表するロングセラーとなっている「きけ わだつみのこえ」(岩波文庫)の中でも特に感動的な内容で知られる木村久夫(一九一八~四六年)の遺書が、もう一通存在することが本紙の調べで分かった。「わだつみ」ではすべて獄中で愛読した哲学書の余白に書かれたものとされていたが、実際は二つの遺書を合わせて編集してあり、辞世の歌も今回見つかった遺書にあった。
「もう一通の遺書」は手製の原稿用紙十一枚に書かれており、遺族が保管していた。父親宛てで、末尾に「処刑半時間前擱筆(かくひつ)す(筆を置く)」とあった。
この遺書で木村は、先立つ不孝をわび、故郷や旧制高校時代を過ごした高知の思い出を語るとともに、死刑を宣告されてから哲学者で京都帝国大(現京都大)教授だった田辺元の「哲学通論」を手にし、感激して読んだことをつづった。また、戦後の日本に自分がいない無念さを吐露。最後に別れの挨拶(あいさつ)をし、辞世の歌二首を残した。
木村の遺書は、旧制高知高校時代の恩師・塩尻公明(一九〇一~六九年)が四八年に「新潮」誌に発表した「或(あ)る遺書について」で抜粋が紹介され、初めて公になった。「凡(すべ)てこの(「哲学通論」の)書きこみの中から引いてきた」とされ、「わだつみ」でも同様に記されたが、いずれも二つの遺書を編集したものだった。
「わだつみ」の後半四分の一は父宛ての遺書の内容だった。二つの遺書を精査したところ、「哲学通論」の遺書で陸軍を批判した箇所などが削除されたり、いずれの遺書にもない言葉が加筆されたりしていたことも分かった。「辞世」の歌二首のうち最後の一首も違うものになっていた。
大阪府吹田市出身の木村は京都帝大に入学後、召集され、陸軍上等兵としてインド洋・カーニコバル島に駐屯。民政部に配属され通訳などをしていたが、スパイ容疑で住民を取り調べた際、拷問して死なせたとして、B級戦犯に問われた。取り調べは軍の参謀らの命令に従ったもので、木村は無実を訴えたが、シンガポールの戦犯裁判で死刑とされ、四六年五月、執行された。二十八歳だった。
木村は判決後、シンガポール・チャンギ刑務所の獄中で同じく戦犯に問われた元上官から「哲学通論」を入手。三たび熟読するとともに、余白に遺書を書きつづった。執行間際には今回見つかった遺書を書き、両方が戦友の手で遺族のもとに届けられたとみられる。
◆衝撃、改訂を検討したい
日本戦没学生記念会(わだつみ会)の高橋武智理事長の話 もう一つ遺書があったことは初めて知った。「きけ わだつみのこえ」の編集上、頼りにしていた塩尻公明の「或る遺書について」とも違いがあると知り、二重に衝撃を受けている。今後、遺書が公になれば、ご遺族の意見も伺いながら改訂を検討したい。
<「きけ わだつみのこえ」> 東京大協同組合出版部が1947(昭和22)年に出版した「はるかなる山河に-東大戦没学生の手記」を全国の学徒に広げ、49年に刊行された。82年に岩波文庫に入り、改訂を加えた95年の新版は現在もロングセラーを続けている。74人の遺書・遺稿を収録。木村久夫の遺書は、特別に重要なものだとして「本文のあと」に掲載されている。
シンガポールのチャンギー刑務所でBC級戦犯として46年5月23日に処刑された木村久夫は京大から学徒兵として陸軍入隊。同じチャンギー刑務所で、戦犯の汚名で日本人として処刑された朝鮮半島の若者は23人もいる。今、なかのゼロでは元BC級戦犯となった韓国人李鶴来さんの講演やパネル展示中。
— 山本宗補 (@asama888) 2014, 4月 29
(続)木村久夫の戦犯理由はインド洋のカール・ニコバル島での通訳として住民を取り調べた際、「拷問して死なせた」のが容疑だったという。朝鮮半島の若者は軍属として連合軍捕虜キャンプの監視要員だった。いづれも上官の命令に逆らえない立場だが、軍属の場合は輪をかけて不条理そのものだ。
— 山本宗補 (@asama888) 2014, 4月 29
(続)軍属といえば、草津栗生楽泉園に戦後に収容された河東三郎さんを思い出す。結婚して子供もいた河東さんは軍属で徴用され、カール・ニコバル島で滑走路建設労働などをさせられた。酷使などで河東さんはハンセン病を発病。帰国船上では「銃殺にした方がいい」という声も聞いたと話した。
— 山本宗補 (@asama888) 2014, 4月 29
(続)BC級戦犯として裁かれ、チャンギー刑務所で処刑された旧日本兵や朝鮮半島の若者たち100数十人の慰霊碑は、池上本門寺の妙見堂にある。一人ひとりの名前が刻まれている。なかのゼロで今日まで展示中のパネル展では、朝鮮半島の軍属も木村さんが家族に残した遺書同様のものを書き残している。
— 山本宗補 (@asama888) 2014, 4月 29
「この(見るに堪えない)軍人を代表するものとして東条(英樹)前首相がある。さらに彼の終戦において自殺(未遂)は何たることか。無責任なること甚だしい。これが日本軍人のすべてであるのだ」(東京新聞6面から。木村久夫氏の書き込み) http://t.co/1hpas4hEWc
— 山本宗補 (@asama888) 2014, 4月 29
岡田裕之さんはすでに論文を発表しています。「日本戦没学生の思想(上) ――『新版・きけわだつみのこえ』の致命的欠陥について」。http://t.co/rk9l6Dzvee ところが「わだつみ会」は改訂版を出すことを拒んできました。なお岡田論文は木村久夫さんの遺書に触れていません。
— 有田芳生 (@aritayoshifu) 2014, 4月 29
本日付東京新聞は「わだつみ」木村久夫氏の別遺書特集。「きけわだつみのこえ」は40年以上前の高校時代に読んだきりだが、思えばあの本を読んだことが、反戦平和を志す原点だったかもしれない。改めて遺書を読み通して、戦争の理不尽を心に刻む。 pic.twitter.com/k2QlrszJsa
— みんなのおとうさん (@minnnanotousan) 2014, 4月 29
4/29東京新聞 きけ わだつみのこえ 木村久夫「もう一通の遺書」“大きな運命 一個人ではいかんともなしえない” pic.twitter.com/vzxZVDsgiZ
— 大野 (@iwokeupagain) 2014, 4月 29
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