集団的自衛権を巡る政府のふるまいはどう見ても論理的一貫性を欠くようなのだが、やはりこのまま無理を通すつもりなのだろうか? 道理は引っ込むしかないのか?
道理のいくつかを述べる。
彼らが回避しようとしている日本国憲法第九条には「国の交戦権はこれを認めない」という文言がある。そういう規定のない交戦自由のアメリカの軍隊と交戦権を持たない日本の自衛隊が同じ立場で肩を並べて戦えるものだろうか? その場合、憲法は停止状態ということになる。これは国家乗っ取り、すなわちクーデタと同じではないか。
一九六〇年三月三十一日の参議院予算委員会で時の首相岸信介は「よその国へ行ってその国を防衛することは日本の憲法ではできない」と明言した。「日本は他衛権は持っていない」と。安倍首相は祖父の言葉をどう考えていらっしゃるのだろう?
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ある種の職業は危険を伴う。その職に就く人は危険を承知している。
例えば、全国で十六万人ほどいる消防士は毎年数名が殉職している。率にして〇・〇〇五%ほど。我々の社会はこれを受け入れている。
自衛隊員はどうだろう?
五月二十三日に横須賀で潜水訓練中の海上自衛隊員が死亡した。民間の潜水士だって時には事故に遭うのだから、自衛隊の場合も「ある種の職業は危険を伴う」の範囲に入るのかもしれない。
一九五〇年に自衛隊の前身である警察予備隊ができてから二〇一三年までの自衛隊員の殉職者数は合計で千八百四十名。年平均で二十九名弱。全自衛隊員の数は二十五万強だから、消防士よりはだいぶ危険率が高いのだが、それでも我々はこの危険率を受け入れている。
東日本大震災での自衛隊員の殉職は二名と伝えられる。あの時期の自衛隊の活躍は目を見張るものがあったし、現地の人々は心から感謝した。
その一方で、自衛隊員や消防士ではなく消防団員が二百五十四名亡くなっている。彼らは自分の安全は二の次にして、走り回って住民の避難を促した。みなが山の方へ避難しているのを見送って、彼らとは逆に海岸に行って水門を閉じようとした。間に合わなくて津波に巻き込まれた。ぼくの友人はそれでも九死に一生を得た。社会と個人の間に運命がこういう事態を強制することがある。
東日本大震災の時、福島第一原子力発電所で吉田所長が「高線量の場所から一時退避し、すぐ現場に戻れる第一原発構内での待機」を命じたにも関わらず、所員の九割は約十㌔離れた第二原発に行ってしまったという。
吉田さんは亡くなっているし、ことの真偽はわからない。問題は彼らが職場を放棄したことに理はあったかということである。
正に非常事態・緊急事態であって、なんとしてでも対策を講じなければ本州の何割かは人が住めないところになっていた。対策ができるのは現場の人々だけだった。だがそれは外からの理屈であって、彼らにすればまず自分の身の安全と考えるのは当然である。なぜならば彼らはそれほどの危険を伴う仕事だとは知らされていなかったから。チェルノブイリの死者たち(最小限に見積もって)三十三名など遠い異国のことだと思っていたから。
危険率を隠していたのはいわゆる原子力村の安全神話である。彼らは目を背けて危険はないことにしていた。
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国家には選ばれた一部の国民を死地に派遣する権限があるのだろうか?
非常に危険率が高いとわかっているところへ送り込むことができるのだろうか? それが自衛のためだと言うならば、国の生存権と個人の生存権の関係についてはもっと議論が要る。
今の自衛隊員は憲法第九条があることを前提にこの特殊な職に就いたはずである。自衛のための出動はあるが(東日本大震災はその典型)、他国での戦闘はないと信じて応募した。
だとしたら彼らには次の安定した職を保証された上での転職の権利がある。そんなつもりではなかったと言う権利がある。戦場には殺される危険と同時に殺さなければならない危険もある。その心の傷はとても深い。あなたは見ず知らずの人間を殺せるか?
イラクに派遣された自衛隊は一人も死なず、(たぶん)一人も殺さずに戻った。憲法第九条が彼らを守った。
それでも帰還隊員のうちの二十五名が自殺したという報道がある。一般公務員の一・五倍と普段から自殺率の高い職場ではあるが、イラク後はそれが一桁上がった。戦場の緊張の後遺症が疑われる。
聞くところによると、集団的自衛権を熱心に推しているのは外務省で、防衛省は消極的なのだという。戦争になっても外交官は血を流さない。

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