汲む 茨木のり子
- Y・Yに -
大人になるというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました
初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始るのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました
私はどきんとし
そして深く悟りました
大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと・・・
わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです
(第二)詩集『鎮魂歌』(1965年1月、思潮社)より
Y・Yというのは新劇俳優山本安英。
茨木の文筆活動は、昭和21年20歳のとき、戯曲「とほつみおやたち」が読売新聞戯曲第1回募集に佳作当選したときに始まる。
薬剤師の資格を持ちながらその道に進まず、プレッシャーと将来への模索状況での当選は、「暗夜に灯をみつけたような嬉しさだった」と茨木は記す。
そんなとき、山本安英が励ましの手紙をくれ、それをきっかけとして、茨木は山本の家を訪ねるようになる。
この時、山本は40代の初め、劇団に所属せず、その後、「ぶどうの会」、「山本安英の会」を足場に演劇活動を続けていく。
この詩の初出は、茨木35歳のときの雑誌「いずみ」掲載。
「わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました」
茨木は、つくづくといい出会いに遭遇したものだ。
その出会いの上に、お互いに響きあうもの(才能、感性)を認めて、長くつきあうことになったのだろう。
「大人になってもどぎまぎしたっていいんだな」
って、いいよね。
「倚(よ)りかからず」 (茨木のり子 詩集『倚りかからず』より) : もはや できあいの思想には倚りかかりたくない ・・・ じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて なに不都合のことやある
「自分の感受性くらい」 (茨木のり子 詩集『自分の感受性くらい』) ; 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ
麦藁帽子に (茨木のり子)
波の音 (茨木のり子)
いちど視たもの - 一九五五年八月十五日のために - (茨木のり子)
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