2021年4月18日日曜日

尹東柱の生涯(16)「1942年7月、彼の生前最後の帰郷。このとき弟妹たちに「朝鮮語の印刷物がこれから消えていくから、何でも楽譜のようなものでも買い集めるよう」頼んだという。この頼みは結局、弟妹たちに彼が与えた遺言となった。」

尹東柱の生涯(15)「人生は生きがたいものなのに 詩がこう たやすく書けるのは 恥ずかしいことだ。 六畳部屋は他人の国 窓辺に夜の雨がささやいているが、 灯火をつけて 暗闇をすこし追いやり、 時代のように 訪れる朝を待つ最後のわたし、 わたしはわたしに小さな手をさしのべ 涙と慰めで握る最初の握手。」(「たやすく書かれた詩」1942・6・3)  

より続く

1942年7月

1942年7月、立教大学での1学期を終えて夏休みをむかえた尹東柱は北間島龍井の家に帰った。ほかのときとは違い、このときの帰郷は短かった。妹・尹恵媛によれば15日くらいだったという。これが彼の生前最後の帰郷になってしまった。このとき弟妹たちに「朝鮮語の印刷物がこれから消えていくから、何でも楽譜のようなものでも買い集めるよう」頼んだという。この頼みは結局、弟妹たちに彼が与えた遺言となった。

8月4日

最後の帰省となった1942年の夏、親族たちと龍井で撮った写真がある。丸刈り頭の学生服姿で清々しい微笑をたたえた写真は、数ある尹東柱の写真のなかでも特に印象が深く、多くの人々に愛されているもの。

帰郷中に、日本から電報が届いた。東北帝国大学に在学中だった友人が、その大学に編入する手続きをしにこいという連絡をよこした。これを見ると尹東柱はもともと立教大学につづけてかよう意志がなかったばかりか、友人にもあらかじめそうした意向を明かして協力を求めていたのは確かだ。

編入試験など各種の手続きのために日が迫っているようだった。電報を受け取った彼は、遊びに出ていた弟に会わずに発ってしまうほど、あわてて日本へ出発した。ところが急いで日本へ行った尹東柱が転校していったのは、東北帝大ではなく京都の同志社大学だった。

8月

尹東柱が沼田の陸軍病院に上本正夫を訪ねる。

上本は1937年3月に釜山中学校を卒業後、東京の青山学院専門部に学び、同年9月からは「満州国」郵政総局に勤務、新京に移った。

1939年には交通部局委任官に任じられたが、その年の暮れに召集され、毒ガスを扱う特殊部隊(国際条約違反であったという)に入隊、41年暮から42年春にかけてマレー戦線に従軍するも、毒ガスにより負傷、内地に送られて、同年4月から沼田の陸軍病院に入院するところとなった。

病床の上本氏を、尹東柱は静かに抱きしめた。

「東京を離れ、新学期からは京都の大学で選科生として学ぶつもりだ」

尹東柱は語った。

「何のために京都に行くんだ?」

上本氏は尋ね、東京に残ったほうがよいのではないがと疑義を呈した。詳細な前後関係は忘れてしまったが、尹東柱の口からは仙台という地名も出だという。

いずれにしても、東京を離れることは決心が固いようだった。上本氏の病室には、同じ毒ガス部隊で負傷した朝鮮出身の高中尉が入院していた。その弟がもってきてくれた『日本詩集』を、尹東柱は読みたがった。

プレゼントしようかという上本氏の申し出に対しては、尹東柱は遠慮したが、しばらく目を通した後、誌上に載る菊島常二の詩(「雪崩」)をよい詩だと誉めたという。

正確には、1941年1月に出された『現代日本年刊詩集』に、菊島の表題の詩が載っている


「雪崩」    菊島常二


黒百合の花は落ち茎はすでに傾いて

胸のなかに硬直した思考を揺すぶり

虚空のなかに屹(そそ)り立つ山嶽を揺すぶり

幻の樹木の根を断ち古い土を踏んでくる

白い生きものの群の足音がする

それを牽くものの実体を誰も知らない

それを牽くものの実体を見たこともない

白い生きものの群が動かぬ闇のなかに

激しく骨を打ちあう音がする

轟轟(ごうごう)と

未明の天と地の狭間に落下してゆ〈雪崩

放我した眼の底へ落下してゆく雪崩

それは

神の限りない愛もて

燈心草の剣を振り上げ立向う異端の上に 

美しい彎曲に捕らえられた睡眠の上に

見知らぬ掌のように

次第に数を増し影を増してかぶさり

真白な斜面を嚥(の)み

恐怖を包む夜を分け

ときに瀑布のように

ときに怒涛のように

ひとびとの背を馳(はせ)る

背は磨かれ

骨は骨に固く結びあい

そこには逞しい岩石のみが残され

早くも招く光りの掌に

応えて緑の掌を延べる

歓びの呟きを洩らし蠢(うごめ)く若い芽もあるだろう

これら総てと天は

明るい青い鏡のなかに

光りの果実を放ち

いっぽんの樹を写し

ひとびとに

唯一の疎(まば)らな林を見せる

唯一の大きな森について考えさせるために

-わが神の小さな土地-


(*「燈心草」は藺(い)、イグサの異名)


つづく




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