2013年10月29日火曜日

1776年(安永5)7月~12月 モーツアルト「ハフナーセレナード」 アメリカ独立宣言 平賀源内エレキテル完成 クック船長第3回航海 【モーツアルト20歳】

北の丸公園 2013-10-28
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1776年(安永5)
7月
・モーツアルト、<セレナードニ長調(ハフナーセレナード)> (K250=K248b)作曲。
元ザルツブルク市長・故ジークムント・ハフナーの娘の婚礼用。
7月21日、後演奏。
4つのコントルダンス(K.101(250a))。
25歳を迎えた姉ナンネルの霊名の祝日を祝うために、大急ぎでディヴェルティメントニ長調(K.251)(通称「ナンネル・セプテット」)作曲。
この年は彼の社交音楽の最も実り豊かな時期で、10曲近いセレナードやディヴェルティメントが一挙に生み出されている。
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7月2日
・北米、大陸会議本会議、独立決議が可決。
前日、委員会で可決。

3日、イギリス軍、ニューヨークに進撃。スタテン島制圧。

4日
・アメリカ独立宣言。
大陸会議。バージニア州代表ジェファーソン起草になる「独立宣言(アメリカ13植民地の総意による宣言)」を発表。
トマス・ジェファーソンの委員会が、「独立宣言」を提出し、大多数の賛成により可決。
独立宣言と同時に新しい「アメリカ合衆国連邦」の市民権の宣言。
しかし、連邦を形成する13州はそれぞれ1776年およびそれ以降に憲法を採択し、多くは「権利の宣言」を前文につける。
最もよく練り上げられまとまっているのは、ジェファーソンの手になるヴァージニア州の権利宣言である。
合衆国独立は、ヨーロッパに伝わり、当時(特にイギリス、オランダ、ドイツで)増えていた新聞がその解説を書き、「啓蒙」の影響を受けた人々は興奮した。
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7月4日
・平賀源内、エレキテルを完成
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7月12日
・クック船長第3回航海(1776~1779)。
レゾリューション号(航海長が「バウンティ号の反乱」で有名なブライ船長)とディスカバリー号(チャ-ルス・クラーク船長、1779年没後ジェイムス・キング船長)を率い、北大西洋と北太平洋を連絡する北西航路の探索を目的として出港。
帆船での北太平洋から北大西洋へ抜ける海路が存在しないことを確認。
北米太平洋岸からヨーロッパに向かう北西航路の探索は、ハワイ諸島を経てベーリング海峡に入り北緯70度30分に到達、帆船が航行できるような北西航路は存在しないことを明らかにする。
1778年1月18日、現在のハワイ諸島を発見し、カウアイ島ワイメア湾に上陸、支援者のサンドウィッチ伯爵にちなんでサンドウィッチ諸島と名付け、ベーリング海峡を越えて北氷洋にも入り北太平洋や北米沿岸の地図を作成。
1778年、クック諸島中のアイツタキ島を発見し「レゾリュ-ション号」で訪れ、カナダのバンクーバー島のヌートカを探検。
1779年、補給のために引き返したハワイ島西岸のケアラクアで原住民との間で小競り合いが生じ、1779年 2月14日に51才で戦死。
3回の探検航海で多くの島々を発見、もしくは再発見し、南方大陸の迷信を打破し、北西航路の不通や、その他、多くの貴重な民俗学的・博物学的資料を収集し、学界に多大の貢献。
10年間にわたる航海中に1人の壊血病による死者も出さず。
科学者でもあったクック船長は、その予防のため大量の塩漬けキャベツを積む。
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7月18日
・スペイン、美術行政の独裁者ラファエル・メングス、王室式部長官任命。
フランシスコ・バイユー(ゴヤ義兄)らにサンタ・バルバラ・タピストリー工場再編成に着手
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7月19日
・北米、ニューヨーク植民地、独立宣言支持を表明。
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7月20日
・モーツアルト、行進曲ニ長調(K.249)作曲。
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8月
・モーツアルト、大司教のための食卓音楽としてディヴェルティメントヘ長調(K.253)。
同じ頃、クラヴィーア三重奏曲変ロ長調(第1番)(K.254)作曲。
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8月22日
・モーツアルト、自宅で音楽会を開催。
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8月24日
・国学者の平田篤胤、秋田藩に誕生。
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8月27日
・米、独立戦争、ロングアイランドの戦闘。
ワシントンのアメリカ軍、敗退、マンハッタンに撤退。
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9月
・モーツアルト、バイエルン宮廷カストラート歌手フランチェスコ・フォルチーニのためにレチタティーヴォとアリア「幸せの影よ/私はおまえを残していく」(K.255)。
テノール歌手パルミーニのために、ザルツブルクで上演されたオペラ(ペトロセリーニ台本、ピッチーニ曲)への挿入曲としてアリア「クラリーチェは私のいとしの妻になるはず」(K.256)作曲。
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9月4日
・モーツアルト、マルティーニ師にオッフェルトリウム「ミゼリコルディアス・ドミニ」(K.222(205a))を送る。返事は12月18日。
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9月11日
・北米、ハウ卿、フランクリンらとスタテン島で会見、決裂。

15日、アメリカ駐留軍総司令官ハウ将軍指揮イギリス軍、マンハッタンに上陸しニューヨークを占領。ワシントンはニューヨーク市街を放棄、ハーレム高地へ。

19日、ハウ卿、民衆に向けて対話の呼びかけ。

21日、未明にニューヨーク市中で大火。
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9月28日
・モーツァルト、のちに姉ナンネルの夫となるゾンネンブルク(40)と会う(彼はまだ最初の妻マルガレーテと家庭を持っていた)。
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10月
・フランス、デュ・バリ伯爵夫人、リュシエンヌ城館に帰る。
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10月18日
・米、独立戦争、イギリス軍、ブロンクス方面に上陸。

28日、ホワイトプレーンズの戦い。敗れたワシントンはニュージャージーへ。
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11月
・モーツアルト、ミサ曲第9番ハ長調(「クレド・ミサ」)(K.257)、ヴァイオリンのためのアダージョ ホ長調(K.261)作曲。
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11月5日
・幕府、全ての盲人に対して、検校の支配に属するよう通達
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11月6日
・イギリス、ハウ卿の宣言(9.19)、議会で暴露。政府も内容を認める。
アメリカに関する法律の見直しを求めて否決されたロッキンガム派は以後審議拒否戦術に。
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11月16日
・米、独立戦争、イギリス軍、ハーレム高地を攻略、マンハッタン島制圧。
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11月17日
・ブリクセン助任司祭イグナーツ・フォン・シュパウアー伯爵叙任式、モーツァルトのミサ曲が使われる。
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11月30日
・北米、ハウ卿、民衆に向けて投降の呼びかけ。
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12月8日
・米、独立戦争、クリントン将軍、ニューポートを攻略。

12日、大陸会議、フィラデルフィアからボルティモアに移ることを決める。

13日、チャールズ・リー、イギリス軍に捕らえられる。
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12月18日
・モーツアルトへマルティーニ師より賞賛する内容の返信。
「あなたが作曲においても長足の進歩を遂げたことを嬉しく思います。」
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12月24日
・米、独立戦争、イギリス軍、ペンシルヴァニアに侵入。

26日、ワシントンの大陸軍、トレントンに進出したイギリス軍を破る。
冬営中のイギリス軍を奇襲攻撃、起死回生の勝利。
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