2014年3月18日火曜日

生存者14歳少年が証言する3・11大川小の過ち (女性自身) / 「地震のことも、ずっと『嫌だ、嫌だ』って向き合わないで伝えなかったら、千年後の人たちの教訓にならない。人生を変えるくらいのこんな思いを、おいは、これからの人にはさせたくない」

YAHOOニュース
生存者14歳少年が証言する3・11大川小の過ち
女性自身 3月15日(土)0時0分配信

 東日本大震災の大津波で全校児童108人のうち74人の児童が死亡・行方不明となった、宮城県石巻市立大川小学校。地震発生の午後2時46分から津波到着の3時37分までの51分間に、いったい何が起きたのか――。

 自分の体験を震災直後から語り続けている子供がいる。長女の未捺(みな)ちゃん(享年9)を亡くした只野英昭さん(42)の長男、哲也くん(14)だ。あの日、津波に遭遇し奇跡的に生還した児童4人のうちの1人である。

「まずは、私が哲也から聞いてきたことを、ありのままにお伝えしたいと思います」と、只野さんは言って、“消し去られようとしている51分間”の再現が始まった。

 ’11年3月11日午後2時46分ごろ、「帰りの会」が行われていた小5の哲也くんの教室を強い揺れが襲った。机の下に避難しながら、哲也くんは祖父の弘さん(享年67)の口ぐせを思い出していた。「地震来たら、山さ逃げろよ」。

(略)

「指を土に突っこんで山を上っていった。ベチャベチャな雪の斜面で、登れない人もいた。3~4メートル登って後ろを振り向いたとき、まだ波がそんなに来ていなかったから、『逃げれる』って思ってもう1回前向いたとき、いきなり後ろから押し倒されるように津波にのまれて、気絶した――」

 哲也くんは土に半分ほど埋まっていたところを奇跡的に助けだされた。あえてつらいことを語り始めた心境を、哲也くんはこう説明する。

「地震のことも、ずっと『嫌だ、嫌だ』って向き合わないで伝えなかったら、千年後の人たちの教訓にならない。人生を変えるくらいのこんな思いを、おいは、これからの人にはさせたくない」

 最終報告書に納得出来ない約20家族が、石巻市と宮城県を相手取り損害賠償訴訟に踏み切ることを決断。今月10日に行われた仙台地裁への提訴には、只野さんも原告として加わっている。これから行われる裁判の行方を、多くの「小さな瞳」が見つめているはず。あの日、大川小の黒板を見ていた瞳が――。

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