2014年3月4日火曜日

東日本大震災:福島第1原発事故 田村・都路東部、避難指示解除 住民の総意、醸成なく /福島 (毎日新聞) : 「分割統治」を想起 市が主導「会合は地区ごとに」

毎日新聞
東日本大震災:福島第1原発事故 田村・都路東部、避難指示解除 住民の総意、醸成なく /福島
毎日新聞 2014年02月25日 地方版

 ◇「分割統治」を想起 市が主導「会合は地区ごとに」

 国は23日の説明会で、田村市の都路地区東部に出していた避難指示を「4月1日に解除する」と告げた。昨年10月からの国と住民との関係は、古典的手法の「分割統治」を思わせる。避難指示の解除はこの先、川内、葛尾村、楢葉町へ広がる。国と協議する住民にとって、都路が負わされた「分割」が一つの参考例になるだろう。

 「分割統治」は、古くは古代ローマ帝国が広大な地域を支配下に置く際、地域全体の連帯を阻むため、集落や町ごとに交渉し、当局に近い集落を先導させたり、集落同士の対立を起こすことで制圧する手法だ。20世紀までの植民地支配、戦後の日本でも自治体による土地の立ち退きや企業の組合対策でこの手法がとられてきた。

 都路の場合、国による「支配」ではなく、解除に向けた「説得」にすぎないが、分割の構図が似ている。

 昨年10月の住民説明会で、市が「11月1日の避難指示解除」を提案すると、住民は一斉に反発し、国と市は案を取り下げた。

 4地区に分かれる都路東部の117世帯は、全住民の総意として、再除染などを求める10項目の要望書を12月、市、国に提出し、年末、回答が住民に手渡された。

 問題はその後だ。年明け、住民代表の役員らが、回答内容を説明してもらおうと「国が入らない形で市と住民との会合を求めた」(役員)。ところがふたを開けると、会合は1月12日に解除希望者が役員を占める小滝沢地区をトップに18日に合子、場々、地見城の3地区と分割した形で開かれた。少数だが国の代表も加わっていた。

 説明会、要望書作成、回答まで全住民が対象なのに、なぜ会合が「分割」されたのか。ある役員は「我々は全員一緒にと求めたが、市が地区ごとの会合を準備した」と語る。これについて、市の担当者は「集落ごとに要望が違う上、人数が多いと自由に話せる寄り合い的な雰囲気がなくなるため、地区別にした」と説明する。「一部の役員の要望もあり、市が一方的に決めたわけではない」。国の代表を加えたのは「回答について、市だけでは答えられない部分もあったから」という。

 会合は、小滝沢地区では住民が提案する形で「4月解除」が話題になったが、他の3地区では一切触れられなかった。市が言う「集落ごとに要望は違う」としても、「時期」は最大の関心事。そこに地区の間で情報格差があったのは否めない。


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