ジュウガツザクラ 江戸城(皇居)東御苑 2014-10-07
*1783年(天明3年)
10月中旬
・浅間山大噴火後の普請始まる。
10月中旬、もっとも被害の著しい鎌原村から御普請が始まった。
鎌原村の生き残った35軒83人は支配代官所より応急の夫食代金を貸与され、命を繋いでいた。同村の反別84町6反9畝21歩の内、無事であったのは僅か4町5反で、残りは荒所になっていたが、幕府はその内の29町8反3畝について御普請を実施した。その御普請金として鎌原村は10月18日に金100両を受取っている。
御普請人足は村人で、不足の分は近隣の村々から出ている。荒地の起返しが進行するのと平行して家も11軒新築している。
鎌原村に続き吾妻川沿いの村々の復旧工事が行われた。
私領の西久保・赤羽根・今井・古森・袋倉・芦生田・小宿の7ヶ村も御普請の対象となっている。
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10月19日
・フランス、物理学者ピラトール・デュ・ロジエとダルラント侯爵、係留した熱気球の下のギャラリーに乗込み、高く舞上がる。ラ・ミュエット城館の林。
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10月26日
・モーツアルト、「大ミサ曲ハ単調」(K427=K417a) 演奏。ザルツブルク・聖ペテロ聖堂。宮廷楽団全員が参加。コンスタンツェがソプラノを歌う。モーツアルトの結婚の宣誓。
ザルツブルク滞在中、ミヒャエル・ハイドンに代わり2曲のヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲(K423,424)作曲。
ナンネルルの日記
「二十三日。八時にミサ、カベルハウスで弟のミサ曲の練習に立ち会う。この曲では義妹がソロを歌う。」
「二十五日〔二十六日の誤り〕。聖ペテロ教会のミサ聖式で、弟が自分のミサをあげた。宮廷楽団全員が列席した。」
これは、モーツァルトの「誓約」の実現で、この日の聖祭で演奏されたのは、『ミサ ハ短調』(K427=K6-417a)。妻コンスタンツェがソプラノのパートを歌った。
こうして、ようやくモーツァルトはコンスタンツェとの結婚にまつわる誓約を成就した。
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10月27日
・モーツアルト夫妻、ザルツブルク出発。姉ナンネルとは最後の別れ。
「二十七日。チェッカレッリ、ヴェークシャイダー、ハーゲナウアーが訪ねてくる。ヴァレスコも。九時半、弟と義妹出発。午後、パパと私、グレートゥル〔マルガレーテ・マルシャン〕、アンリで、グニーグルで鳥を食べる。ボローニャも同行。芝居に行く。お天気。」
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10月29日
・フランス、数学者、哲学者のジャン・ダランベール(66)、没。
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10月30日
・モーツアルト夫妻、リンツ到着。ホーエンシュタイン伯爵邸に3~4週間滞在
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11月
・御普請の拡大
幕府は私領に対し、9月までは厳しい態度で臨み、自力復興を促していたが、11月、その方針を大きく変更して、御普請の範囲を私領まで拡大した。
根岸らが巡見し、復旧が自力では困難であることを認識したからとみることもできるが、9月末から10月にかけて起こった上州・信州辺の百姓一揆・打ち毀しがそれまでの幕府の方針に転換を迫ることになった。
10月29日、勘定奉行松本伊豆守(秀持)が浅間山噴火により泥砂で埋まった田畑開墾を担当するとの発表があり、11月に入って被災地の領主たちへ申渡しがなされた。
(申し渡し)
浅間山噴火で被害を受けた武州・上州・信州の村々の、田畑の泥砂の片付けは、私領についてはその領主・地頭から申し付けるのは勿論であるが、一統難儀の様子なので、この度は堤川除けのほか、私領の内郷用悪水路・道・橋等も公儀御普請を実施する。工事は難儀の軽重にしたがって、村々を組み合わせ、村請で行う。農業手透きの時節、御救いのための工事なので、田畑の起返し等、精を出して行うよう、銘々の領分・知行所の村々へ申し渡すように。
また御料・私領村々に対し、松本秀持・根岸鎮衛連名で触書が発せられた。
ほぼ同内容だが、江戸町人などに下請けは一切させないとし、普請中竹木や米穀・諸色の値段をなるべく下値にするよう通達している。
私領のため訴願を受け付けて貰えなかった下磯部・東上磯部・西上磯部3ヶ村を含む村々でも御普請が実施され、12月4日に渋川で最初の御普請金を受取っている。
また人足賃や諸色代、蛇籠代(じやかごだい)などが支給され、さらに伝馬の飼葉料も与えられている。御普請は翌1784年(天明4)にかけて行われ、閏正月には終了している。
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・アイルランド、義勇軍大会。グラタンとフラッドの対立。グラタン提案のカトリックに選挙権を与える提案。フラッドのプロテスタント小作人に選挙権を与える提案、共に否決。
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・モーツアルト、リンツでクラヴィーア・ソナタ変ロ長調(K.333(315c))作曲。
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11月3日
・フランス、カロンヌ、財務総監に就任。ネッケル辞職。
何人かの大臣が暫定的に務めた後、メッスついでリールの地方総監カロンヌが財務総監に就任。彼は、財政赤字を埋める為に多額の借入をし、それ以上の額を支出する。この政策は、債権者に国家が裕福だと信じさせ安心させるためのものである。
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11月4日
・モーツアルト、「シンフォニー ハ長調 (第36番)」(K425) <リンツ> 演奏。ヨハン・ヨゼフ・アントン・フォン・トゥーン=ホーエンシュタインの依頼のため4日間で仕上げる
「十一月四日の火曜日に、ぼくは当地の劇場で音楽会をします。 - それに交響曲を一曲も持ち合わせていないので、大急ぎで新作を書いていますが、これはその時までに仕上げなければせん。」
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11月4日
・幕府、徒党注進逮捕令。
幕府、上野・下野・武蔵・信濃・常陸5ヶ国の御料代官に対し、在方取締り令を発す。
各代官が支配下の村に対して、村内で徒党を勧める者があれば、その村だけでなく、最寄村とも相談し、徒党の中心人物をつかまえること、手に余るようなら住所・名前を聞きただし、代官所へ差し出すこと、訴人するものには褒美を与えることなどを、小前の音まで申し渡すよう命じた。また代官だけでなく5ヶ国内に領地を持つ大名・旗本もこの令に准じて取り扱うこととされた。
さらに9日には5ヶ国以外の国々の代官・領主に対して同様に令している。
同日、幕府は私領にも公儀御普請を実施することを発表している。
在方取締りと被災地復旧という硬軟の政策を同時並行的に、しかも御料・私領一律に実施しようとしている。
浅間山噴火後の百姓一揆・打ち毀しが幕府に大きな衝撃を与えたことが窺える。
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11月25日
・北米、ニューヨークに残っていた最後のイギリス軍が乗船。12月5日、出港。
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11月末
・モーツアルト夫妻、リンツ出発
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12月初め
・モーツアルト夫妻、ウィーンに戻る。
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12月中旬
・苫米地甚九郎の一揆。
犬落瀬村(現六戸町)で窮民が集まり相談。甚九郎が大将となって一揆。
苫米地甚九郎の郎党は刀や槍で武装、方々に放火、金銀器物雑穀など盗んで荒らし回る。藩同心・五戸代官所役人、謀をもって27人を捕縛。犬落瀬村の肝入をはじめ村全体の科として責を負わせる。
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12月17日
・イギリス上院、フォックス提出のインド法否決。フォックス・ノース連立政権崩壊。
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12月19日
・イギリス、ウィリアム・ピット(24)(小ピット)、国王ジョージ3世に首相兼蔵相に任命。
初期は野党の激しい攻撃。選挙勝利し、17年間政権維持。
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12月22日
・モーツアルト、ブルク劇場で演奏会が開催されレチタティーヴォとアリア(K.431(425b)ほか数曲を披露。レチタティーヴォとアリア「憐れな男よ!夢なのか、それともうつつなのか/あたり吹くそよ風よ」(K.431(425b))作曲。
ウィーンの楽友協会に保存されているこの「大音楽会」の曲目には、「モーツァルト氏弾奏のフォルテピアノの協奏曲」、「モーツァルト氏作曲の新作のロンドー、アーダムベルガー氏が独唱」が含まれている。後者はレチタティーヴォとアリア『あわれな男よ! 夢なのか! それともうつつなのか - あたり吹くそよ風よ』(K431=K6・425b)と考えられる。
12月24日付のレオボルト宛の手紙にも「一昨日の月曜日にまた協会の大音楽会がありました。 - ぼくは彼らのために協奏曲を一曲弾き、アーダムベルガーがぼくのロンドーを一つ歌いました。 - これは昨日もくりかえし歌われました。 - ただ、ぼくの代わりにヴァイオリン奏者が協奏曲を弾いたのです。 - 一昨日は劇場が満員でした - でも昨日はガランとしていました」とある。
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12月23日
・北米、ワシントン、大陸軍総司令官を辞任。
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12月25日
・与謝蕪村(68)、没。
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12月29日
・初代尾上菊五郎(67)、没。
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12月29日
・モーツアルト、2台のクラヴィーアのためのフーガハ短調(K.426)作曲。
この頃、モーツアルト、オペラ・ブッファ「騙された花婿」(K430(424a))に着手。
ミヒャエル・ハイドンの交響曲への序奏ト長調(交響曲第37番)(K444(425a))作曲。
この年(1783年)の主な作品として・・・
『ホルン協奏曲〔第二番〕変ホ長調』(K417)、
『弦楽四重奏曲 ニ短調』(K421=K6・417b)、
同変ホ長調(K428=K6・421b))、
『二台のクラヴィーアのためのフーガ ハ短調』(K426)などの器楽曲
数多くのアリア、三重唱曲などが挙げられる。
更に、
『カイロの鷲鳥』のような未完のオペラ、
同じく未完成に終ったオペラ・ブッファ『騙された花婿』(K430=K6・424b)など、モーツァルトのオペラ作家としての意欲が見られる。
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