2015年12月6日日曜日

(bitecho) 藤田嗣治全所蔵作品展が提起した、日本の美術館の可能性

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藤田嗣治全所蔵作品展が提起した、日本の美術館の可能性

東京国立近代美術館所蔵品ギャラリーで開催中の「MOMATコレクション 特集:藤田嗣治、全所蔵作品展示。」(12月13日まで)。波乱に満ちた生涯を描いた映画も公開され、画家・藤田嗣治への注目はいっそう高まっています。この展示では、同美術館所蔵の藤田作品をすべて公開。なかでも、藤田が手がけた戦争画14点が初めて一挙に展示され、話題を呼んでいます。国内外で人気の高い画家・藤田ですが、実はこの展覧会には、美術館のありかたと未来を考える意図も。今回は、担当学芸員の蔵屋美香さんにお話を聞き、藤田と戦争画を、そして美術館のこれからを考えます。

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 その複雑さは、有名な《アッツ島玉砕》(1943)を例にとるとわかります。この作品は悲惨な戦場のようすを描いているので、反戦の祈りを込めた作品のように言われることがあります。しかし、当時はこの悲惨な玉砕戦自体が、「それでも負けないぞ」と気持ちを奮い立たせる目的で軍部により盛んに報道されていたのです。そうした雰囲気の中で反響を得た作品ですから、場面が凄惨だからといって藤田が反戦のメッセージを掲げたと単純に考えることはできません。「1日13時間、22日間ぶっとおして描いた」と新聞(*1)のインタビューに答える藤田は、明らかに誇らしげです。また1886年生まれの藤田は、軍人を父に持ち、少年時代には日露戦争(1904〜1905)の勝利がありました。明治の男の子が持つ戦争へのワクワク感が、筆を進めるエンジンにもなったでしょう。

しかし一方、画面をよく見ると、すごい形相をした日本兵の脇に美しい顔をしたアメリカ兵のなきがらが描かれていたりする。あるアメリカ兵はまるでキリストの磔刑図のようなポーズで亡くなっており、脇には小さな花も添えられている。《アッツ島玉砕》には、この主題に進んで取り組む藤田と、時局に対して冷静に距離を保つ藤田の二つの姿が見え隠れします。西洋絵画から学んだ技術を活かそうとする藤田、戦いに興奮する藤田、亡くなった人を悼む藤田が、一枚の画面に共存しているのです。こうした複雑さは、実際に作品を前にして、あい矛盾する要素をていねいに観ることで、初めて実感できるものです。

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 所蔵作品展「MOMATコレクション」では、この3年、日露戦争から1945年までの特集展示(「何かがおこってる:1907−1945の軌跡」)、関東大震災から大阪万博までの特集展示(「何かがおこってるII:1923、1945、そして」)を行ってきました。私自身はこれらの展示を通して、関東大震災によって社会不安が広がり、日中戦争開戦で東京オリンピックがキャンセルされ、次いで太平洋戦争が始まる、という流れが、今の日本の状況によく似ている、ということを確認できました。このように、過去の美術の動きに照らして今の状況を見ると、未来に起こることを考えるヒントが得られます。美術館の展示は、昔のことばかり扱う古くさいものではなく、いつでもいまの時代とリンクしているのです。観る人と一緒にこうしたリンクを一つひとつ読み解いていくことができたら、こんなに幸せなことはありません。今後もコレクションの利点を活かして、リアリティのある展示を発信していきたいです。


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【美術館】「特集:藤田嗣治、全所蔵作品展示。」 当時の雑誌の中から藤田嗣治の言葉を30回に分けてご紹介していきます。 / 「フジタは細部が勝負」《自画像》《五人の裸婦》《武漢進撃》《シンガポール最後の日(ブキテマ高地)》《アッツ島玉砕》《神兵の救出到る》 / (企画担当者) — 【公式】東京国立近代美術館 広報



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