2011年6月4日土曜日

樋口一葉日記抄 明治27年(1894)6月(22歳) 「唯目の前の苦をのがるゝが為に、婦女の身として尤も尊ぶべきこの操をいかにして破らんや。」(樋口一葉「水の上日記」)

一葉一家は明治27年5月1日、龍泉寺町での雑貨・駄菓子商の店をたたみ本郷丸山福山町に転居します。
一葉はこの終焉の地である丸山福山町で「奇跡の十四箇月」といわれる大飛躍を遂げます。

龍泉寺町時代の日記は「塵の中」と名付けられていましたが、丸山福山町時代の日記は「水の上」と名付けられます。
前者は吉原に隣接する貧民街での生活、後者は池の上に建てられていた家屋にちなんで付けられたもの。
「水の上」は不確かな生活=「漂う」という意味も込められていたのかも知れません。

ただ、「水の上日記」は最初の一冊分と思われる部分が散逸しており、現存しているのは転居より1ヶ月後の6月4日から始まっています。
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明治27年(1894)6月4日
この日、一葉は妹邦子と師の中島歌子の母のお墓に参る。
続けて、この間の久佐賀義孝とのやり取りが記されている。
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そもそもの久佐賀とのつきあいの初めはコチラをご参照下さい。
「一葉、起死回生の捨身の戦術に出る」
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○概要:
久佐賀は、
「歌道熱心のため苦労しているのが憐れであるから、成業の暁まで自分が面倒をみよう。
その代り君が一身を我に委ねてもらいたい」(「妾になれ」)といってくる。

一葉は、
「かのしれ物、わが本性を何と見たのか」と憤慨しながらも、
「我を大事をなすに足りると見るならば、扶助を与え給え。
しかし我を女と見て怪しき筋を考えるなら、お断りする」と返事する。

しかし、憤慨はしても、種を蒔いたのは一葉なのである。
久佐賀にしてみたら、挑発したのはそっちだろう、と思っているのではないか。

このグズグズの関係は、まだ少し続くようだ。
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●「水の上日記」
「かつて天啓顕真術会本部長と聞えし久佐賀のもとに物語しける頃、その善と悪とはしばらく問はず、此世に大(おほい)なる目あてありて、身を打すてつゝ一事に尽すそのたぐひかとも聞けるに、さてあまたゝびものいふほどに、さても浅はかな小さきのぞみを持ちて、唯めの前の分厘にのみまよふ成けり。
かゝるともがらと大事を談(はな)したらんは、おきな子にむかひて天を論ずるが如く、労して遂に益なかるべし。
おもへは我れも、敵(かたき)をしらざるのはなはだしさよと、我れをさへあざけらる。

○(現代語)
以前に天啓顕真術会本部長の久佐賀という人を訪ねて話したことがあった。
その善悪はしばらくおくとして、この世に大きな目的を持ち、身を捨てて邁進するような人と思ったが、何度も話しているうちに、あきれはてたつまらない小さな望しか持たない、目前の僅かな事にばかり迷うような人間であった。
このような人物を相手に大事を語ったのは、幼児を相手に天を論ずるような、全く苦労ばかり何の益もないことだった。
今思えば、相手を見る眼が無かったと、自分のことを嗤ってしまう。
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●「水の上日記」
九日成(なり)けん、久佐賀より書状来る。
「君が歌道熱心の為に、しか困苦せさせ給ふさまの、我一身にもくらべられていと憐(あはれ)なれば、その成業(せいげふ)の暁(あかつき)までの事は、我れに於て、いかにも為して引受ペし。
され共(ども)、唯一面の識(みしり)のみにて、かゝる事を、『たのまれぬ』とも、『たのみたり』ともいふは、君にしても心ぐるしかるべきに、いでや、その一身をこゝもとにゆだね給はらずや」と、
厭ふべき文の来たりぬ。
「そもや、かのしれ物、わが本性をいかに見けるにかあらん。
世のくだれるをなげきて、こゝに一道の光をおとさんとこゝろざす我れにして、唯目の前の苦(くるしみ)をのがるゝが為に、婦女(おんな)の身として尤(もつと)も尊ぶべきこの操をいかにして破らんや
あはれ笑ふにたえたるしれものかな。
さもあらはあれ、かれも一派の投機師(やまし)なり。一言一語を解きざる人にもあらじ」とて、かへしをしたゝむ。
「一道を持て世にたゞんとするは、君も我れも露ことなる所なし。
我れが今日までの詞(ことば)、今日までの行(おこなひ)、もし大事をなすにたると見給はゞ、扶助を与へ給へ。
われを女と見て、あやしき筋になど思し給はらは、むしろ一言にことはり給はんにはしかず。
いかにぞや」とて、明らかに決心をあらはして、かなたよりの返事をまつ。
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○(現代語)
九日だったか、久佐賀から手紙が来た。
「貴女が歌道に熱心に努力している為にひどく困窮していることが、私自身の身にも考え合わせられて、気の毒に思う。その成果がでるまで、私が何とか引き受け致しましょう。
しかし、一面識の間柄で、こんな事を頼まれたり、頼んだりということも、貴女としても心苦しいでしょうから、そこで、貴女の一身を私に任せませんか」という嫌らしい文面であった。

一体あの不届き者は私の本性をどう見ているのか。
世の中が衰えて行くのを欺き、そこの一筋の光をともそうとしているこの私が、ただ目前の困窮のから逃れるために、女にとって最も尊い操を、どうして破ることが出来ようか。
笑うに笑えないほどのの不届き者だ。
ただ、そうは言っても、彼も一箇の相場師だ。こちらの一言一語が分からない人でもあるまいと思って、返事を書く。
「専門の道によって世のために尽くそうということでは、あなたも私も違いはない。
私の今日までの言葉や、今日までの行いを見て、もし大事をなすに足ると思うなら援助を下さい。
私を女とだけ見て、怪しげな事を考えているなら、むしろきっぱり断って下さい。どうでしょうか」
と、はっきり決心を書いて、返事を待つことにした。
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●「水の上日記」
文(ふみ)を出すの夜、返事来る。おなじ筋にまつはりて、にくき言葉どもをつらねたる。
「今は又かへしせじ」とて、そのまゝになす。
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○(現代語)
手紙を出したその夜に返事が来た。
同じことを書き、不愉快な言葉を並べている。
もう返事など出さないと決め、そのままにする。
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「★樋口一葉インデックス」 をご参照下さい。
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