2014年6月9日月曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(100) 「第11章 燃え尽きた幼き民主主義の火-「ピノチェト・オプション」を選択したロシア-」(その8) 「30年に及ぶシカゴ学派のあらゆる実験は、大規模な腐敗と、セキュリティー国家と大企業とのコーポラティズム的共謀の歴史だった」 

千鳥ヶ淵緑道 2014-06-09
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疑わしきは腐敗のせいにせよ

ロシアとイラクの類似点1:
既存の制度を破壊することによってのみ、国家再生の条件が生まれると信じて疑わなかった
 ロシアでショック療法が実施された時期の欧米のニュース記事を読み返していると、当時の議論が10年以上あとに展開されるイラクについての議論とそっくりなことに驚かされる。
EU、G7、IMFは言うまでもなく、クリントンとブッシュ(父)両政権にとっての対ロシア政策の明白な目標は、既存の国家を消し去って弱肉強食の資本主義社会が成立する条件を整え、活況に沸く自由市場経済に基づく民主主義(それを管理するのは自信過剰なアメリカ人の青二才たち)をスタートさせることだった。
武力攻撃を別にすれば、対イラク政策とまったく同じである。
ショック療法に対する情熱がロシアで最高潮に達したとき、推進派の人々は既存の制度を破壊することによってのみ、国家再生の条件が生まれると信じて疑わなかった。
これはのちにバグダッドで「白紙状態」という夢物語として反復される。
ハーバード大学の歴史学者リチャード・パイブスは当時、「ロシアにとって、制度的構造が跡形もなく消え去るまで解体し続けることは望ましいことだ」と書いている。
また、コロンビア大学の経済学者リチャード・エリクソンは1995年、次のように書いた。
「いかなる改革も過去に例を見ないほど破壊的でなければならない。すべての経済制度と大部分の社会・政治制度、さらには生産や資本、技術などの物理的構造まで含めて、社会全体を一掃する必要がある」

ロシアとイラクの類似点2:
すべてが、民主主義への、自由への、復興への、「途上」とされた
 イラクとのもうひとつの類似点は、エリツィンが民主主義と名の付くものをいかに不当に拒否しようと、西側諸国は依然として彼のやり方を「民主主義への移行」の一部として位置づけたことである。
こうした見方は、プーチンが何人かのオリガルヒの違法行為に対して厳しい措置を取るようになるまで変わらなかった。
ブッシュ政権もこれと同様、はびこる拷問や暗殺部隊の暗躍、広範囲にわたる検閲などを示す山のような証拠を前にしても、イラクは自由への途上にあると言い続けた。
ロシアの経済プログラムは常に「改革」と表現されたが、これは破壊が進み、壊滅状態のインフラを残してアメリカの請負がこぞって逃げ出したあとも、イラクが常に「復興」の途上にあるとされたのとまったく同じである。
90年代半ば、ロシアの「改革者」の分別に勇気を持って疑問を投げかけた人々は、ことごとくスターリニズムへの郷愁だと一蹴されたが、これもまた、イラク侵攻を批判する人々がフセイン時代を懐かしんでいるにすぎないと非難されてきたことと相通じるものがある。

ところが、失敗が隠し切れなくなると、その原因をロシア社会のせいにする
 ところが、ロシアのショック療法プログラムの失敗が隠し切れなくなると、今度はロシア社会が「腐敗体質」であるとか、専制的支配を長らく受けてきたロシア人は真の民主主義を受け入れる「段階にまだない」などと、巧みに論点がずらされた。
ワシントンのシンクタンクのエコノミストは、自分たちがその創出の手助けをした”フランケンシュタイン”経済をあわてて否定にかかり、”マフィア資本主義”だとあざ笑った。ロシア人特有の気質の産物だというわけだ。
2001年、『アトランティック・マンスリー』誌は、「ロシアからは絶対に良いものは生まれない」というロシア人会社社員の言葉を引用。
『ロサンゼルス・タイムズ』紙に寄稿したジャーナリストで作家のリチャード・ルーリーは、こう断じた。「ロシア人はじつに惨めな国民であり、選挙とか金儲けといったごく健全でありふれたことでさえ、とことん台無しにしてしまう」。
エコノミストのアンダース・オスルンドは「資本主義の誘惑」だけがロシアを変え、純然たる欲望がロシア再建の原動力になると言い切っていた。数年後、何がいけなかったのかと問われたオスルンドは、「腐敗、腐敗、そして腐敗だ」と、かつて彼が熱っぽく称賛した「資本主義の誘惑」が「腐敗」などとは無関係のごとき口調で答えている。

イラクでも同じ言い逃れを繰り返す
 見え透いた言い訳は、10年後のイラクで、数十億ドルの復興支援金の行方がわからなくなったことの言い逃れとしてくり返される。
違うのは、ロシアでは共産主義と専制政治の遺産と言われたものが、イラクではフセインの残した醜悪な遺産と「イスラム過激派」という病理に取って代わられことだけだ。
そしてイラクでも、銃口を突きつけられての「自由」の贈り物を受け入れようとしないイラク国民に対するアメリカの怒りは、口汚い罵りに変わっていく。ただしイラクの場合、その怒りは「感謝しない」イラク国民についての底意地の悪い論説に現れただけでなく、米英軍の兵士によって一般市民にも直接向けられた。

30年に及ぶシカゴ学派のあらゆる実験は、大規模な腐敗と、セキュリティー国家と大企業とのコーポラティズム的共謀の歴史だった
 ロシアを悪者に仕立て上げることの最大の問題は、歯止めのない自由市場経済を目指す改革運動という、過去30年で最強の政治的潮流の正体について、ロシアでの一連の出来事から何が学べるのかを真剣に議論するチャンスを封じてしまうことだ。
いまだにオリガルヒの腐敗は、本来は意義あるものだった自由市場経済計画に、外部から悪影響が及んだ結果だという言い方がされる。
だが腐敗は、ロシアの自由市場経済改革に外から侵入してきたわけではない。
西側諸国はあらゆる段階で、手っとり早く利益の上がる取引こそ景気に弾みをつけるいちばんの近道だとして積極的に奨励していた。
ロシアのシカゴ・ボーイズとその顧問たちが、社会の諸制度をことごとく破壊したあとに目論んでいたのは、まさに欲望を利用して国家を救済することだったのである。

 こうした壊滅的な結果になったのも、ロシアだけに限ったことではなかった。
チリの「ピラニア」からアルゼンチンの縁故主義による民営化、ロシアのオリガルヒ、エンロンのエネルギー詐欺、そしてイラクの”自由詐欺ゾーン”に至るまで、30年に及ぶシカゴ学派のあらゆる実験は、大規模な腐敗と、セキュリティー国家と大企業とのコーポラティズム的共謀の歴史だった。
ショック療法の核心は、莫大な利益を ー 無法状態にもかかわらず、ではなくまさに無法状態であるからこそ ー またたく間に生み出すチャンスを切り開くことである。
1997年、ロシアの新聞には「ロシア、国際投資家にとってのクロンダイク〔カナダ中西部の金の産地〕に」との見出しが躍り、『フォーブス』誌はロシアと中欧を「ニュー・フロンティア」と表現した。
植民地時代の用語がまさにおあつらえ向きだった。



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