きのう12日はナンシー関の命日でした。亡くなったのもW杯の年(2002日韓)。
きのうは書けなかったけど、W杯がこの季節に開催されるときはナンシー関のことを思い出す。あっ、その後三つ目のワールドカップ(ドイツ、南ア、今回)=12年ってことは「十三回忌」か。
「もしあの人間がもう少し長く生きていたら…」と言われる数では、ナンシー関と織田信長とジークフリート・キルヒアイスがゆるぎない3強だといわれる(俺調べ)。
というのは、確か本当に急逝前の、直前の原稿のどこかで「今回のワールドカップでは、日本が<ひとつの雰囲気>になってしまいそうだ。自分はそこから疎開する」(…かなりゆがんでいるような気がするが大意)というようなことを書いてたのだよ。
疎開という言葉を使ってたかなあ。
あったとして物理的という意味か、精神的なという意味か。
ナンシー関 ワールドカップ で探してみると…ずばり該当の文章はないようだが。
しかし、こんな宝石箱のようなページがあった。
(以下略、続きはこの方のブログでどうぞ)
生きていたら51歳。 私と同い歳、同じカタカナ苗字、同じ北国育ち、ほぼ同じ体型。「来週、蔓餃苑行くね。餃子喰いてー!」が最後の電話でした。最近のテレビの劣化ぶりを、おおいに語って頂きたいものです。きょうは、ナンシー関さんの13回忌。 pic.twitter.com/YBZjStvrHH
— パラダイス山元 (@mambon) 2014, 6月 12
W杯開幕記念に、ナンシー関さんから各国代表選手に^_^ pic.twitter.com/Lc5qvgncyF
— サノキョウコ (@sanouno) 2014, 6月 12
それから、忘れないようにメモ。 ↓
評伝 ナンシー関 「心に一人のナンシーを」 (朝日文庫)
評伝 ナンシー関 「心に一人のナンシーを」横田 増生(著)
ナンシー関さん。ぼくの1歳下。2002.6没。享年39。あれから10年。
「ナンシーのテレビ評の魅力は、これまで漠然と思っていたことを、的確に言語化してくれる点にある。人々の胸の中にあるもやもやとした感情を、平易な言葉と鋭利な論理で明快に説明してくれる。そうしてはじめて人はその事情を笑ったり、不愉快の理由を知って溜飲を下げたりすることができる。ナンシー関はその能力において、一頭地を抜いていた。」(本文より)
テレビのことしか書かない。それも、デーブスペクターやら小倉智昭やら川島なおみやら神田うのやら、論ずる対象はそうしたかたがたであって、読まなくても生活に支障は生じないわけです。サラリーマンの多くはその対象さえ知らなかったりするのです。ぼくもテレビの政策に携わっていたとはいえ、そのコラムに目を通さなければ政策立案に支障を及ぼすなんてぇことは一切なかったのです。
しかしぼくは、ほぼ全ての評論を追っていました。いつも気になっていました。それは宮部みゆきさんが言うとおり「ナンシーさんは テレビや芸能界のことだけを評論しているんじゃなく、社会を映す鏡としてのテレビを評論していた」から。テレビの、あるいはそこに登場するひとびとの、向こう側にある世相を、テレビやそこに登場するひとびとという素材だけを使って料理していたから。政治や経済や世界情勢を語らせても一級のものができたことでしょう。でもそうはしなかった。立ち位置を揺るがせない強さがありました。そして、名付け親のいとうせいこうさんが言う「ナンシーの文体の底にある、配管工がボルトで管をつないでいくような重々しい感触」が読み手をその磁場に絡め取りました。
土屋敏男さん「ボクがテレビ番組を作るとき、半分は視聴者を意識して、残りの半分はナンシーさんがどう見てくれるのかということを意識していました。」大月隆寛さん「みんなどこかでナンシーが見てると思えば、自分で自分にツッコミ入れて、不用意に何かを信じ込んだり、勝手な思い入れだけで突っ走ったりしなくなる。心に一人のナンシーを。」批評された芸能人だけでなく、作り手も評論家も、ナンシーのことを気にしていたのですね。
終生、肩書きは消しゴム版画家。
(以下略)
おっと思い出した。同じ横田増生さんの本でコレ ↓
ユニクロが訴訟を起こしたけど敗訴したんだ。
忘れないようにメモ。
おっと思い出した。同じ横田増生さんの本でコレ ↓
ユニクロが訴訟を起こしたけど敗訴したんだ。
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