林菫
1907(明治40)年
7月
韓帝の各国元首宛親書(常設仲裁裁判所へ保護条約無効提訴の協力要請)を携えたハルバート、ニューヨーク着。
7月
韓国、李完用政府、光武新聞紙法制定。保安法公布。反日的集会・結社禁止。
7月
日仏及び日露間で中国貿易に関する(門戸開放)政策に合意。清国は満州の7都市を国際貿易に開放する。
7月
満鉄、岡松理事、東亜経済調査局設立準備のため渡欧。大連港の潮位潮流測定開始。
7月
岡林寅松・小松丑治、夢野村に「神戸平民倶楽部」開く。
7月
成石平四郎、中央大学法律専門学校卒業。帰郷。
7月
鈴木文治「資本家と労働者」(「新人」)。労資矛盾の所産としての鉱山暴動と資本家の温情主義による解決。
7月
「(七月、白仁三郎(坂元雪鳥)、東京帝国大学文科大学国文学科を卒業する。中村蓊(古峡)、同英文学科を卒業する。)」(荒正人、前掲書)
7月
片上天弦、「早稲田文学」で「漱石一派の作風は現実生活の根本問題から遠ざかっている」と批判。
7月
正宗白鳥「好人物」(「早稲田文学」)。読売新聞に籍を置きながら次第に正式の作家生活に入ってゆく。
7月
大阪最初の映画常設館、千日前電気館が開業。
7月
税法整理案纏まる。前年4月、税法審査委員会は8ヶ月の調査の結果、非常時特別税の存続を蔵相に答申。この年3月、蔵相阪谷芳郎が税法整理審査会を設置。さきの審議会を多少手直しした答申となる。
しかし、政府は、第24議会にはこの整理案以外に酒、ビール・アルコール、砂糖消費税の増税と石油消費税新設を提案するに至る。
7月
東京電灯会社、東京電力会社を合併。資本金2,400万円。
7月
三重紡績・知多紡績と合併。
7月
川崎造船所、兵庫に鋳鋼工場建設。
7月
尾澤組、盛岡に製糸工場設置。
7月
和歌山染工株式会社設立。
7月
1896年9月~。ロレンス、オックスフォドのハイスクールに在学
7月
ドイツ、イタリア、三国同盟を更新。
7月1日
社説「更に一歩進めよ」(「大阪平民新聞」第3号)。主筆森近運平、検挙。第2審で重禁固15日・罰金2円判決。明治41年2月22日入獄。
大杉栄「獄中消息(留守宅宛)」を掲載
7月1日
(漱石)
「(七月一日(月)、白仁三郎(坂元雪鳥)、高須賀淳平、朝日新聞社に正式入社する。(いずれも漱石推薦)西村真次・生方敏郎、坪内逍遥の推薦で入社する。)
七月三日(水)、小宮豊隆宛手紙に、「久しく靴屋の娘を見ず。あれはめかけの由。」と書く。」(荒正人、前掲書)
7月1日
大杉栄の入獄挨拶文「家庭雑誌読者諸君(無題)」(『家庭雑誌』)
7月1日
啄木義兄山本千三郎、鉄道国有法により北海道帝国鉄道管理局中央小樽駅長となる。
7月1日
九州鉄道、北海道鉄道を国有。
7月1日
英軍政下に置かれる前はオレンジ自由国と呼ばれていたオレンジ・リバー植民地、英に自治権を与えられ新憲法制定。
7月1日
ソ連、小説家シャラモフ、誕生。
7月2日
永井荷風(28)、父の配慮で横浜正金銀行リヨン支店へ転勤を命じられる。父の恩に感激するが、素行は改まらない。
7月18日ハドソン河口の波止場を出帆
7月29日パリを経てリヨンに入る。30日正金銀行リヨン支店職員となる。
「文章世界」「太陽」に短編を発表。
イデスとの別れ
「イデスと別杯をくむ。此の夜の事記するに忍びず。彼の女は巴里にて同じ浮きたる渡世する女に知るもの二三人もあればいかにもして旅費を才覚しこの冬来るらざる中に巴里に渡りそれより里昂に下りて再会すべしといふ。あゝ然れども余の胸中には最早や芸術の功名心以外何物もあらず、イデスが涙ながらの繰言聞くも上の空なり」(『西遊日誌抄』7月9日)
9月23日付け西村恵次郎宛手紙
「世間では米国の女と云ふと男の手には合はぬ様に云ふが、其の女の如きは日本の女よりも気立がやさしい。僕は手を切らうと思って随分不親切な事もしたが、遂にだめであった。僕は生活の非常に高いニューヨークでホテルや料理屋の最上等の処をすつかり知つて居るのも、其の女のおかげで、若し僕に一点の良心がなかつたら、悠々として何にもせず其の女に食はしてもらつて居たであらう。いや、其れが先生の志望で、僕はさまざまな誘惑の手段をうけた。フランスに出発する時には非常に面倒だと思つた処が、彼の女は、僕のフランス好な事を知つて居るのと、僕の将来を思つて、泣きながら何とも云はずに出発さして呉れた」
西村恵次郎(渚山);巌谷小波の門下生。博文館の編輯局員
荷風のもう一つの恋(『あめりか物語』「六月の夜の夢」に出てくるロザリン)
この少女とは「決して醜い関係がない」(明治40年9月23日付渚山への手紙)。
ニューヨーク港のはずれにあるスタッテン島で知り合った村娘。荷風はフランス行きが決まり、避暑をかねて一時的にそこに滞在していた。
「四辺(アタリ)を蔽ふ雑草の中に眠れるだけ安楽に眠って了いたい様な気が起り、杖にすがつて、今更の如く、星降る空を遠く打仰ぐ・…‥其の時、突然、前なる小山の上の一軒家から、ピアノの音につれて、若い女の歌ふ声が聞えた……。
自分はこの場合、如何に強く感動したか、誰でも直に想像し得られやう。ハットばかり耳を立てたが、ピアノの音は露の雫の落ちて消ゆるが如く、歌も亦、ほんの一節、つれづれの余(アマリ)に低唱したものと見えて、途絶えたなりに、はたと止み、後は元の明く蕭然(シメヤカ)な夏の夜であった」 (「六月の夜の夢」)
たわいない話が二人の間に交わされ、荷風はこの少女からピアノを習った。
「然し、十時を過ぎた後、毎夜の如く自分は彼の女を送つて外に出れば、今宵は即ち十六夜(イザヨヒ)の、昨日にも勝る月の光。夜毎眺め飽す身にも余りの美しきに、二人は何とも言交す話さへなく、草道を岡の近くまで歩いて来る中、自分は忽然、何とも知れず物哀れさが身に浸み渡つて来るやうな気がしたので、ハツと心を取直さうとする刹那、ロザリンは道傍の石に躓いたらしく、突如、自分の方に倚り掛った……自分は驚い其の手を取ると其のまゝ彼の女はひしとばかり自分の胸の上に顔を押当てゝ了つた。
半時間あまりも、夜露に衣服の重くなるまでも、二人は何の語もなく相抱いたまゝ月中に立竦(タチスク)んで居たのだ」 (同)
「二人は、今此処で、一度(ヒトタビ)別れては何日又逢ふか分らぬ身と知りながら、---一瞬間の美しい夢は一生の涙、互に生残つて永遠(トコシエ)に失へる恋を歌はんが為め、其の次の日からは毎日の午後をば、村はづれの人なき森に、深い接吻を交はしたのであtづたものを……」 (同)
7月3日
韓国、韓国統監伊藤博文、ハーグ平和会議への密使派遣につき韓国皇帝高宗を恫喝。
「かくの如き陰険なる手段を以て日本の保護権を拒否せんとするは、寧ろ日本に対して堂々宣戦を布告せらるるの捷径(しょうけい、近道)なるに若(し)かず。」(『伊藤博文伝』)
伊藤より林菫外相へのこの日付電報
「此際、韓国に対して局面一変の行動を執るの好時期なりと信ず。即ち、・・・税権、兵権又は裁判権を我に収むるの好機会を与うるものと認む」。
つづく

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