2012年9月2日日曜日

志賀原発S―1断層は「活断層」 渡辺教授が危険性指摘(共同通信社)

共同通信社
志賀原発S―1断層は「活断層」 渡辺教授が危険性指摘
 
 原発と活断層の問題に詳しい東洋大の渡辺満久教授(変動地形学)が31日、金沢市で講演し、北陸電力志賀原発1号機(石川県志賀町)の原子炉建屋直下を走る「S―1断層」を「確実に活断層」と指摘した上で「(活断層が)ずれた場合の被害は、建物の耐震構造とは無関係に発生するので非常にまずい」と危険性を指摘した
 S―1断層をめぐっては、活断層の疑いが浮上し、北陸電が8月10日、国の指示に基づき再調査を開始。来年1月末に結果を報告する予定で、国が活断層と判断すれば、1号機は廃炉になる可能性もある。
 渡辺教授は志賀原発の北約9キロ付近にある「富来川南岸断層」についても活断層だと主張した。
(2012年8月31日)

宮城県角田市にて『ツバメの尾羽の不均一な個体を複数確認され、巣から高濃度のセシウムが検出された』と話題(日々雑感)

気になる記事。
「日々雑感」さんの記事(↓)
宮城県角田市にて『ツバメの尾羽の不均一な個体を複数確認され、巣から高濃度のセシウムが検出された』と話題

(原発賠償)紛争解決センター開始1年 和解は7分の1の500件余

NHKニュース
原発賠償の和解成立 申し立ての7分の1
9月1日 16時30分
東京電力福島第一原子力発電所の事故の損害賠償で、被害者と東京電力との和解を仲介する国の「紛争解決センター」が受け付けを開始してから1日で1年です。
しかし、これまでに和解が成立したのは500件余りと、申し立ての7分の1にとどまっていて、迅速な解決をどう実現するかが課題となっています。

東京や福島に事務所がある「原子力損害賠償紛争解決センター」は、原発事故の被害者と東京電力との間で和解を仲介する国の機関です。
受け付けを開始してから1日で1年になりますが、先月31日までに3793件の申し立てに対し、和解が成立して解決したのは520件と7分の1程度にとどまっています。
さらに、和解したケースでも申し立てから解決まで3か月程度という当初の目標が、実際は6か月程度かかっていて、迅速な解決をどう実現するかが課題となっています。
センターでは、仲介を担当する弁護士が不足していることや和解案の提示に対し、東京電力の回答が遅いケースがあったことなどを理由に挙げていて、担当の弁護士を当初のおよそ130人から年内にも280人程度まで増やすとともに、東京電力に対しても早い対応を求めています。
センターの野山宏室長は「被害者の生活再建の第一歩を援助することが私たちの仕事であり、当初の目標である3か月での解決をめざしたい」と話しています。

“紛争解決センターにも改善すべき点”
実際に「紛争解決センター」で和解した被害者からは解決までに時間がかかる現状について、センターにも改善すべき点があると指摘する声が上がっています。
福島県大熊町から埼玉県所沢市に避難している早川三郎さん(73)は、去年9月、原発から2.5キロの場所にある自宅などの賠償を「原子力損害賠償紛争解決センター」に申し立てました。
早川さんが「センター」を利用したのは、東京電力に直接、賠償を請求しても個人の事情や言い分が反映されないのではないかと考えからでした。
しかし、交渉はなかなか進みませんでした。
時間がかかったのは、東京電力が「ことし4月中に不動産の賠償額の算定基準を公表する」としたことが一番の理由でした。
「センター」は「公表される基準を待つ必要がある」と判断して、東京電力との自宅を巡る交渉を一時、ストップします。
しかし、東京電力の基準の発表は遅れ、結局「センター」はことし6月、自宅の購入価格を基に賠償額を算定して和解案を示し、東京電力もこれを受け入れて、先月、ようやく和解が成立しました。
和解が成立したのは申し立てから1年近くたっていました。
早川さんは避難先を出て、福島県内の別の場所に新しく住宅を確保したいと考えていますが、解決が遅れたことで、1年近く見通しを立てることができなかったといいます。
早川さんは「センターが東京電力の基準を待たずに、もっと早い段階で和解案を出していれば、もっと速く解決できたはずだが、東京電力の顔色をうかがっているようにも見えた。被害者は精神的にも経済的にも厳しい状況にあるので、センターにはもっと独自性を出し、威厳を持って対応してもらいたい」と話しています。

2012年9月1日土曜日

東京 北の丸公園 もう少し色づいたコムラサキ 

東京 北の丸公園 あれからもう少し色づいたコムラサキ 2012-08-31
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猛暑と秋のサインと
自然のアンビバレント
また楽し

放射能汚染 長野県御代田町の野生キノコ 基準超セシウム

中日新聞
野生キノコから基準超セシウム   
2012年9月1日 
 県は三十一日、御代田町の山中で採取した野生キノコから、国の基準値(一キロ当たり一〇〇ベクレル)を超える一キロ当たり六三〇ベクレルの放射性セシウムを検出したと発表。栽培業者や県民に対し、御代田町産のキノコの採取や出荷を自粛するよう要請した。
 山中で採取した二種類のキノコを検査したところ、一種類の数値が基準を超えた。県内では、昨年十月に佐久市で採れた野生キノコから、当時の暫定基準値(一キロ当たり五〇〇ベクレル)を超える一二二〇ベクレルの放射性セシウムが検出されている。

放射能汚染 千葉県印旛沼、泥から最大4,600ベクレル

千葉日報
印旛沼、泥から最大4600ベクレル 県の放射性物質検査
2012年09月01日 10:00
 県北西部の河川や湖沼の泥から高濃度の放射性セシウムが検出されたことを受け、手賀沼と印旛沼のモニタリング調査を実施していた県は31日、印旛沼流域の測定結果を発表した。全23地点の泥から1キログラム当たり176~4600ベクレルの放射性セシウムが検出された。
 県は「水で放射線が遮へいされるため生活圏への影響は極めて少ない」としている。水からは放射性物質は検出されなかった。
 最も濃度が高かったのは、印旛放水路のゆらゆら橋(八千代市)地点で4600ベクレル。同放水路の八千代橋(同市)でも4400ベクレルの放射性セシウムが検出された。沼では上水道取水口付近の1050ベクレルが最高だった。

1754年(宝暦4) 久留米藩の百姓一揆 北米オルバニー会議 【モーツアルト-2歳】

東京 北の丸公園 2012-08-30
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1754年(宝暦4)
この年
若狭の村方騒動
遠敷郡名田庄の下村、小百姓が高割を要求。

下村は「天保郷帳」の村高380石余、文化4年の家数66軒の村。
天和元年(1681)、古い株を改め24人を公事人(面百姓)とし、残り40人を脇百姓(小百姓)とし、諸掛り物や村入用を夫々半分ずつ負担。この年、小百姓から高割の要求が出され、面百姓も同意し下中郡代官に願書を提出。宝鏡寺や組庄屋の仲裁で、中間増給銀・草銀・夫米の半分は高割にし、瓦木代の半分も高割、ただし5割5分は面百姓が負担、4割5分は小百姓が負担、その他は古法の通り夫々半分ずつ負担で、面百姓も渋々承知。
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・長崎俵物一手請方問屋、松前藩より一手買請を許され、松前・箱館・江差3港に指定問屋を置く。
延享元年、俵物の物量を確保するため長崎会所は俵物一手請方制をとり、長崎商人の帯屋庄次郎がこれを一手に請負う。
同3年引続き西川伝治が近江八幡商人代表者として、松前、箱館、江差3港の俵物集荷を命じられるが、彼らは松前の俵物を長崎へ直接送るほか、少しでも有利な所で取引を行うため、敦賀、大坂、下関の問屋へも売渡す。
このため、この年、長崎俵物一手請方問屋は、松前藩に対し一手買入れ願を提出、俵物一手請方問屋の住吉屋新右衛門が、松前藩と直接交渉し、昆布に400両、煎海鼠・白干鮑に4000両の運上金を納め一手買請を許される。
長崎俵物請方問屋は、3港に定問屋を置き、各地の場所請負人・生産者から俵物を買入れさせる。指定問屋は、松前は河内屋増右衛門、箱館は長崎屋半兵衛、江差は熊石屋吉三郎の3人。

この指定問屋の設定以降は、これまで集荷に当っていた近江商人も、指定問屋に俵物を売渡さねばならず、集荷過程での近江商人の支配は著しく後退。
これは、幕府による俵物の独占集荷体制の統制・強化を意味し、同時に箱館にとっては、近江商人の支配から離れた集荷問屋の指定により、俵物生産者と地元問屋との関係が、より密接になったことを意味する。
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ベンジャミン・フランクリン「人類および各国の人口増加等に関する考察」
アメリカの急激な人口増加を指摘し、植民地の製造業を抑制するのは誤りと主張。
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・チェコ、学者プロコプ・ディヴィシュ、避雷針を発明。
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2月7日
・千住大橋が架け直される
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2月12日
・フランス、シャルル・モーリス・ド・タレイラン、パリに誕生。宮廷貴族の長子。政治家・外交官。1789~1838年の全ての政権に仕える。
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2月29日
・女流歌人の杉浦真崎(65)、没。
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閏2月
宝暦4年(1754)春の久留米藩の百姓一揆
閏2月22日
久留米藩は財政窮乏の極にあり、参勤交代の費用を欠き、これを人別出銀(にんべつしゆつぎん)で賄おうと試み、8歳以上の者は男女を問わず、人別1人に銀札6匁を納めよと命令。

3月20日夜
百姓800人が竹野(たかの)郡松門(しようもん)寺近くの野原に集まって、嘆願の相談をしているという。
22日には、生薬(いくは)・山本・竹野3郡の集合となって、その同勢2万を超える。
さらに23日には御井(みい)・三原の2郡が立ち、その勢3万という。上妻(かみつま)・下妻(しもつま)・三瀦(みつま)郡は少しく遅れて立つが、これも3万を超えるという。同勢8万の百姓が立ち上がった。
これが、ほら貝を鳴らし、鐘をつき、太鼓を鳴らして、隊を組みながら、藩権力と結ぶ大庄屋や御用商人に打毀しをかけていく。
「群集の鯨波(げいは)、天地に響き、家財諸道具天井板敷打砕く、其音すさまじ共言語に絶し、天魔化生(けしよう)の所為ならんか夥敷(おびただしく)震動す、家に有(ある)限りの品は寸々に切折り、解崩し、家は柱をきり折り、からすを以て巻たふし、尚掛り有る柱はりの類を、斧・なた・段切(だんぎり)・鋸にて残るところなくずたずたになし、屋敷内外諸方を伐たふし、踏祈り或は焼捨て候」
藩は、これを弾圧しようとしたが、遂にそれを抑えることができなかった。

3月26日
ついに藩は、その人別出銀徴収の撤回を申し出る。
その後、この騒動の首謀者が探し出されて25人が処刑されている。
このときの百姓の要求は、人別出銀を中心として、およそ24項目から成り立っていた。人夫役が多すぎることや、御役所の失費が多すぎることなどがあげられているが、紅花や藍の問屋を停止してもらいたいというのもある。商業資本が、これらを独占して売買し、農民の商品経済を圧迫していることを物語っている。
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閏2月7日
山脇東洋、所司代の許可をうけて京都で処刑された罪人の屍体を解剖(日本初の人体解剖)。
この解剖の結果にもとづいて『臓志』(宝暦9年刊)一冊を著わした。杉田玄白(22)、これを聞いて、オランダ医学に興味をもつ。
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閏2月23日
・鯖江藩、新運上に反対した領民が水落森に集合。

内70人ほどが家中へ願い出るが、受け入れられないため江戸へ赴く藩主の駕篭にすがることになる。藩はこれを惣百姓による「徒党ケ間敷騒」と見做すが、結局新運上を断念。
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3月17日
・フランス、ロラン夫人、パリに誕生。
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5月
・北米、ジョージ・ワシントン、ペンシルバニア西部で小規模のフランス軍偵察隊に奇襲攻撃、これを破りフォートネセシティーに立て篭もる。
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6月19日
・。
ニューイングランド、ニューヨーク、ペンシルバニア、メリーランドなどの7植民地代表、オルバニーに会しフランクリン起草になる13植民地の連合案を採択。実現せず。
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原子力委員会秘密会議問題。委員長ら厳重注意、給与1ヶ月返納 のみ!

朝日新聞  2012年8月31日17時14分
原発相、原子力委員長ら厳重注意 推進派のみ非公式会議

 内閣府原子力委員会が原発推進の関係者だけ集めて核燃料サイクル政策について非公式会議を開いた問題で、細野豪志原発相は31日の記者会見で、近藤駿介委員長と鈴木達治郎委員長代理を30日に厳重注意処分にした、と発表した。
 内閣府によると、近藤氏は給与1カ月分、鈴木氏は半月分を自主返納の意向。細野氏は「中立性、公正性、透明性の観点から不適切な実態があったと指摘され、原子力行政への国民の信頼を損ねた」と述べた。

関電、需要ピーク時も原発不要 今夏、大飯再稼働に疑問(共同通信社)

共同通信社
関電、需要ピーク時も原発不要 今夏、大飯再稼働に疑問

 関西電力管内でこの夏(7~8月)の最大電力需要となった8月3日は、大飯原発3、4号機(福井県おおい町)が再稼働していなくても、他の電力会社から融通すれば十分に供給できたことが、共同通信の分析で31日、分かった。

 政府と関電は「再稼働しないと大幅な電力不足になる」として再稼働させたが、当初から政府の需給見通しを疑問視する声は強かった。再稼働は必要ないと反対する声が多い中、「私の責任で判断した」と強調した野田佳彦首相への批判も高まりそうだ。

 関電によると、最大需要は8月3日の2682万キロワット。この日の供給力は、大飯原発3、4号機の計237万キロワットを含む計2991万キロワットだった。

 供給が需要を309万キロワット上回っていたが、関電は「大飯原発がなければ、火力発電所のトラブルや気温の急な上昇があった場合に需給が非常に厳しくなっただろう。不測の事態が重なることもあり、安定供給のために再稼働は必要不可欠だった」とする。

 だが周波数が関電と同じ60ヘルツで電力を融通しやすい中部電力以西の電力5社への取材で、この日の供給余力が計約670万キロワットあったことが判明。2基が稼働していなくても、供給力に問題ない状況だった。

(2012年8月31日)

関連記事
関西電力、「原発がなくても供給力は維持できた」と認める。再稼動の根拠は崩れた。

「朝日新聞」論壇時評8月30日高橋源一郎 「新しいデモ」 「変える楽しみ 社会は変わる」


「朝日新聞」論壇時評8月30日高橋源一郎
新しいデモ 変える楽しみ 社会は変わる

 報道ステーションという番組に出たとき、「尖閣諸島に香港の活動家が上陸した」というニュースのコメントを求められた。ぼくは正直に「そんなことは、どうでもいい問題のように思う。『領土』という国家が持ち出した問題のために、もっと大切な事柄が放っておかれることの方が心配だ」と答えた。

 帰宅すると、ぼくのツイッターのアカウントに数えきれないほどのリプライ(返事)が届き、そこには「非国民」「国賊」「反日」「死刑だ」「お前も家族も皆殺しにしてやる」といった罵倒と否定のことばが躍っていた。

 国家と国民は同じ声を持つ必要はないし、そんな義務もない。誰でも「国民」である前に「人間」なのだ。そして「人間」はみんな違う考えを持っている。同じ考えを持つものしか「国民」になれない国は「ロボットの国」(ロボットに失礼だが)だけだ-というのが、ぼくにとっての「ふつう」の感覚だ。

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 「3・11」から1年半近くが過ぎて、ぼくたちが生きているのは、欠陥に満ちた社会であったことが、多くの人たちの共通の認識になりつつあるように思う。
それでは、どうすればいいのか。どんな社会をつくればいいのか。

①柄谷行人「人がデモをする社会」(世界9月号)
 首相官邸の前に、何万、何十万もの人たちが集まる。そんな風景は何十年ぶりだろうか。長い間、この国では大規模なデモが行われなかったのだ。でも、うたぐり深い人はいて、「デモで社会が変わるのか?」と問うのである。それに対して柄谷行人は、こう答える(①)。

 「デモで社会は変わる、なぜなら、デモをすることで、『人がデモをする社会』に変わるからだ」

 ふざけて、こう答えたのではない。柄谷は、質問者が想定している回答より、ずっと「本質的」な答えを返したのだ。

 「デモで社会が変わるのか?」と問いかけるのは、「それでは、変わらない」と思っているからだろう。あるいは「代議制民主主義の社会だから、その社会を変えるのは、選挙によるしかない」と思っているからだろう。

②佐藤卓己「論壇時評『「孤立的民主主義」はデモで解消するか?』」(東京新聞8月28日付・夕刊)
 もちろん、「『デモによってもたらされる社会』は、必ずしも幸福な社会とは限らない」という佐藤卓己の懐疑には、十分な理由がある(②)。「ドイツのナチ党はデモや集会で台頭したし、それを日常化したのが第三帝国である」ことは事実だからだ。

 だが、ナチ党が主導したデモや集会は「独裁と暴力」を支えるものだった。いま、ぼくたちが目にする「新しいデモ」は、その「独裁と暴力」から限りなく離れることを目指しているように見える。

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③五野井郁夫『「デモ」とは何か』(NHKブックス、今年4月刊)
 「オキュパイ・ウォールストリート(OWS)」運動は、ニューヨークに突然現れ、公園を占拠して、「格差社会の是正」という彼らの主張をデモを含む様々な形でアピールした。その現場を間近で見た玉野井郁夫は、その特徴を簡潔に「リーダーをつくらずコンセンサス(合意)方式で議論を行う『ゼネラル・アセンブリ」(総会)』」に見いだした(③)。そわでわかりにくければ、そこに参加しているひとりの女性に語ってもらおう。

 「意見がごちゃごちゃに分かれて複雑になって、ときには時間がかかることもある・・・本当に言いたいことっていうのは言葉のニュアンスのなかにあって、とことん意見を交わさないとなかなか出てこない。そして互いに耳を傾けあうような環境じゃないとね」

 ぼくは、ここに、独裁を拒む、もっとも有効な知恵を感じる。

④ジーン・シャ-プ『独裁体制から民主主義へ』(ちくま学芸文庫、8月刊)
 一方、ビルマ民主化の影の力となり、「アラブの春」や「OWS」の「教科書」と呼ばれた『独裁体制から民主主義へ』は、独裁に対抗する最大の力は「非暴力」だと宣言している(④)。ナチのデモや集会から80年と少し、前進はあったのだ。

⑤小熊夷二『社会を変えるには』(講談社現代新書、8月刊)
 小熊英二の『社会を変えるには』は、五野井よりもさらに広く、深く、「デモをする社会」の可能性を探った本(⑤)。新書としては異例の厚さになったのは、民主主義あるいは政治をその(宗教的な)起源にまで遡って説明しているから。代議制民主主義は、たかだか数百年前に成立した、政治の一形態にすぎないのだ、という。

 「参加者みんなが生き生きとしていて、思わず参加したくなる『まつりごと』が、民主主義の原点です。自分たちが、自分個人を起えたものを『代表』していると思えるとき、それとつながっていると感じられるときは、人は生き生きとします」

 さらに小熊は「動くこと、活動すること、他人とともに『社会を作る』ことは、楽しいこと」だともいう。誰かが楽しい社会を作ってくれるのを待つのではない。「社会を作る」プロセスの一つ一つが、自分を変え、それに関わる相手を変えてゆく。変わってゆくことは楽しい、と人びとが知ったとき、そこに「人がデモをする社会」が生まれている。

⑥太田昌国「フライデー・ナイト・フィーバーの只中(ただなか)で/あるいは傍らで」(インパクション186号)
 長い間、様々な社会運動に関わってきた太田昌国は、「金曜デモ」に遭遇し、その新しさにとまどい、でもそこに「日常生活では味わうことのない『解放感』」を感じる(⑥)。そして、こういう。

 「楽しさや解放感がある時の、人間の学び方は、広い。深い。早い」

 そこは「相手を罵倒することも否定することもな」い場所だ。そして、そんな場所を作ることだけが、「罵倒と否定」の社会を変えられるのである。


■論壇委員が選ぶ今月の3点
小熊英二=思想・歴史
・中野晃一「『政権交代』とは何だったのか、どう失敗したのか」(世界9月号)
・玄侑宗久「『心的被曝』に喘ぐ福島の現実」(新潮45 9月号)
・相川陽一「山村と地方都市の支えあいをめざして」(ピープルズ・プラン58号)
酒井啓子=外交
・羽根次郎「現代中国を見つめる歴史的視座」(世界9月号)
・タレク・ムラド「チュニジア革命の逆説と希望」(外交7月号)
・吉田徹「欧州ポピュリズムの変貌」(同)
菅原琢=政治
・片山善博、飯尾潤「対談 ”まともな人”が政治家になれない理由」(中央公論9月号)
・五十嵐歌書「消費税が公共事業に化ける時」(世界9月号)
・「特集 激論!日本経済 答えはどこにあるのか?」(週刊ダイヤモンド7月21日号)"
濱野智史=メディア
・佐々木俊尚「『日本の家電』に未来がない理由」(Voice9月号)
・西田亮介「『不自由』な日本の地方--消費社会化は民主主義の敵か」(思想地図β vol.3)
・雨宮処凜「デモのある生きづらくない街」(世界9月号)
平川秀幸=科学
・黒川清「民主主義国家の常識と責任」(同)
・大野光明「大飯原発ゲート占拠・封鎖という『希望』」(インパクション186号)
・最相葉月「子供の権利を忘れた人工授精」(Voice9月号)
森達也=社会
・前田哲男、清水勉、東海林智 座談会「秘密保全法とは何か」(世界9月号)
・ライラ・ハリド、福島被災者ら「パレスチナと福島の対話」(情況7、8月合併号)
・特集「戦争に行くってどういうこと?」(ジュニアエラ9月号)
※敬称略、委員50音順"


■担当記者が選ぶ注目の論点
日本政治 反省的に捉え直す
 停滞する議会政治と繰り返される脱原発デモのなか、日本政治の現状を反省的に、捉え直す論考が目立った。

 「中央公論」は「政治家は『塾』で育つのか」、「世界」は「だれのための政治なのか」の特集を組んだ。

 片山善博と飯尾潤の対談「”まともな人”が政治家になれない理由」(中央公論9月号)では、政治家としての片山の経験をひきながら、政界の参入障壁の高さを指摘。政治家を育てない政党の現状や、議会審議の拙さが、具体的に語られた。

 中野晃一「『政権交代』とは何だったのか、どう失敗したのか」(世界9月号)は、政治主導を掲げた民主党の政権交代劇の意味を分析。「民衆的基盤を欠いた」政権党の交代に止まったと指摘する。

 開沼博「原発を挟んで広がる『南北格差』」(週刊金曜日7月27日号)は原発の北側と南側の格差を浮き彫りにする。原発を巡る議論がエネルギー問題に集中し始めるなか「福島で暮らしていこうとする人々にとって何より求められるのは『生活再建』に他ならない」と主張する。

 新しい「昭和天皇像」を昨年著作で発表した論者同士が対談した伊藤之雄・古川隆久「昭和天皇の決断と責任」(司会・御厨貴、中央公論9月号)は激しい議論の応酬になった。昭和天皇の政治への関わり方の評価を巡り食い違うやりとりからは、政治体制としての「天皇制」の独特の力学を再確認させられる。

 海外情勢で目をひいたのは、アラブの春の端緒チュニジアの現地ジャーナリスト、タレク・ムラドが書いた「チュニジア革命の逆説と希望」(外交7月号)。世界的に注目を集めた、若者たちによるジャスミン革命の後、イスラム主義政党が台頭。低所得層を中心に、イスラムの教えの影響が強まり始めているという。