2013年6月5日水曜日

グローバル化の総仕上げとしての自民党改憲案」(内橋克人X小森陽一、『世界』6月号) (その4) 経済協定としての日米安保条約 

(その3)より

経済協定としての日米安保条約
小森 日本の危機は、日米安保条約体制との関係においてどういうことになっているか。

 日米安保条約は、軍事協定であるとともに経済協定でもある。
日本が湾岸戦争に自衛隊を出せないとなった時から、アメリカの日米安保条約第2条に基づく経済要求のプレッシャーが強くなった。
圧倒的多数の日本人は、そういう構造を知らない。

内橋 日米安保のもう一つの本質は経済協定にある。

第2条の経済協力協定に基づいて多くの品目が輸入自由化され、日本の畑作農業は殆ど壊滅状況に追い込まれた。
農業に不可欠な「肥料」と「飼料」の循環が、安保条約第2条によって断ち切られた。
例えば、穀物用飼料など、強い競争力の米国産飼料がどんどん入ってくる。農業はもともと畑作、稲作、酪農・・・と総合的、循環的なものなので、それが切断されては真に強い農業は成り立たない。

 同じ理由により、森林大国日本が木材輸入大国になってしまった。
JAS(日本農林規格)法が変更され、木材の輸入自由化へ、そして関税ゼロへ。さらにツーバイフォーというアメリカの建築規格にそっくり置き換えられた。
こうして、国産木材の割合は一時、19%まで落ちてしまった。
ようやく今、全体の消費量が少なくなったこともあって26%程度を維持しているが、全国どこへ行っても、山の稜線が崩れている。
林業が成り立たず、間伐その他、森の手入れが難しくなってしまった。

 結局、コメだけは最後の砦として何とか維持してきたけれども、それがTPPで、もはや先行きは不透明だ。

 酪農はどうか。
かつて北海道農業技術研究所長の相馬尭さんはこう指摘した。
「北海道に酪農家は一軒もありません、乳を搾っては大手の乳業会社に納めているだけの搾乳業ばかりですよ」と。
自家ブランドのチーズやバターをつくるような総合的な酪農経営が成り立たない。
北海道は大規模農業が特徴と言うけれども、いってみれば単作、プランテーション型になった。
そうなると農業の真の競争力は削がれる。

 それも日米安保からすれば計算通りの事態で、その長い歴史的総仕上げこそが、TPPということだ。

 これはCSIS(米戦略国際問題研究所)はじめ幾多のアメリカのシンクタンクが自らリポートしていることである。
アメリカは、政権は変わろうともシンクタンクは変わらない。レーガノミクス時代や、また19世紀にまで遡っても、一貫したグローバル・ポリシーの構築、そのためのシナリオが描き続けられてきた。

 改憲草案も、TPPも、これまでのグローバル化の総仕上げであり、それに今、日本経済は取り囲まれようとしている。
 その中で、日本型多国籍企業は何とか生き抜こうともがいているが、その実態は必ずしも強くないし、技術開発力も、かつての力はない。

 経団連は強い危機感をもっている。
原発再稼働を主張し、核燃料サイクルに固執するのは、公共を市場化して、それをいかに利益チャンスに変えていくかという、最後の賭けにでている。

 いま、こうした、矛盾の歴史が一斉に噴き出す総仕上げの時だ。
一見、同時多発テロのようだが、実は、それらは一つにつながっている。
人間知を真に生かす道も閉ざされている。
そういう危機のなかでのTPPだ。

小森 1994年の村山政権を転機として、日米安保条約こそが諸悪の根源だという政治勢力が激減してきた。以来、ほぼ20年間、日米安保条約が諸悪の根源であるとはメディアも殆ど言及しない。
安保体制下でどういう経済的要求がアメリカから来て、日本社会の何が変えられたのかという詳細がきちんと報道されることもなかった。

「小泉改革」の実体も殆どがアメリカの要求だと言っても、それは「陰謀説だ」という反応になるだけだった。
どれだけ日本が日米安保条約体制下でアメリカに利益を吸い取られてきたか、その損失額を改めて一覧表にしてもいいくらいだ。

内橋 『マネー政戦』(吉川元忠著)は、アメリカの政府債を介して日本の富がいかに巧みに吸い上げられていくか、そのメカニズムを鮮やかに描いた著作だが、日米のそうした関係性を浮き彫りにする鋭い解析が、今は殆ど読まれなくなり、日米間の新たな所得移転の仕組みをえぐり出す書籍の類も、現れなくなってしまった。

 構造がきちんと摘出されれば、原発もTPPも改憲も、沖縄も、全ては一つのパッケージであることが、はっきりと浮き彫りになって見えるんだけれど・・・。

小森 恐らくいま30代後半ぐらいの、橋下徹を支持している世代は、物心ついてからやられっぱなしの世代だろう。今年就職した学生たちの多くも、「夢を持つ」などということはあり得ないと思ってきたし、一度も「夢」などは持ったことはないという。

そこまでやられたのも、アメリカの言いなりになってきたからだ。
アメリカから押し付けられた現行憲法を撥ね除けるという「反米」を前面に出した改憲論は、日米安保条約第2条にこそ日本の最大の落とし穴があることに触れさせないための装置として機能させられてきた。

内橋 カモフラージュ、見事なすり替えだ。

小森 そこをどれだけ、それぞれの世代の人たちの気分、感情としてもわかってもらえる対話ができるかどうか。

内橋 自民党改憲草案にいう家族の強調、これはアメリカのネオコン(新保守主義)で経験済みだ。
新自由主義的改革、市場原理主義を急進させた結果、社会がバラバラになった。それでは困るので、社会的統合をもう一度回復しょう。そのためには家族が基本だ、助け合いだ、「絆」だ、と。

労働も分断され、司法も分断され、社会の秩序も崩れつつある。
人々が共通の価値観を持てない社会になった。
行き着く果てに持ち出されるのが、家族、道徳、故郷、愛国心、安倍氏の振りかざす「美しい棚田」。以前は「美しい国」だった。

小森 しかも、その家族を国家がきちっと統合していく、その装置として公教育を使う。
地方自治体も国家支配の道具にしていく。

「絆」とは家畜をつなぐ綱のことだ。

内橋 全てうまくできている。
それらを体系づけているのが自民党改憲草案だ。

小森 私は、3・11以降、「『絆』という言葉を使う人は信用してはいけない」と言っている。

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(敬語、丁寧語を簡略化した)

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