2014年3月3日月曜日

解釈改憲 戦争する国への瀬戸際 (信濃毎日新聞) : 日本は「平和国家」の看板を捨てるかどうか、戦争ができる国になるか否かの分岐点に立っている。

信毎Web(信濃毎日新聞)
解釈改憲 戦争する国への瀬戸際
03月02日(日)

 日本は「平和国家」の看板を捨てるかどうか、戦争ができる国になるか否かの分岐点に立っている。

 安倍晋三首相が目指すのは自衛隊が戦後初めて武力行使に踏み切る道を広げることだ。首相がこだわり続けてきた集団的自衛権の行使容認がその環境を整える。

 国の予算案が衆院を通過し、国会論戦の焦点はこの問題に移る。首相が設けた懇談会が4月に行使容認を求める報告書を提出する。これを「錦の御旗」に憲法解釈を変更する段取りだ。

   <安倍首相の荒っぽさ>

 手法は荒っぽい。首相は憲法を尊重する義務を負っているにもかかわらず、その解釈を一方的に変えて自分自身の信条を実現しようとしている。

 首相がやろうとしていることを黙って見ていると、国民を置き去りにして国の形や針路が変えられてしまう。与野党は安全保障政策の転換で将来がどうなるか、厳しく問いただすべきだ。

 安倍首相は第1次政権のときは改憲に向けた国民投票法や「愛国心」を強調した改正教育基本法を成立させている。与党の「数の力」による強引な国会運営も目立ち、支持を失っていった。

 与党が圧倒的多数になった第2次政権ではさらに、国民の反対が強い特定秘密保護法を成立させるなど安保政策の転換に前のめりになっている。

 1次政権でやり残した課題の実現ばかりに目が向き、姿勢はかたくなさを増したようにみえる。民意よりも自身の保守的な信条を優先している。

   <集団的自衛権は危うい>

 首相が執心する集団的自衛権について歴代の内閣は戦争放棄を定めた憲法9条に照らし、権利はあっても行使はできない、との見解を維持してきた。憲法を守る主体は国であることを理解し、泥沼の戦争にはまり込んでいった過去の経験や反省から抑制的な防衛政策を支持してきた政治家が多かったからではないか。

 安倍首相は逆である。

 第2次政権が発足した直後から憲法そのものを変えることに意欲を示していた。現行憲法の改憲手続きがきついとし、緩めることを訴えた。9条の改定を主眼にしていたことは間違いない。

 しかし、「試合のルール」を自分に都合よく変えるな、といった反発が国民の間で高まると発言を控えるようになった。

 同時に取り組んできたのが、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認である。1次政権のときと同様、今回も行使容認に肯定的な人物を集め、国民に是非を問わずに憲法解釈の変更によって実質改憲を行う構えだ。

 その背景に目を凝らさねばならない。首相は大国化する中国に対抗するため、集団的自衛権の行使容認などのカードを利用して米国に頼ろうとしている。

 しかし、靖国神社参拝などで戦後体制から脱却する姿勢を国内外に印象付けた。戦後日本の道筋を付けた米国は安倍政権に不信感を募らせた。こうした矛盾が外交を不安定にし、米国への傾斜を強めながら安保強化の道へ首相を突き進ませる恐れがある。

 日米同盟をより強固なものとし、結果として抑止力が強化され、自衛隊も米軍も一発の弾も撃つ必要はなくなる―。

 安倍首相は昨年1月に出版した著書「新しい国へ」で、集団的自衛権行使の意義についてこんな説明をしている。別の章では「自衛権を行使することによって、交戦になることは、十分にありうる」とも言っている。

 安保環境が安定するのか、逆に不安定になるのか、分からない記述である。首相は行使を認めた後の国のありようについて深く考えているのだろうか。

   <主張も矛盾している>

 さらに、同書では「わが国の安全保障と憲法との乖離(かいり)を解釈でしのぐのは、もはや限界」と、解釈改憲を否定する。今の首相の取り組みと矛盾している。

 日本が意図しない戦争に巻き込まれはしないか。軍事重視の風潮が強まり国民の自由や権利が制限されはしないか。中国との緊張がさらに悪化し、不測の事態を招くリスクを高めないか…。

 議論すべき課題が幾つもある。いったん容認したらどんな付けが国民に回ってくるか分からない。それほど重い問題である。

 国会でも多くの議員が質問で取り上げたが、首相は「国民的な理解が進むよう努力する」などと素っ気ない答弁を繰り返した。その一方、自身の判断だけで解釈改憲はできると受け取れるような強気の発言もしている。

 憲法に拘束される政府が憲法解釈を勝手に変えることが認められるとしたら、法治国家は成り立たなくなる。国際社会の目も厳しさを増すだろう。行使容認に踏み切ることは許されない。




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