封印された大震災 愛知・半田
シリーズ証言記録 市民たちの戦争
昭和19年12月7日午後1時36分 東南海地震 M7.9
死者行方不明1,223人
うち中島飛行機半田製作所で153人(うち学徒96人)
学徒動員令により全国から10代の学徒(少年少女)が動員されていた。
地震は極秘とされたため、被災地は孤立無援の状態に置かれた。
しかし、米軍は偵察機の撮影(12月10日)でこれを把握し、
「地震の次は何をお見舞いしましょうか」と毛筆で書いたビラを投下する。
12月13日、名古屋大空襲。航空機増産計画は完全に破綻する。
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