2016年1月31日日曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(138) 「第21章 二の次にされる和平 - 警告としてのイスラエル -」(その6終) 「南アフリカでも、ロシアでも、ニューオーリンズでも、富裕層は自らの周りに防御壁を築いてきた。だがイスラエルの切り捨て策はその一歩先に踏み出した。 自分の周りではなく、危険な貧者の周囲に壁を築いたのである。」

材木座海岸 2015-12-28
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イスラエルの分離壁(「防御壁」)ビジネス
 世界各国で要塞化が進むなか(インドとカシミール、サウジアラビアとイラク、アフガニスタンとパキスタンの各国境沿いにも壁やハイテク・フェンスが建設されつつある)、惨事関連業界でもっとも大きな市場となるのは「防御壁」かもしれない。イスラエルの分離壁に対する世界中からの非難の声を、エルビットもマガールも意に介していない - それどころか、ただで宣伝できて好都合とまで考えている - のはそのためだ。

 「この装置を現実に試した経験を持つのはイスラエル人だけだと信頼してもらっている」と、マガールのCEOジェイコブ・エヴェン=エズラは胸を張る。9・11以降、両社の株価は倍以上に上昇したが、イスラエルのセキュリティー関連株はどこも同様だった。・・・

 ・・・イスラエルが「テロ対策」を輸出経済の中心に据えた時期と、和平交渉を放棄すると同時に対パレスチナ紛争を見直す明確な戦略を打ち出した時期とがぴたりと一致するのは、けっして偶然ではない。このときを境に、イスラエルはパレスチナとの戦いを、領土や権利など特定の目標を掲げた民族主義運動との戦いではなく、グローバルな「テロとの戦い」 - 非論理的で狂信的な破壊分子との戦い - の一環として捉えるようになったのである。

 セキュリティー・ブームによって、暴力の継続から利益を得る強力な分野がまたひとつ生まれた
二〇〇一年以降のイスラエル・パレスチナ情勢悪化の主要な犯人が経済だったというわけではない。
 ・・・それでもそうした和平実現が困難な状況下で、九〇年代初頭のように、経済が腰の重い政治指導者を交渉の場に押し出す力になった時期もあった。

 ところがそうした力学を大きく変えたのがセキュリティー・ブームであり、それによって暴力の継続から利益を得る強力な分野がまたひとつ生まれたのである。

貧富の格差拡大
 それまでシカゴ学派の政策が導入された他の国々と同様、9・11以後のイスラエルの経済ブームは国内の貧富の格差を急速に押し広げていった。
 セキュリティー産業の発展に伴って民営化の波が起き、社会支出も削減された。これは労働シオニズムというイスラエルの経済的遺産の事実上の崩壊を意味し、同国がかつて経験したことのない不平等が社会に蔓延することになる。

 二〇〇七年には、国民の二四・四%が貧困層に属し、子どもの貧困率は三五・二%にも達した(二〇年前は八%)。
 ところが、この経済ブームは社会の裾野まで恩恵をもたらさなかった代わりに、ごく一部のイスラエル人、とくに軍と政府に密接に結びついた産業界にとって膨大な旨みがあったため(おなじみの汚職スキャンダルも多発した)、和平実現へのインセンティブがすっかり消え失せてしまったのだ。

イスラエル産業界の政治的方向性は、まさに劇的に変化した
 ・・・テルアビブ証券取引所はもはや中東地域の貿易拠点になることではなく、たとえ四方を強固な敵に閉まれても生き残れるような要塞国家となることを、国の将来像として思い描く。
 その方針転換が明白になったのは二〇〇六年夏、イスラエル政府がヒズボラとの捕虜奪還交渉を放棄して全面戦争へと舵を切ったときだった。イスラエルの大手企業はこのレバノン侵攻を支持しただけでなく、資金援助も行なった。民営化したばかりのメガバンク、レウミ銀行は「われわれは必ず勝利する」「イスラエルは強い」と書かれた車用のステッカーまで配布し、イスラエルのジャーナリストで作家のイツハク・ラオルによれば、「大手携帯電話会社は今回の戦争をブランドを売り込む初のチャンスと捉え、大々的な販促キャンペーンを展開」していた。

 ・・・レバノンと悲惨な交戦状態にあった二〇〇六年八月、テルアビブ証券取引所の株価は上昇した。

 同年一月のパレスチナ評議会選挙で強硬派のハマスが圧勝したのを受けて、ヨルダン川西岸地区とガザ地区での紛争が激化した同年の第4四半期にも、イスラエル経済は八%(同時期のアメリカの経済成長率の三倍以上)という驚異的な成長を遂げた。

 一方、同年のパレスチナ経済は一〇~一五%縮小し、貧困率は七〇%近くになった。

 八月に国連がイスラエルとヒズボラの停戦決議を可決してから一ヵ月後、ニューヨーク証券取引所の主催により、イスラエルへの投資に関する特別会議が開かれた。参加した二〇〇社を超えるイスラエル企業のなかには、多くのセキュリティー企業が含まれていた。

 当時、レバノン経済は文字どおりの活動停止状態にあった。国内約一四〇ヵ所の工場 - プレハブ住宅から医薬品、牛乳まで、ありとあらゆる製造業 - がイスラエルの爆撃やミサイル攻撃によって破壊され、瓦礫の山と化していたからだ。

 だが、ニューヨークで開かれたこの特別会議は戦争の衝撃をものともせず、明るい展望に浮き立っていた。「イスラエルはこれまでずっとビジネスに門戸を開いてきた。それは今も変わりない」と、イスラエルのダン・ギラーマン国連大使は会議の参加者を歓迎した。

だからこれはイスラエルの戦争であるだけでなく、世界にとっての戦争なのです
 ほんの一〇年前・・・和平という歴史的機会を捉えてイスラエルを「中東のシンガポール」にしようと呼びかけたのは、当時イスラエル商工会議所連合会会長の座にあった、ほかならぬギラーマンだった。そのギラーマンが今や戦争支持のタカ派の急先鋒となり、さらなる暴力拡大を主張していた。CNNに出演した際、彼はこう発言している。「すべてのイスラム教徒はテロリストだと言うのは差別的かもしれないし、事実に反しているかもしれない。けれどもほとんどのテロリストがイスラム教徒だというのはまさに事実だ。だからこれはイスラエルの戦争であるだけでなく、世界にとっての戦争なのです」

世界規模の戦いの終わりなき継続というイスラエルの目論見
 世界規模の戦いの終わりなき継続というイスラエルの目論見は、9・11後にブッシュ政権が生まれたばかりの惨事便乗型資本主義複合体に対して提示した事業構想と同じものだ。
 それはどこかの国が勝利するという戦争ではない。そもそも勝つことは重要ではない。壁の外側で低レベルの紛争が果てしなく続くことによって強化される要塞国家を築き、その内部の「セキュリティー」を保つことこそが重要なのだ。

 ある意味では、イラクで民間セキュリティー企業がやろうとしていること - 周辺を固めて本体を守る - と同じである。バグダッドやニューオーリンズ、そしてサンディ・スプリングスといった都市は、惨事便乗型資本主義複合体によって築かれる未来の要塞社会を垣間見せてくれる。だが要塞化がもっとも進んでいるのはイスラエルだ。なにしろ国全体が要塞化されたゲーテッド・コミュニティーと化し、壁の外には永久に見捨てられた人々が暮らすレッドゾーンが広がっているのである。

 ある社会が平和構築への経済的インセンティブを放棄し、勝利者のいない終わりなき「テロとの戦い」を戦い、それによって利益を得ることにのめり込んだときの姿が、まさにここにある。それは、イスラエルのような部分とガザのような部分で構成される、分断された社会である。

 ・・・惨事便乗型資本主義複合体はいわゆる低強度紛争と言われる状況を好むが、ニューオーリンズからイラクまで、災害や惨事に見舞われたあらゆる地域が行き着く先もそこにあるようだ。

 二〇〇七年四月、米軍はバグダッドのいくつかの危険区域のゲーテッド・コミュニティー化に着手した。その地域の周辺をコンクリートの塀で囲い、検問所を設け、生体認証技術を使って住民の出入りを管理しようという計画である。「俺たちもパレスチナ人のようになるんだろうよ」と、アドハミヤ地区のある住民は、自分の住む地域が塀で囲われていく様子を見ながら言った。

 バグダッドを第二のドバイに変えたり、ニューオーリンズをディズニーランド化したりできないことが明らかになれば、次なる計画はコロンビアやナイジェリアのようにすること - つまり「終わりなき戦い」を継続させることだ。戦闘はおおむね民兵か傭兵に任せ、紛争をあるレベル以下に抑えつつ、傭兵たちにパイプラインや発射基地や水資源を守らせて天然資源を首尾よく手に入れるという寸法である。

 ・・・「被占領パレスチナ地域(OPT)で施行されているイスラエルの法律や政府によるやり口はアパルトヘイト政策とじつによく似ている」と、南アの弁護士で国連パレスチナ人権問題特別報告官を務めるジョン・デュガードは、二〇〇七年二月に述べている。

 たしかにきわめてよく似ているが、両者の間には違いもある。南アのバンツースタンは実質的には労働キャンプであり、アフリカ人を厳しい監視と支配のもとに置いて鉱山労働者として安くこき使うことを目的としていた。しかしイスラエルで考案されたシステムは、それとはまったく逆の考えに立っている。パレスチナ人労働者に仕事を与えず、数百万の人間を「余計者」として放置しておこうというのだ。

 ・・・南アフリカでも、ロシアでも、ニューオーリンズでも、富裕層は自らの周りに防御壁を築いてきた。だがイスラエルの切り捨て策はその一歩先に踏み出した。 ー 自分の周りではなく、危険な貧者の周囲に壁を築いたのである。
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