江戸城(皇居)東御苑 二の丸雑木林 2013-08-28
*1772年(明和9/安永元)
9月
・南鐐二朱銀の鋳造。
「南鐐弐朱判吹立に付御触書
此の度通用のため、吹抜き候上銀南鐐と唱へ候銀を以て、弐朱の歩判仰付けられ候間、右歩判八つを以て、金壱両の積、文字銀並びに銭共、時の相場の通り、滞り無く両替致すべき事。
一、右弐朱銀両替に付、切賃の儀、是又金と同様相心得、取遣し致すべき事。
一、弐朱銀包の儀は、文字銀と違ひ、銀座に於ていたし候間、其の通り相心得申すべき事。
右南鐐弐朱銀の儀、金と同様通用のため仰付けられ候間、滞り無く通用致すべき事。
安永元年九月」(「徳川禁令考」)。
南鐐弐朱銀の批判
「廿年以来諸色高直に相成り候儀は、弐朱銀出で候てより西国方金相場段々下直に相成り候。
大坂表にて其の以前金両に付六拾匁より七拾弐三匁迄高下御座候処、唯今にては五拾匁五拾五六匁相成り候故、先年よりは金の位悪敷相成り申し候。
凡そ金銀は陰陽にかたどり候物とやらん承り候。
右の直違にて陽衰へ陰盛に相成り候道理にて、陽の日影衰陰盛に相成り候故、兎角雨天にて水難多く御座候。
何れ陰陽和合仕らす候ては、五穀成就仕らざる道理歟と存じ奉り候。
陽の金の位悪敷相成り候儀は、弐朱銀四文銭出来候てよりの事と存じ奉り候。
先年の通りに弐朱銀四文銭通用相止め候はば、金銀の位に和合仕り、近々の内諸色下直相成り、三十年以前のごとく国土繁昌時節に立帰り申すべしと存じ奉り候事」(「下駄屋甚兵衛上書」)。
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9月3日
・フランス、サド候爵、不在のまま裁判。死刑判決が出る。
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9月17日
・ロシア、プガチョフの乱
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10月24日
・モーツアルト、第3回イタリア旅行(1772年10月24日~1773年3月13日)
モーツアルト父子、ザルツブルク出発。午後8時前、ザンクト・ヨハン到着。
第1回目イタリア旅行の際、1773年ミラノの謝肉祭の為のオペラ「ルーチョ・シッラ」(K.135)作曲依頼を受けており、このオペラの作曲・上演のためにミラノへ。
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10月25日
・午前7時、モーツアルト父子、ザンクト・ヨハン出発、
午後10時、インスブルック着。
26日、モーツアルト、ハルに散策、女子修道院を訪問してオルガンを弾く。
27日、父子、インスブルック出発。ブリクセン(ブレッサーネ)着。
28日、ボーツェン(ボルツァーノ)着。ドミニコ派修道院を訪問。モーツァルトは「あんまり退屈なので」、「弦楽四重奏ニ長調」(K155)を書く(10月28日付レオポルトの手紙)。
29日午前5時、ボーツェン(ボルツァーノ)発、
正午トレント、夕方ロヴェレート着。「弦楽四重奏曲(第2番)ニ長調」(K.155(134a))作曲(この曲から第7番K.159a (160)までの6曲は「ミラノ四重奏曲」と呼ばれる)。
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11月1日
・モーツアルト父子、ヴェローナ着。オペラ観劇。
4日正午、ミラノ着。
音楽劇「ルーチョ・シッラ」(K135)(3幕23曲)作曲開始(2年前のイタリア旅行のとき、1773年のカーニヴァル用としてこのオペラの作曲を委嘱。名歌手アンナ・デ・アミーチスのために全力投入)。
フィルミアーン伯爵邸に伺候。
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11月2日
・北米、ボストン独立派アミュエル・アダムス、植民地側団結のため通信委員会結成。
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11月4日
・幕府、亀田藩が1753年以来雄物川を通る船に課してきた税を禁止。
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11月19日
・「安永」に改元。
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12月8日
・サド候爵、逃亡中のシャンベリーで逮捕。9日、ミオラン牢獄に投獄。
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12月23日
・モーツアルト、「ルーチョ・シッラ」(K.135)の総練習終了。
26日、フェルディナント大公と大公妃臨席の下、大公家宮廷歌劇場でオペラ・セーリア「ルーチョ・シッラ」 (K135) 初演。王立劇場所属詩人デ・ガメッラ台詞、大詩人メスタージョ訂正、プリマドンナ、デ・アミーチス夫人、ミラノ宮廷劇場
~翌年1月、20回以上再演されるが、失敗作。
このオペラが一つ決定的運命をもたらし、これを最後にモーツァルトは、イタリアの劇場との繋がりを絶つ。
以後、マルティーニ神父との手紙のみがイタリアとの接点。
しかし、イタリア旅行は、モーツァルトの作曲に大きな影響を与え続ける。
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1773年(安永2)
この年
・馬鈴薯が、ヴィクデソス(ピレネー東部)で栽培される。
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・ゲーテ(24)、『鉄の手のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』公刊。大きな注目浴びる。
『ウル・ファウスト』(『初稿ファウスト』)に取りかかる。スピノーザや『コーラン』耽読。
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1月16日
・モーツアルト、「ルチオ・シラ」のチェチーリ役を勤めるカストラートのラウツィーニの為、モテット「エクスルターテ・ユビラーテ(踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ)」(K.165(158a))作曲。
17日、ミラノ、テアチノ修道会教会で、「エクスルターテ・ユビラーテ(踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ)」(K.165(158a))を初演。就職活動失敗。
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2月
・木喰五行明満上人(56)、日本廻国の大願を立て有名社寺を詣でる。
4月初旬、秩父谷入り。
木喰五行は上州から秩父へ入り、34番水潜寺から始める逆打ち(期間を短縮する便法)を行い1番四万部寺で打ち終える。しかし、翌安永3年3月にも木喰五行は再度秩父谷へ入る。この時は、相模から武蔵の秩父へ入り、1番から正規の巡拝を行う。
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・ヨーゼフ・シュタルツァーのバレー音楽をモーツァルトが記憶によって記したと思われているスケッチ「後宮の嫉妬」(K.Anh.109(135w))作曲。
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3月
・~5月.江戸で疫病流行。死者19万。
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・モーツアルト、ディヴェルティメント変ロ長調(K.186(159b))作曲。終楽章は未完のバレー音楽「後宮の嫉妬」から流用。
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3月3日
・モーツアルト父子。ミラノ出発。
10日、トレント到着。
11日、ブリクセン到着。
12日、インスブルック到着。
13日、ザルツブルクに戻る。(第3回イタリア旅行終る)
父レオポルトはミラノで自分の病気を口実にして帰郷を延ばし、息子の就職先を探したが失敗に終る。1777年9月23日迄、ザルツブルクでの音楽家生活。
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3月12日
・北米、ヴァージニア植民地議会、独立の実現に向けて通信委員会結成。
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3月15日
・オーストリアの宰相となるメッテルニヒ、誕生。
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3月24日
・モーツアルト、ディヴェルティメント 変ホ長調 (K166=K159d)。
30日、シンフォニー (第26番) 変ホ長調 (K184=K161a)。
イタリア旅行からザルツブルクに帰って間もなく9つの交響曲(第22~30番まで)作曲、その自筆譜は父の手で纏められ合本とされ、作曲時期が消されてしまう。 これらはレオポルト合本と呼ばれる。
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