ゴヤ『戦争の参加』21番「いつも同じこと」
*スペイン市民戦争で失われたゴヤの最初の作品
「一九三七年の「戦争の惨禍」からは、テルエールーベルチーテーサラゴーサ間の攻防となれば、われわれのゴヤの生地であるフエンデトードスの村もまたまぬがれるわけには行かなかった。
村自体はそれほどにひどく荒されたわけではなかったのであるが、教会が燃やされてしまった。そうしてこの教会のなかに、ゴヤの最初の作品、最年少時の作とされていたものがあった。・・・
これらの絵は失われた。前者は一七六二年、後者は一七六八~六九年頃の作と伝えられていた。彼が生れた一七四六年から勘定をして、一六歳の頃の作ということになる。
さらにもう一つ、これはゴヤ自身の作にかかわるものではないが、一九四五年まで生きていたバスク人の画家イグナシオ・スロアーガが、この教会の前の広場に一九二〇年に建立させたゴヤの記念像が、頭に三発の銃弾をうけて吹き飛んでしまった。」
この絵について:
「画家の友人のマルティン・サバテールの伝えるところによれば、一八〇八年の、ナポレオン軍による第一次サラゴーサ包囲戦の後に、生れの村を訪れたゴヤ自身が、教会にあったこれらの若書きを見て、
「おれが描いたなんていわんでくれよ!」
と叫んだと村の老人が語ったということであった。その老人は、そのときすでにゴヤは聾で、従者と指を使っての聾話サインで話していたというから、この挿話は正確なところを伝えているものであるかもしれない。」
ベルチーテで何が起ったか(ゴヤ『戦争の惨禍』とピカソ『ゲルニカ』)
「一九三七年八月二二日、スペイン市民戦争のさなかである。共和国軍は、ナショナリスト・フランコ軍によって占拠されつづけていたテルエール---サラゴーサ間の連絡路を断ち切るべく、万難を排してという決意で攻撃を開始した。
共和国軍は、ポサスという将軍によって指揮され、その麾下には八万の市民兵がいた。・・・これにつけ加えて、飛行機二〇五機、大砲一六〇門、一〇〇台の戦闘用車輌があった。またさらに、マドリードとパルセローナの共和国軍司令部は、それぞれによりぬきの共産主義者兵団及び無政府主義者兵団とを派遣していた。リステル及びモデストがそれぞれの指揮官であった。これに加えて、国際義勇軍数箇大隊が派適された。
戦闘は三ヵ月にわたって織烈をきわめた。双方ともに、残忍かつ徹底的な殺し合いであった。」
「一九三七年八月二四日の明け方、前記モデスト、リステル指揮下の市民軍二箇師団及び共産主義者によって構成されたカール・マルクス師団、これに加えて国際義勇軍の第三、第五旅団の、総兵数八〇〇〇が、フエンデトードス村からわずか一八キロ東方にあるベルチーテ市に攻撃をかけた。猛烈な砲撃の後に、フランス及びソビエト製の戦車一八台を先立てて、徹底的な破壊と、殺戮が行われた。たてこもった二〇〇〇人のナショナリスト軍のうち、脱出しえた者は二〇人たらすでしかなかった。・・・
・・・
このとき、ナショナリスト軍の看護婦であった某女は、司祭一名、他に一五名の将校とともに銃殺刑に処せられた。」
「そうしてゴヤの時代、一八〇八年には、同じこのベルチーテの町で、シュシェ将軍指揮下の一万四〇〇〇のフランス軍が、これまた前代未聞の殺戮を行なったものであった。ここで二万六〇〇〇のスペイン人たちが殺された、というよりもフランス兵の銃剣とサーベルで切り刻まれたものであった。スペイン市民兵(ゲリーリャ)たちの装備はたかが知れていた。『戦争の惨禍』は、ゴヤが自作版画への添え書きに言うように、たとえ人が「そのために生れて来た」(第一二番)のではなくても、一八〇八年も一九三七年でも、「いつも同じこと」(第二一番)なのである。
一八〇八~一二年の抗仏独立戦争の際のゴヤの版画『戦争の惨禍』と、一九三六~三九年の際のピカソの『ゲルニカ』とは、その「惨禍」において相呼応するものである。」
サラゴーサからフエンデトードスへの道:
来なければよかったというに近い感情に襲われる
「サラゴーサから石だらけの野を越え、また灰色の、石灰質の丘を越えてこの画家の生れの村へ近づいて行くとき、この画家に強い関心をもった人ほど、なにかしら憂鬱な、しかも胸をしめつけられるような、暗い、ある意味ではまことに嫌な、来なければよかったというに近い感情に襲われるようである。
真夏ならば、大抵は三五度を越えている酷烈な陽光に焼かれなければならないし、冬ならばピレネーおろしの寒風にさらされなければならない。そうして雪もある。
車をとめて路傍の草花をでもつもうとすれば、大抵の植物にはトゲがあり、赤いケンの花でも、茎の高さはせいぜい一五センチくらいしか伸びえないのである。
やがて村の教会の塔が見えて来る。前記の、再建された醜い教会が、海抜八〇〇メートルの小さい丘の上に建っている。村はこの教会をめぐって、丘にこびりついているのである。いずれの建物も、黄色味をおびた灰色の石で積まれた二階屋である。」
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