蔵前橋から隅田川 2013-09-20
*1774年(安永3)
この年
・イギリス、フォークランド島の防衛が財政的に困難となり島を放棄。
東フォークランドには引き続きスペイン人が居留。
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・イギリス、クロンプトンが、アークライトのウォーターフレーム(水力で動く織機)を更に改善(ミュールジェニー)。
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・ゲーテ(25)、「若きヴェルテルの悩み」を短期間で完成、発表。センセーションをまき起こす。
「ゲッツ」成功とともにシユトゥルム・ウント・ドランクの輝かしい旗手となり、ヨーロッパ的名声を得る。
戯曲「クラヴィーゴ」を書く。
ワイマル公国カール・アウグストと知り合う。
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・トマス・ジェファソン「イギリス領アメリカの諸権利概要」。ジョン・ロック「統治二論」の能力主義社会(メリトクラシー)に依拠。アメリカ植民地人の行動を支える思想的基盤。
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・トマス・ペイン、アメリカに渡る。
「ペンシルヴァニア・マガジン」編集に参加、フィラデルフィアの急進的愛国派の一員となる。
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1月
・小浜藩(9代酒井忠貫)、西依墨山を教授として藩校「順造館」、開校。
初代藩主忠勝以来、儒学を中心とする藩学振興に注力、若・越諸藩中で最も早く藩校を創設。
寛保3年(1743)7代忠用の時、京都の若林強斎の望楠軒塾(崎門学派)に学ぶ藩士山口春水の推薦により、望楠軒の講主の小野鶴山を招く。
また、これより先の元文2年(1737)6代忠存は江戸で儒者稲庭正義(迂斎、山崎闇斎の高弟佐藤直方の門弟)を召し抱え、延享2年(1745)正義は小浜に居を移す。
明和7年(1770)鶴山没後、望楠軒4代目講主の西依墨山が招聘され、この年(安永3年)正月九代忠貫の時、墨山を教授として藩校順造館が開校。
古学派(仁斎学派)の家中教授役中村彦六は解職され、藩学はこれ以後崎門学に統一され、順造館は崎門学派の教授によって指導される。
墨山の後は、その子孝鐸、さらに孝鐸の子孝博や大沢鼎斎等によって指導される。
この年5月、藩の老中は「子共若キ者行儀」について、学問所での指導だけでは不十分なので、家庭における指導を徹底するよう指示。
天明2年正月の「順造館惣壁書」によると、校内では礼儀を守ることが重視され、朱子学以外は異学として禁止されている。
また、同月順造館教授の名で出された「規則」には、「子弟朋友の交、信義を以て主本となし、礼譲の重此館中第一義なり」と師弟間の礼儀を重んじている。
順造館では、8~15歳を内舎生として素読を行い、16歳以上を上舎生として歴史および経義の講習をさせる。
教科書は四書五経のほか「小学」「近忠録」「靖献遺言」、日本・中国の歴史書など。
開校時刻は辰の刻(午前8時頃)~未の刻(午後2時頃)で、会読などで残る場合にはそれ以後の在校も認める。
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・モーツアルト、前年末からこの年の初めにかけて、ザルツブルクでK.123a (381) 四手のためのピアノ・ソナタ(ニ長調)作曲。ソナタ変ロ長調K.358と双子の作品(?)。
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1月30日
・フランス、マリー・アントワネット、アクセル・フォン・フェルセン伯爵と初めて会う。パリのオペラ座。
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2月3日
・ルソー、グリックのために写譜をする。
グリックはオペラ「オーリドのイフィジェニー」を成功させるべく前年11月からパリに来ていてルソーを訪問し、知己の間柄となる。
4月19日、オペラ初演。ルソー感動。
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3月
・~5月、イギリス、北米への強圧的諸法(ボストン港閉鎖法、マサチューセッツ統治法、公正裁判法、宿営法+ケベック法)。
ピット(チャタム伯)はベンジャミン・フランクリンと協力して議会に植民地との和解をはたらきかける。
エドマンド・バークも有名な演説によって和解を訴える。
しかし、ノース首相はジョージ3世の強い意志を背景に植民地抑圧政策を打ち出す。
「ケベック法」はカナダ人にには高度の自由を与えるもの。これによりカナダはイギリス領内自治領への道を進む。
ケベック条例:
新たに併合されたカナダ住民を満足させ、彼らがイギリス植民地での不満に同調しないようにすることを目的とする。この法令により、カナダ人は自分たちの言語、宗教、制度の維持を認められるが、旧来のイギリス植民地とカナダ間の交流はできなくなり、イギリス植民地住人に不満を与える。
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3月26日
・カルカッタに最高法院が設置
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4月
・第一次露土戦争。アレクサンドル・スヴォーロフはバルカン半島に侵攻。
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4月4日
・ウィーン、モーツァルト作曲、合唱音楽(K.173d)を含むゲープラーの「エジプトの王ターモス」初演。
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4月6日
・モーツアルト(18)、「交響曲(第29番)イ長調」(K.201(186a))作曲(レオポルト合本第7番)。
前年冬からの三部作「K.200 ハ長調、K.183 ト短調、K.201 イ長調」は1788年の三大交響曲を予示するものと言われる。 ただし父はこれらを良く思っていない。
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4月19日
・イギリス、エドマンド・バーク「アメリカ課税演説」。北米植民地との和解を訴える。
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4月24日
・勝山藩の打毀し。
藩勝手方の京都商人高橋丈右衛門の借宅と富商7軒を打毀し。
「廿四日ノ夜ニ入、勝山領分之百姓一党シテ勝山ノ町人泉屋茂八・番匠屋・米屋嘉兵衛・吉崎屋・高橋条右衛門・児玉俊太夫・道具屋久右衛門、右七軒ヲ家財不残潰ス」(「橘宗賢伝来年中日録」同日条)。
米屋は藩年貢米を扱い、児玉俊太夫は人足等の口入れ業を営む。
引き金は勝山藩の御用金賦課。
打毀しには同藩領岩屋村の者が真っ先に乗り込み、黒頭巾・黒股引と全身黒装束で顔を隠した男が万事指図をしていたという。
御用金は当時高橋に代わって勝手方を担当する平泉寺玄成院が負担すること、および高橋の身柄引渡しを藩へ要求。
藩は直ちに御用金中止を告げ、また勝山町方が高橋追放を請け負ってこの一件は終る。
前の藩勝手方宅を打毀すことを主目標とし、それが私腹をこやす有力商人へまで広がった騒動。
指導者・処罰などは不明。
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4月27日
・仏、ルイ15世、トリアノン離宮で体の不調を訴える。
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5月5日
・モーツアルト、交響曲(第30番)ニ長調(K.202(186b))作曲(レオポルト合本第8番)。 女王・童貞聖マリアのためのリタニアニ長調(K.195(186d))作曲。
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5月10日
・フランス、ルイ15世(64)、没。
孫ルイ・オーギュスト(20)がルイ16世として即位。
9日付けで、ルイ15世寵姫デュ・バリー夫人、ヴェルサイユから追放され、ポン・トー・ダム尼僧院に行く。
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5月31日
・モーツアルト、2つのヴァイオリンのための協奏曲ハ長調(K.190(186E))作曲。
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6月
・ルソー、「ダフニスとクロエ」(作詩コランセ)の作曲を始める。
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6月1日
・イギリス、ボストン港閉鎖法が発効。北米各地が連帯。
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6月4日
・モーツアルト、ファゴット協奏曲変ロ長調(K.191(186e))作曲。
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6月11日
・フランス、ルイ16世、ランスで戴冠式。
帰路、ロベスピエール、ルイ大王学院ラテン語優秀学生として祝いの詩を朗読。
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6月22日
・イギリス議会、米植民地への弾圧立法「ケベック法」成立。
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6月24日
・モーツアルト、ミサ・プレヴィス へ長調 (K192=K186f)<小クレードミサ>作曲。<クレード>の主題はシンフォニー(第1番)第2楽章、シンフォニー(第40番)フィナーレに使われている。
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