ジュウガツザクラ 江戸城(皇居)東御苑 2014-10-16
*ジョージ・シュルツ(元国務長官)の場合
「そのほかのイラク政策に関する重要な任務もまた、戦争によって未曽有の収益を上げていた企業を経営する民間人特使に託された。二〇〇二年に創設されたイラク解放委員会の委員長にはジョージ・シュルツ元国務長官が就任した。これは戦争の正当化を国民に吹き込むことを目的に、ホワイトハウスの要請によって設置された圧力団体で、シュルツは忠実に自分の役回りに徹した。政府から独立した立場であることから、フセイン政権がいかに危険かについて、なんの証拠も示すことなく国民のヒステリーを煽ることが可能だった。
・・・(彼は)かつてCEOとして長く君臨したベクテルの役員を務めている・・・
シュルツが崩壊すべきだと熱く主張したそのイラクで、同社はやがて二三億ドルの復興事業契約を受注することになる。」
「シュルツが率い、戦争遂行の具に利用したこの委員会を結成したのは、わずか三ヵ月前までロッキード・マーティンの戦略企画担当副社長を務めていたブルース・ジャクソンだった。本人によれば、「ホワイトハウス関係者」を中心に委員会を結成するよう要請されたというが、彼が集めたのはロッキードの元同僚だった。こうしてジャクソンのほかに、宇宙戦略ミサイル担当副社長のチャールズ・クツパーマン、防衛システム担当責任者のダグラス・グラハムなどの同社関係者が委員に就任した。この委員会がホワイトハウスの肝煎で戦争プロパガンダを目的に設置されたことは明らかだったにもかかわらず、誰一人としてロッキードを辞職したり所有株を処分する必要はなかった。これはメンバーにとって間違いなく吉と出た。委員会がその遂行を助けた戦争のおかげで、ロッキードの株価は二〇〇三年三月の四一ドルから、二〇〇七年二月には一〇二ドルへと一四五%も上昇したのだ。」
ヘンリー・キッシンジャー(元国務長官)の場合
「ジャーナリストのボブ・ウッドワードは二〇〇六年の著書『ブッシュのホワイトハウス』のなかで、チェイニー副大統領がキッシンジャーと毎月会合を持つ一方、ブッシュ大統領も二ヵ月に一回程度はキッシンジャーと会うと指摘し、彼は「外交問題において大統領がもっとも頻繁に会う外部顧問」だとしている。またチェイニーは、「ヘンリー・キッシンジャーほど頻繁に話をする相手はたぶんほかにいない」とウッドワードに語っている。」
「彼(キッシンジャー)は一九八二年に、秘密主義の非公開コンサルタント会社キッシンジャー・アソシエーツを設立、その顧客リストにはコカ・コーラからユニオン・カーバイド、ハント石油、フルーア(大規模なイラク復興事業契約を獲得した)、さらにはチリ政権転覆の隠密作戦の際に手を組んだ国際電話電信会社(ITT)まで、幅広い企業が名を連ねていると言われる。」
「二〇〇二年一一月、ブッシュによって彼が「9・11委員会」の委員長(愛国心に燃える政治家が引退後に就くことのできるもっとも重大なポストと言っていい)に任命されたあとのことだった。犠牲者の家族グループが、調査の過程で公私の利害衝突が起きる可能性があるとして、キッシンジャーに彼の会社の顧客リストを公開するよう要求したところ、彼は国民に対する説明責任と透明性という基本的姿勢すら示すことを拒否したのである。顧客名を公表する代わりに、彼は委員長の座を辞すほうを選んだ。」
リチャード・パール(元国防次官補)の場合
「レーガン政権で国防次官補を務めた経験を持つパールは、ラムズフェルド国防長官の要請を受け、国防政策委員会の委員長に就任する。それまでこの委員会は前政権の国防政策を現政権に引き継ぐことを任務とするごく地味な諮問機関だったが、パールはここを自らの活動基盤とし、その肩書を振りかざしながらイラク先制攻撃を煽る発言を精力的にマスコミで展開した。そればかりか、『ニューヨーカー』誌のセイモア・ハーシュの調査記事によると、パールはこの肩書を利用して自らの新会社への投資を勧誘したという。実際、パールは9・11後にすかさず行動を起こした惨事便乗型資本家の一人であり、事件のわずか二ヵ月後、セキュリティーや軍事に開通するサービスや製品を開発する企業に投資するベンチャー企業トライリーム・パートナーズを設立した。同社への投資を勧誘するビジネスレターは、政治的コネクションを誇らしげに謳っている - 「弊社のマネジメント・グループのうち三人は現在、国防政策委員会のメンバーとして国防長官に助言を行なっています」。この三人とはリチャード・パール、彼の友人のジェラルド・ヒルマン、そしてヘンリー・キッシンジャーである。」
「トライリームの投資勧誘に早々と乗ってきたうちの一社が、国防総省からの受注額第二位のボーイングだった。同社が二〇〇〇万ドルの事業資金を提供したことで、以後、パールは大っぴらにボーイングを持ち上げるようになる。同社がペンタゴンから受注した一七〇億ドルの空中給油機契約が大きな問題になったときには、『ウォールストリート・ジャーナル』紙の論説欄に同社を援護する一文を寄せたほどだった。
*この給油機発注問題は国防総省では近年最大のスキャンダルとなり、最終的には同省高官とボーイング社重役に実刑判決が下った。この政府高官は、契約取引の進行中にボーイングでの職を交渉していた。その後の調査で、なぜこうした腐敗取引を掌握できなかったのか、ラムズフェルド長官の監督責任が追及された際、彼は一七〇億ドルから三〇〇億ドルの国税を費やすことになるこの契約に具体的にどう関与したか、記憶にないと答えた、「承認した記憶はないが、承認しなかったかと言えば、その記憶もまったくない」。管理能力の欠如を厳しく非雉されたラムズフェルドだったが、記憶が曖昧なのは、軍事関連の株を数多く所有している彼が利害問題に抵触しないよう、発注事業についての会議をしょっちゅう欠席していたせいもあるかもしれない。」
「国防政策委員会のメンバーのなかにはトライリーム社のことをパールから聞いていなかったと言う者が何人もいる。同社の話を聞いたある委員は、「倫理規定に照らせばぎりぎりの線か、違反にあたる」と述べた。けっきょく公私の利益の衝突が問題化し、パールもキッシンジャーと同様、国防政策に専念するか、テロとの戦いで儲けるかの選択を迫られる。イラク戦争の幕が切って落とされ、契約事業の大ブームが始まろうとしていた二〇〇三年三月、パールは国防政策委員会委員長の座を辞した。」
「CNNのニュースキャスター、ウォルフ・ブリッツァーが、「彼は戦争の利益を当て込んで会社を設立した」というハーシュの批判をパール本人に問いただしたとき・・・。自明の理と思われるこの指摘にパールは激怒し、ピュリッツァー賞受賞ジャーナリストであるハーシュを、「はっきり言って、アメリカのジャーナリストのなかでもっともテロリストの思考に近い人間」と言ってのけ、こう続けた。「企業が戦争から利益を得るなどということは考えられない。(中略)私の見解が国防事業に投資する可能性と関連があるなどというのは、まったくのたわごとだ」」
「なんとも奇妙な言い分である。セキュリティーや軍事関連企業に投資する目的で設立されたベンチャー・キャピタル会社が、戦争からの利益は当てにしないとなれば、明らかに投資家を落胆させることになる。」
彼らのイデオロギーの中心には常に、飽くなき富の追求は当然の権利だとする考えがあった
「ワシントンのこの一派は、戦争にからむ私的利益について問いただされるたびに、例外なくパールと同じ反論を口にする - そんなことを問題にすること自体非常識だ、ばかばかしい、テロリストまがいの考え方だ、などなど。チエイニー、ラムズフェルド、シュルツ、ジャクソン、そして私の見るところではキッシンジャーを含むネオコン・グループは、自分たちが金儲けなどという世俗的な目的ではなく、イデオロギーや大局的な理念に基づいて行動する知識人、あるいはタカ派現実主義者だと見せるために腐心してきた。」
「ネオコンはアメリカとイスラエルの覇権拡大に熱心なあまり、経済的利益は二の次にしてでも「安全保障」を重視するというのが、これまでのネオコン批判 ー もっとも徹底的な批判を含め ー の基本的な論調だった。だがそうした見方は人為的であると同時に、重大な事実を見落としている。彼らのイデオロギーの中心には常に、飽くなき富の追求は当然の権利だとする考えがあったのだ。9・11以前ネオコンは急進的な民営化促進と社会支出削減を主張して勢いを得たが、まさにフリードマン流経済理論に則ったこの運動の中心を担ったのが、アメリカン・エンタープライズ研究所、ヘリテージ財団、ケイトー研究所といったシンクタンクだった。」
こうした政治的目標と利益追求との融合がどこよりも明らかに見て取れたのが、イラクの戦場だった
「「テロとの戦い」を開始したことで、ネオコンがコーポラティズムに基づく経済的目標を捨てたわけではない。その目標達成に向けた新しい、より効果的な手法を発見したのだ。ワシントンのタカ派である彼らが、世界におけるアメリカ、中東におけるイスラエルの絶対的優位性を目指して尽力していることは言うまでもない。しかし、そうした軍事構想 - 国外での終わりなき戦い、国内でのセキュリティーの強化 - を惨事便乗型資本主義複合体の利害と切り離すことは不可能だ。そこに生まれた巨大産業は、まさにその構想をもとに築き上げられたものだからである。こうした政治的目標と利益追求との融合がどこよりも明らかに見て取れたのが、イラクの戦場だった。」
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