2014年10月28日火曜日

堀田善衛『ゴヤ』(47)「友人マルティン・サバテール」(1終) 「はっきり言って、われわれがこの世に生きねばならんのはせいぜい束の間のことだ、よい生活をするのは正しいことだ」

江戸城(皇居)東御苑 2014-10-28
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友人マルティン・サバテール
彼は、ダンテの言う”われ人生の道半ばにして”、つまりは四〇歳を越してから、やっとおのれ自身に到達した
「僕は人も羨むような暮しをしている。

とにもかくにもこれが、かつて、ほんの三年前の一七八三年にフロリダブランカ伯爵の前にガマのようにはいつくばっていた画家の今日である。・・・
彼は、マドリードでシルクハット、あるいはトップハットと英語で言われるものをかぶりはじめた、その最初の何人かの一人である。・・・
・・・
しかも画家としては青春時代以来、実に長の年月、自分自身を発見することなく、あちらこちらと「頭をぶっつけて」歩いていたものである。頭をぶっつけては時代の求めるものに順応しようと努力し、凡庸な画家としての年月をすごして来たものであった。
彼は、ダンテの言う”われ人生の道半ばにして”、つまりは四〇歳を越してから、やっとおのれ自身に到達したものであった。・・・」"

外面的頂点での、内面的、精神的な成熟こそは、画家のみならず作家にとっても音楽家にとってももっともむずかしい作業である
「成り上り者、新興成金。
まさにその通りなのである。それ以外のものではない、外面的には。
作家にしても画家にしても、人は一応のぼりつめたその頂点でとまってしまうことが多いものである。・・・後は、成功作の自己模倣がはじまる。つまりは繰りかえし、である。創造ではなくて自己増殖である。
・・・始末におえぬのは、成り上りのぼりつめたその頂点での名声をバネにして他の分野へと転業をして行く連中である。・・・」

「この外面的頂点での、内面的、精神的な成熟こそは、画家のみならず作家にとっても音楽家にとってももっともむずかしい作業である。・・・」

いわば神と友人が必要なのだ。ゴヤは、その宝をもっていた。マルティン・サバテール・イ・クラベリーア氏である
「頂点で、人は精神的、また社会的なバランスをほとんど必然的に失うものである。・・・したい放題のことが出来るさびしさ(!)というものを訴えることの出来る友人が必要なのである。・・・
いわば神と友人が必要なのだ。ゴヤは、その宝をもっていた。
マルティン・サバテール・イ・クラベリーア氏である。」

このマルティン・サバテールなる人は、如何なる人か
「あらゆるゴヤ伝においてかくもしばしば言及され、この彼への手紙を欠いては如何なるゴヤ伝も成立しない、このマルティン・サバテールなる人は、では如何なる人か。」"
「それが、実はよくわからないのである。サラゴーサのエスコラビオス修道会学校での同級生であることからはじまって、成人してサラゴーサで法律を業としていたこと、ゴヤを、同じサラゴーサの大実業家で芸術家たちのパトロンでもあったゴイコエチェア氏に紹介をしたこと、このくらいのことしかわかっていない。サラゴーサの名士の一人であったことはたしかだが、没年もまた明らかではない。」

「ともあれ、真の、友人であった。この人の死に至るまでゴヤは手紙を書きつづけ、たまには具合のわるいことが起ると彼の代理人のようなふうにして利用もしたのである。貴族であることを僭称したいために、家系の捏造までを依頼している。この友、「親愛なマルティン」、「わが魂のマルティン」、「友人よ」、「わが友マルティン」、「わが魂の友」は、一九世紀に入ってすぐに死んだものと見られる。・・・あたかもゴヤが大成をするまで導きつづけて、その役目が終ったところで、ひっそりと御役御免ということで冥界へ身を引いて行ったかに思われるのである。」

またしても「バイユー家の連中」である
「ゴヤは、一七八七年の一一月一四日付けで長文のフランス語での手紙をマルティンにあてて書く・・・

僕はもう二輪馬車は嫌だ。このあいだ、またひっくりかえって、道を歩いていた人をあやうく殺すところだったよ。僕の方はかすり傷どころか血が出たよ。それで今日は弟のトマスに騾馬二頭を買ってくれと手紙を書いたところだ。しかしこの騾馬どもが僕あてのものだと知ったら、人々は何と言うだろうか。僕はバイユー家の連中がこのことを知っているかどうか疑っている。もし知るとしたら、それはとりまき連中が彼らに知らせるからだろう。

・・・またしても「バイユー家の連中」である。
・・・またしてもサラゴーサの連中についての警戒心である。金をせびられれば鷹揚に出してやっているようなことを先に言っていたのに。」

はっきり言って、われわれがこの世に生きねばならんのはせいぜい束の間のことだ、よい生活をするのは正しいことだ
「君がひやかして来たように、僕のドブロン金貨にカピが生えているという件についてだが、僕のもっているものは、僕のすべての財産同様に、君がよいようにしていいものだ。僕はただゆったりと生活をしているだけで、それでも(中略)余るのだ。要するに働けば四輪馬車を乗りまわせるだろう。はっきり言って、われわれがこの世に生きねばならんのはせいぜい束の間のことだ、よい生活をするのは正しいことだ。

そのよい生活、なるものには、すでにして狩猟が入って来ている。これはもう貴族の仲間入りということである。馬車を駆って、貴族たちといっしょに鉄砲をうちに行く。四輪馬車は七五〇〇レアール(約一八〇〇ドル)もする。

ツグミの季節が来たよ。サン・フランシスコ (・エル・グランデ教会)の仕事さえなければ、どんなものだって僕を引き留めなんかさせはしないのだが。」

ゴヤはこの「魂の友人」の肖像を二枚描いている
「ゴヤはこの「魂の友人」の肖像を二枚描いている。ところがこの二枚とも、まったく傑作などといえるものではない。おそらく後世の修復が災いしたものであろう。義兄のバイユー像と妻のホセーファ像だけを除いて、彼には身近かな人を描いての傑出したものはないのである。妹のリ夕像は未完成と言えるであろうし、弟の聖職者になったカミーロ像はいくらかは上出来であるが、聖職者の服装を身につけたこの弟を少々「ひやかして」いる気味がある。画家自身が、ドン・ルイース親王に頼んでチンチョン教区を取得させてやったのである。父母の像は、まったく描いた形跡がない。
けれどもはじめの一七九〇年に描いたものは、おだやかな、まだ若さを顔のどこかにとどめている表情の、篤実な性格をうかがわせるに足るもので、眺めていて、なるほどこれならば、この性急なアラゴンの猛牛の友人として、その生涯を通じて乳母役がつとまったものであろう、と察せさせられる。画中の友人は、ゴヤからの数多い手紙の一通を読みつつあるかのような恰好で、二枚の紙を机上においているのである。この紙にはしかし、「わが友マルティン・サバテールに。出来る限りの心遣いをもって描きしものなり。ゴヤ、一七九〇年」と詞書されている。
二枚目は、一七九七年作のもので、これはいささかきびしい眼つきで画家を睨みつけている。アルバ公爵夫人などと浮れ歩いて、ろくなことにならんぞ、とでも言っているかに思われるものである。」
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