11月5日
・大東亜会議、東京で開催。~6日。大東亜共同宣言発表。
汪兆銘南京政府主席、張景恵満州国国務総理、フィリピンのホセ・ラウエル大統領、ビルマのバーモ首相、タイの王族ワンワイ・タイヤコン殿下、(オブザーバ)自由インド仮政府のチャンドラ・ボース主席ら。
5日のラウレル演説には、日本の占領行政を批判した部分があるが、それは東條には訳されず。
6日、ポースは、インド民族は、イギリス帝国主義に抗して自由を戦いとらねばならぬ、「岡倉覚三および孫逸仙の理想が実現に移されんことを希望する」と、演説。ボースは、戦争を自国の独立運動、アジアの解放に結びつけ、日本の自存自衛の戦争だけではないと宣言。ボースの演説後、東條は発言を求め、「帝国政府はインド独立の第一段階として、もっか帝国軍占領中のインド領アンプマン諸島およびニコパル諸島を、近く自由インド臨時政府に隷属せしむるの用意ある旨を、本席上において闡明する」と発言。ポースは、来日後、東條に、アンダマン、ニコパル諸島への自由インド臨時政府進出許可を訴え続け、東條は、この日午前中に連絡会議で、急遽、ポースの申し出を受容れる決定。
大東亜会議共同宣言は5項目から成り、「大東亜各国は協同して大東亜の安定を確保し道義に基く共存共栄の秩序を建設す」で始り、「大東亜各国は万邦との交誼を篤うし人種的差別を撤廃し普く文化を交流し進んで資源を開放し以て世界の進運に貢献す」で終わっている。
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11月5日
・「きょう帝都に大束亜会議を開く。汪、張景恵、ラウレル、バーモウ、ポース等来着。ただタイだけは代理者を送ったにすぎぬ。
さても道具立ての好きな内閣かな。
束条の声明は例によって平凡にして陳腐、我らの商売を以てしても一読するにたえぬ。ヒトラーの繰返し主義の拙なるもの。どうして誰か有識の士に書かせないのだろうか。」(清沢『暗黒日記』)
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11月5日
・朝鮮奨学会・協和会後援、明大朝鮮同窓会主催、半島学生決起大会、志願者少ないため
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11月5日
・古賀連合艦隊司令長官命により第2艦隊栗田健夫中将指揮第8戦隊、第2水雷戦隊、ラバウル着
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11月5日
・第1次ブーゲンビル島沖航空戦(以後6次にわたる航空戦、「ろ号作戦」、~12日)。
フレデリック・シャーマン少将指揮第38機動部隊「プリンストン」「サラトガ」艦載機97、ラバウル爆撃。母艦機の壊滅的打撃。
米機動部隊攻撃のため発進の航空兵力、トリジャリー島で戦車揚陸艦発見、空母と間違って撃沈。
10月28日連合艦隊司令長官古賀峯一大将は、ブーゲンビル集結の敵艦隊・航空兵力攻撃を企図して「ろ号作戦」を発動。ラバウル方面の基地航空兵力を補う為、第1航空戦隊の空母艦載機(零戦82、九九艦爆45、九七艦攻40、二式艦偵6)を投入、作戦指揮は第3艦隊司令長官小沢治三郎中将が執る。
5日午前9時20分、米第50任務部隊(フレデリック・シャーマン少将指揮第38機動部隊)の空母「サラトガ」「プリンストン」から発進した攻撃機97機がラバウルを空襲、栗田健男中将率いる第2艦隊の大半が損傷しトラックへ引き返さざるを得なくなる。
午後12時55分、索敵に出た「彗星」が米艦隊(空母2、巡洋艦4、駆逐艦5)発見を報じ、九七艦攻14機が発進。しかし、この米艦隊は魚雷艇・上陸用舟艇で、魚雷艇1隻を撃沈。但し、九七艦攻4機を失う。
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11月5日
・米上院、戦後国際平和機構設立を求める決議採択
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11月6日
・大本営政府連絡会議、アンダマン、ニコバル諸島の仮政府帰属確認
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11月6日
・「青年学校教育の臨時措置に関する件」」。青年学校の授業は「可成縮減し一層生産増強に資すること」。
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11月6日
・ソ連軍、キエフを解放
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11月7日
・ソウル、臨時特別志願兵制度全京城翼賛会懇談会、鍾路区の事例を全京城に展開
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11月7日
・崔南善、李光洙の肝いり、日本留学生勧誘団(朝鮮奨学会派遣学徒志願兵激励隊、栄光の使節団)結成、/1/8.渡日、遊説
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11月7日
・「おさつを掘って蔵す。午前中労働。からだがミキミキして苦し。
大東亜会議で宣言書発表。新聞も大袈裟に書いており、昨夜は新聞夕刊が四ページ出た。記念号だ。大西洋憲章に対する太平洋憲章だと書いている新聞もある。相互の独立尊重といったことを謳ってある。
しかしこれらが一体、何を日本に与えるのだろう。例によって自慰。困ったものだ。
それよりもブーゲンビル島沖合の戦争で戦果をあげた。喜ばしい。だが一面からみれば第一線のラバウル近くに敵の主力が伸びて来たことを示すものである。」(清沢『暗黒日記』)
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11月8日
・ソウル、国民総力連盟、「学徒出陣を送る夕」主催
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11月8日
・韓国、各宗教関係者、宗教戦時報国会結成、地方教会及び寺廟5千に指令
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11月8日
・第17軍(百武晴吉中将)第6師団(神田正種中将)第23連隊(浜之上俊成大佐)2,240、ブーゲンビル上陸の米海兵第3師団攻撃、失敗。~9日。
第23連隊第12中隊(本川定中尉)は、大発で海兵隊橋頭墜西側のテルマ川湿地に上陸するが全滅。
浜之上連隊は、予定されるラバウルからの逆上陸部隊(第54連隊)の進出を待たず、退却。
第8方面軍は、命令なく撤退した浜之上大佐自刃を要求するが、百武第17軍司令官は拒否。
神田第6師団長は岩佐支隊(2個連隊、野砲1個大隊)をもって第2次攻撃を企図するが、今村第8方面軍司令官は延期を指示、ハルゼー軍のプカ島飛行場襲撃に備え、第17師団1個大隊を増派することになる。
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11月8日
・空母「瑞鶴」艦載機、戦艦4隻を撃沈報告。空母「翔鶴」艦載機も戦艦などの撃沈報告。大本営も戦艦4隻を撃沈発表。「第2次ブーゲンビル沖航空戦」と称されるが正確なところは不明。
8日午前6時、タロキナ沖に米輸送船部隊発見の報に接し、8時15分、小沢中将は零戦71・九九艦爆26機を発進させる。この攻撃では輸送船2隻を撃沈したものの、零戦5・九九艦爆10機を喪失。
また午後2時30分、米艦隊(戦艦3隻基幹の大艦隊)発見と報じたため、小沢中将は九七艦攻9・一式陸攻12機を発進、しかしこの艦隊も軽巡3・駆逐艦4隻の小艦隊で、軽巡「バーミンガム」に魚雷1本命中させるのみ。九七艦攻2・一式陸攻5機を失う。
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11月8日
・南ボルネオ。醍醐忠重海軍中将(侯爵)、第2南遣艦隊(スラバヤ)隷下第22特別根拠地隊(バリックパパン)司令官就任。
第22特別根拠地隊では南ボルネオ(旧オランダ領)地区警備のためタラカン、サマリンダ、バリックパパン、バンジェルマシン、ポンテイアナを中心に警備隊を配備し治安維持に当る。
海軍民政部では、バンジェルマシンにボルネオ民政部を、タラカン、バリックパパン、ポンテイアナに各州民政部を置き、現地行政と日本企業の指導監督に当たる。
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11月8日
・「警官は泥棒を捕えるためではなしに、良民を捕えるためのものになった。事実、その方が楽でもあるのだ!
日本は、英国を東亜の舞台から引きあげしめるべきではなかった。英国が居れば、相共に米国を牽制することが出来た。英国は恐ろしくない。しかるにこれを追ったために英米は握手してしまった。
排英運動は素人の外交運動の最悪なる見本であった。
大西洋憲章に類似する宣言を書き、各国民に独立自由を与える声明を発表せねばならぬのは日本の悲劇である。しかしそこにまた日本の学ぶべき教訓がある。」(清沢『暗黒日記』)
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11月8日
・フランス、レバノンに干渉、政府首脳を逮捕。22日、人民の圧力で釈放。
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11月9日
・平壤、学徒督励有志懇談会、13班27名の督励班編成。
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11月9日
・岩国航空隊に最初の海軍兵学校分校開校
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11月9日
・「産業報国会の調査では男十三貫のものは一日千四百カロリーこれに通勤に要するカロリーを入れて一日千六百カロリーだ。しかるにこれに対し現在の配給は一日千四百カロリーだ。女の体重十一貫だから、それで融通がつく。しかし配給が偏するから結局足りないわけだ。
従来の軍人首相が中正の立場を失わなかったのは、その位置に長くおって政治を知ったからだ。東条首相の悲劇は、かれが田舎廻りから壇ちに要路に立ったからだ。長くおると、その辺が分ってきた。かれは恨まれよう。その対支政策などにつき。」(清沢『暗黒日記』)
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11月9日
・米、アーノルド米陸軍航空部隊司令官、対日空襲計画「マッターホルン」策定。B29の行動半径に基づき、最良の日本本土空襲基地としてマリアナ諸島(サイパン)を進言。
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11月9日
・ド・ゴール、フランス国民解放委員会の単独委員長就任。
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11月9日
・米、ワシントン、連合国難民救済機構(UNRRA)設立
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11月10日
・京城官公署勤務先輩有志団結成
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11月10日
・空母瑞鶴の艦載機がタロキナ沖で駆逐艦を撃沈すると報告するが詳細は不明
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11月10日
・チェルカッスイの戦い開始、ソ連落下傘部隊とパルチザン合流
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