2015年12月3日木曜日

昭和18年(1943)11月11日~21日 第3次~第5次ブーゲンビル島沖航空戦(タロキナ失陥) 海上護衛総司令部新設(司令長官及川古志郎大将) 朝鮮人学生志願促進運動加速 徳田秋声(71)没 ベルリン連続爆撃 タラワ島失陥 ブカ島支援作戦

昭和18年(1943)
11月11日
・第3次ブーゲンビル島沖航空戦。ラバウル大空襲、駆逐艦1隻沈没。
夜、日本陸海軍機16機が敵艦隊を攻撃、大本営は巡洋艦1隻撃沈と発表。
12日、古賀大将は「ろ号作戦」を中止。この日、ラバウルの航空機をトラック島に撤収。

11日早朝、ラバウルは米機約200機の空襲を受け、駆逐艦「涼波」撃沈・軽巡「阿賀野」損傷。
小沢中将は、零戦33・九九艦爆23・九七艦攻14機からなる攻撃隊を発進、米攻撃隊追尾攻撃させる。
午前10時、米空母部隊を発見し攻撃、損害を与えることができず、逆に戦闘機の迎撃と対空砲火により零戦2・九九艦爆17・九七艦攻全機を失う。
11日迄戦闘で、173機あった小沢艦隊の可動機が、52機にまでに減少。
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11月12日
・陸軍省令48号改訂53号公布。'43/9.繰上げ卒業既就職者も志願適格者、帰郷地での願書提出可能など。
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11月12日
・イギリス、イーデン、ポーランド亡命政府首相ミコワイチックにポーランドがソ連に好意を示さないためソ連との関係修復進展しないと述べる、ポーランド側にはソ連が傀儡政権をデッチ上げる意図に疑念
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11月13日
・学徒先輩中堅団(内地帰鮮学生の決起希求団)結成
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11月13日
・第4次ブーゲンビル航空作戦開始。
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11月13日
・東京都、帝都重要地帯疎開計画発表、防火地帯設置、重要工場付近の建物疎開、駅前広場の造成など
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11月14日
・~19日、学徒出陣激励オモニ座談会、(「毎日新報」)
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11月14日
・鍾路基督教青年会館、文人報国会、応召出陣学徒激励講演会、開催
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11月14日
・明大講堂、朝鮮人学徒決起大会、3千人
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11月14日
・~19日、タラワ上陸援護の空襲、艦砲射撃
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11月15日
・華北治安総署督弁、綏靖軍司令に杜錫鈞が就任
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11月15日
・大本営、南鳥島・小笠原に一個連隊増援発令
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11月15日
・絶対国防圏死守(海上交通護衛を専門とする)のため天皇直属海上護衛総司令部新設。司令長官及川古志郎大将。

兵員、武器、弾薬、食料、南方の重要資源を輸送する船舶の喪失量が、戦争第2年度(17年12月~18年11月)に倍増。
第1年度、月平均約6.8万総トンの被害は、連合軍が航空機・潜水艦を増強、反撃態勢を整えた2年目には、13.8万総トンに達し、第2年度の喪失総量163.9万総トンは、戦前の同年度予想量60万~80万総トンの倍以上に達す。

内容は貧弱。千島~シンガポールの海洋の資源航路とか物資輸送航路を担当。その海面に航行する大小約2700隻の船舶護衛に、海防艦18隻、旧式駆逐艦15隻、水雷艇7隻、特設砲艦4隻、計44隻しか持っていない。

総司令部開庁時の永野軍令部総長の挨拶、「今に至って海上護衛総司令部ができるということは、病が危篤に陥って医者を呼ぶようなものであるかも知れないが、国家危急存亡の秋、関係各官の渾身の努力を切望する次第である」。
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11月15日
・要塞地帯法戦時特例公布
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11月15日
・中大十九号室、決起大会。志願反対論続出。栄光の使節糾弾大会となる。
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11月15日
・「十一月十五日 (月)
富士アイスの重役会に出席。規模を縮小して、一割配当を持続する方針との事。代田〔実穂〕君を取締役にす。
床屋に行くと、かつて七人でやっていたのを、今は主人と二人。しかもその一人に徴用令がきた由。主人は「つぶすつもりでなければ一人ぐらい残してくれては如何」と談判し、出征家族として特別な考慮があるだろうとの事。
富士アイスの笠原という男にも徴用。神戸の出張所長にも徴用。今度の徴用は非常に広汎だ。こんなに徴用して一般産業が運転できるか。
この辺についても、経済観念に暗愚な連中がやっているから無理がある。徴用工には能率はあがらない。
おそらく厭戦的な気分を煽り、その集団から不平的爆発が起きはすまいか。」(清沢『暗黒日記』)
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11月15日
・ドイツ軍、北大西洋におけるUボート作戦を断念
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11月15日
・イギリス英『カンジュラー(魔法使い)』作戦(アンジュ(仏)近郊への潜入工作員空輸作戦)
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11月16日
・内地帰郷学生673人、日本残留者290人が志願。
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11月17日
・京城大志願適格者92人中65、予科15人中10が志願
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11月17日
・第5次ブーゲンビル航空戦。ブーゲンビル島タロキナに対する日本の航空反撃はこの日終る。
11月末迄に、連合軍はタロキナに2つの飛行場を完成、ラバウル空襲の前進基地とする。最早ブーゲンビル島への艦艇輸送は不可能となり、この島の孤立も近い状況。
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11月17日
・化学兵器研究従事者保護賜金令公布
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11月17日
・藤原銀次郎、国務大臣に就任。
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11月17日
・「十一月十七日(水)
今日はシーレーの『英国膨張論』を読む。これは実に面白し。英国のクラシックは僕にピンとくる。英国の膨張は戦争外に立ったことにある。日本が日清、日露 - 少くとも日露戦争をしないで、バランス・オヴ・パワーを握って、英国的海洋政策に乗り出したらば如何。」(清沢『暗黒日記』)
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11月17日
・イギリス、ポーランド亡命政府ラチンスキ、ポーランド解放後直ちに亡命政府の速やかな国内の施政権掌握が緊要との覚書をイーデンに送付
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11月17日
・ソ連軍の進撃に、ドイツ軍、ジトミール正面で反撃
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11月18日
・徳田秋声(71)、没。
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11月18日
「十一月十八日(木)
秋田人士はやはり開放的だ。何ら、軍需的に利益しないので、時局に対し冷静だ。後の個人的話しに、軍需的景気の均霑(きんてん)化を欲する旨の要望があった。供出、労働というだけで、反対給附が何もないのである。
武藤貞一がきて、独ソは握手する。ソ英の間は衝突する。日本は大勝利す。そうした楽観論を振りまいて行ったそうだ。この連中の愚及ぶべからず。気狂いがリードしている形だ。
夕飯を御馳走になり、さらに『秋田魁』の客となり料亭に酒をくむ。酒がいくらでもあるのに驚く。」(清沢『暗黒日記』)
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11月18日
・ベルリン連続爆撃開始。イギリス空軍(~12月5日)。
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11月19日
・延専適格者293人中250、志願
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11月19日
・嘉治隆一「建国より現代までのソ連の経済」、ソ連社会主義建設の是認として発禁
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11月19日
・「十一月十九日(金)
新潟に着くと某という男が出迎う。イタリー軒というところで十数人と会食し、講演会に出ると、二人の私服巡査が一人は速記、一人は監督している。かくの如くして講演ができるはずなし。
選挙演説といい、講演といい、こんな小学生徒みたいな男が監督するのだから、ろくな政治や言論ができるはずなし。官僚政治の打破が必要だが、さて国民が自己をガバーンできるかどうか。」(清沢『暗黒日記』)
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11月20日
・ギルバート諸島へ出撃の22航戦の陸攻19機、途中で米艦載機に掃捉され、大半を失う。
21日出撃の陸攻16機も、タラワに到着できず、9機が未帰還。
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11月20日
・ドイツ軍、グスタフ線で連合軍の進撃をくい止める
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11月21日
・米第2海兵師団、ギルバート諸島のタワラ島上陸。
米軍上陸部隊はジュリアン・C・スミス少将率いる第2海兵師団。
ガダルカナル作戦後、ニュージーランドで休養、ニューヘブライズ諸島エファテでギルバード諸島攻略「ガルパニック」作戦訓練を消化。
この作戦は、敵砲台・機銃座が守る狭小な海岸への真正面からの上陸作戦で、アメリカ海兵隊の初の試練。
9月から航空機・潜水艦による写真撮影、情報部による判読作業が行なわれる。
一方、ギルバード諸島近郊の島々に飛行場が建設され、航空機によるタラワ周辺日本軍航空戦力に大打撃を与える。
11月13日、第2海兵師団乗船の第52任務部隊がエファテ島を出港。
20日夜明け前、はタラワ環礁沖合10kmに到着。

タラワは、ギルバート諸島及び西方のナウル、オーシャソ両島を守る海軍第3特別根拠地隊隊司令部の所在地で、司令官は、7月に着任した柴崎恵次少将、指揮下に同根拠地隊のほか佐世保第7特別陸戦隊、第67警備隊(ナウル、オーシャン島)が配置。
防備の主力はタラワ(べチオ島)に集中。
海軍は、3月4日、ギルバート諸島飛行場及びナウル島施設費として74万9千円を支出し、べチオ島防備は特に念入りに行う。西部の南北海岸にはヤシ丸太の防壁を連ね、海中にも丸太の防塞、コンクリート柱に角材を植えつけた障害物、丸太に10番ワイヤーで連結した機雷原を用意した。陸上には、地下2二階鉄筋コンクリート造りの司令部をはじめ、コンクリート、鉄板、ヤシ丸太、サンゴ礁岩、砂を利用した1~30人用の半地下式トーチカ陣地を配列。多くは地下壕で連絡し、直撃弾以外では破壊されない堅牢さを誇る。

タラワ上陸援護の空襲は、第2海兵師団がエファテ島を出発した翌14日から開始、範囲は、ベチオ、マキン中心にナウル、マーシャル諸島のヤルート、ミレに及ぶ。艦載機のほか、エリス、フェニックス、サモア、ベーカー各島の基地航空隊も参加。19日には、重巡3・駆逐艦5が、250トンの砲弾をベチオ島に射ち込み、上陸直前の砲爆撃を加えると、べチオ島には14日以来約3千トンの砲爆弾が集中。

午前4時41分、上陸待機アメリカ輸送船をタラワ島陸戦隊(柴崎少将)が砲撃、米戦艦「メリーランド」も応戦、航空機も日本軍陣地を爆撃。続いて、戦艦3隻主力の艦隊が3千トンの砲弾を撃ち込む。日本軍各陣地は弾力のあるヤシの丸太と砂で造られ、砲爆撃の衝撃を殆ど吸収。上陸用装軌艇「LVT」87両が3波に分れて前進開始。
9時22分、LVT第1波が海岸に到達。日本軍の応戦激しく、第4派上陸部隊の死傷率は35%。増援部隊ラッド大隊は海岸に到達出来ず、数百人が海中を600m歩いて進む。後続のシャーマン戦車6両中4両が立ち往生。ここで、再び艦砲射撃(上陸部隊が連絡をとり精密に日本側陣地を狙い撃ち)。

午後1時30分、戦艦「メリーランド」の第2海兵師団長ジュリアン・スミス少将は、情勢の不利を確認し、残る軍楽隊、特技兵、タイピストを集めて1個大隊を編成、自ら指揮して海岸に向かう決意を固め、第5水陸両用軍団予備兵カの海兵第6連隊投入をホランド・スミス軍団長に要請。しかし、この時既に、タラワ陸戦隊の組織的抵抗は、終っている。
夕方、海兵隊はようやく小さな橋頭堡2つを桟橋附近に築く。
夜、日本軍の夜襲なし(連絡の途絶、長期戦への持込み)。
夜間、海兵は破壊された日本軍トーチカ、戦車の残骸などに身を潜め、翌日の攻撃に備える。

日本陸戦隊の通信線は、上陸前後の砲爆撃で分断され、柴崎少将は戦闘の統一指揮ができなくなる。更に、少将の司令部壕に艦砲弾4発が命中、少将・幕僚共に戦死。しかし、陸戦隊の奮戦により、米海兵隊は最後まで、陸戦隊の指揮系統の喪失には気付かなかったという。

翌22日朝、新手の海兵が上陸開始。
座礁した輸送船「斉田丸」から日本兵が機関銃を乱射、海兵に大損害を与える。海兵第8連隊第1連隊は、戦死105・負傷235の損害を出し、600が岸に辿り着く。「斉田丸」は艦載機と工兵決死隊が破壊。米海兵達は火炎放射器・爆薬を用いる「溶接バーナーとコルクせんぬき」戦法で日本軍陣地を一つ一つ潰して行く。
午後2時、第6連隊第1大隊はペチオ島西岸に殆ど無傷で上陸。 

23日午前7時、島東部に20分間の艦砲射撃・空爆。
8時30分、9時30分、10時30分にも20分ずつ砲撃。戦車を先頭に米海兵隊の攻勢開始。海岸に強力な拠点を築き、大砲・戦車が続々陸揚げ。午後4時、スミス第2師団長が西海岸に上陸。
夜、日本陸戦隊のバンザイ突撃3度。午後7時30分、午後11時、24日午前4時の3回。最初の2回は偵察攻撃で、第3回月が総攻撃だが、3回とも、飛行場東側を攻撃したので、第6連隊第1大隊の準備は整っている。駆逐艦「シュレーダー」「シグスピー」が日本軍集結地点に砲弾を集中、前線に繰り出した81mm曲射砲も、月光に浮き出る日本軍に正確な射撃。午前5時、攻撃終る。残された日本兵の死体325。日本軍残存兵力約500は島東端に追いつめられる。

24日、タラワ戦は最終段階。
午前7時、艦載機の銃爆撃、バイリキ島からの砲撃、艦砲射撃が、島東端に集中。
午前8時、第6連隊第3大隊(マクロ-ド中佐)が島東端に向かい前進開始。日本軍の抵抗は、大型トーチカ1ヶ所のみで、シャーマン戦車が近づき、蔭に隠れた海兵が火炎放射器で銃眼に炎を注ぐ。飛び出した日本兵約100は、戦車砲と海兵の射撃で全滅。
午後1時10分、第6連隊第3大隊はべチオ島東端に達し、同32分、スミス第2海兵師団長は正式にペチオ島陥落を確認。

米第2海兵師団1万6692人と海軍将兵1396人が投入、うち戦死934、戦傷死93、負傷2292、行方不明者88、死傷率は18.8%、特に敵前上陸の661人は半数近い323人が死傷。ガダルカナル島の半年間の戦闘の死傷者より幾らか少ない程度。
日本軍は第3特別根拠地隊1122人・佐世保第7海軍特別陸戦隊1497人・第4艦隊設営分遣隊970人・第111設営隊1241人の計4830人が米海兵隊を迎え撃つが、うち戦死4684人。米軍捕虜146人の殆どは朝鮮人労務者。
タラワ環礁の日本軍と他地域との連絡は22日午後1時に途絶、大本営はアメリカ側放送傍受によりタラワ守備隊は25日玉砕と判断。

タラワ環礁:
ハワイから南西約4千km・トラック島から南東2千kmのギルバード諸島の珊瑚礁。小島が38、西端のベティオ島はギルバード諸島中唯一の飛行場を有し、北方と西方に日本軍の押さえるマーシャル諸島とカロリン諸島、南東と東方にはアメリカ軍の押さえる島々がひろがる戦略重要拠点。ベティオ島は東西約4km、南北は海岸から島中央部まで最大300mの小島、日本軍数千が防備。 
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11月21日
・第1次ギルバード沖航空戦。以後4次にわたる航空戦。
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11月21日
・ブカ島支援作戦開始。第1回輸送。物資30tと陸海軍将兵875名を陸揚げ、傷病兵など655名を撤収。

日本軍は、米軍が上陸したブーゲンビル島北西のブカ島を強化する為、陸海軍部隊の緊急輸送を開始、吉川潔大佐指揮する第31駆逐艦隊(駆逐艦「大波」「巻波」「天霧」「夕霧」「卯月」)担当。第1回目は21日午後1時30分ラバウルを出撃、「天霧」「夕霧」「卯月」3隻で陸海軍将兵・物資30トンを運ぶ。護衛は「大波」「巻波」。揚陸後、傷病兵を乗せて22日午前ラバウルに帰還。
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