最新の『世界』3月号に掲載された樋口陽一さんの「「決める政治」と決めさせない「市民」―いま憲法を「保守」することの意味」は、改憲政権が「戦後レジーム」だけでなく近代の立憲主義をも衰退させようとしている事への、非常に深刻な危機感が表明されている。必読。
— 住友陽文さん (@akisumitomo) 2013年2月15日
「私たちの社会の基本をめぐる議論が、理に合わぬ論理の循環の中にひきずり込まれかかっている」という書き出しで始まる樋口論文は、「決める政治」を進める権利が市民にはあると同時に、「決めさせない」権利も市民にはあるのだと訴え、政治のねじれを是正することへの疑問を呈する。
— 住友陽文さん (@akisumitomo) 2013年2月15日
「「決める政治」をひたすらに求め」れば「憲法という存在そのものが邪魔になるのは道理」で、それはデモクラシーを字義通り「デモス=人民の支配」と解釈することにつながるが、近代デモクラシーは「法と自由を尊重する民主主義」であるはずだと樋口さんは述べる。
— 住友陽文さん (@akisumitomo) 2013年2月15日
さらに樋口さんは、こう言う。「単純多数決では変えられぬ約束事としての基本法によって権力を制限する立憲主義、というかたちをとる」のが近代デモクラシーであり、国民主権下であっても「国民が自分で自分の手をあらかじめ縛っておくことが必要」なのだと。
— 住友陽文さん (@akisumitomo) 2013年2月15日
最後に樋口さんは、安倍政権成立を「保守化」の傾向とは呼ばない。「「戦後レジーム」が日本の近代史の積み重ねと無縁に「押しつけられた」、という相変らずの見方には、継承されるべき戦前の立憲主義への敬意が全く欠け落ちている」と言う。
— 住友陽文さん (@akisumitomo) 2013年2月15日
最後の箇所は僕の仕事(拙著『皇国日本のデモクラシー』)と大きく重なる。安倍が単純な戦前回帰ではないのは、戦前の立憲主義の蓄積さえ無視しようという安倍の態度に表れている。これでどうして「保守」と呼べるのか。だから僕は安倍はポストモダンと呼びたいのだ。
— 住友陽文さん (@akisumitomo) 2013年2月15日
安倍の政治を「強い政治」と言う人もいるが、むしろ逆で、近代デモクラシーを保守しようと頑張る姿勢に向かって「もう頑張らなくてもいいんだよ」と癒しの言葉を投げかける「優しい政治」なのだ。もちろんそれが優しいのは剝き出しの権力に対してであって、市民に対してではないのは言うまでもない。
— 住友陽文さん (@akisumitomo) 2013年2月15日
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