江戸城(皇居)東御苑 2014-05-28
*明治37年(1904)
8月
・平出修は上京後、麹町区富士見町1丁目2番地(現在のインド大使館付近)に住んでいたが、約3年後同じ麹町区の上六番町(現在の東郷公園内)に住み、この年8月、麹町区中六番町七(現在の千代田学園構内)に転居。
弁護士を本業に評論を書き短歌をつくる文人弁護士の生活で、新詩社小集も自宅で行ったりした。
翌年4月、神田区北神保町2番地に転居、ここに法律事務所も開き、やがて「スバル」の事務所にもなった。
*
・御法川直三郎、20条繰糸機発明。
*
・トロツキー「われわれの政治課題」。レーニン糾弾始める。
*
・フランス、国際坑夫連盟、8時間労働制と最低賃金制の導入要求。
*
・ポーランド、ボリスワフで操業中断中の石油産業、労働時間短縮要求通ったため操業再開。
*
・クレタ島、オスマン帝国領からギリシャへの復帰要求デモ。列強の支持得られず。
*
・マックス・ウェーバー、フライブルク大学時代の旧友、哲学者フーゴ・ミュンスタベルク(ハーバード大学)の招待を受け、セントルイスの国際学術会議に参加するため渡米。「ドイツ農業問題の過去と現在」について講演した後、アメリカ国内を旅行(年末帰国)。
*
8月1日
・内村鑑三(43)、横須賀で「基督信徒処生の方針」を講演。
*
8月2日
・「東京朝日」、杉村楚人冠訳・トルストイの非戦論第1章掲載(~20日連載、「大阪朝日」は1回に要約)。東西「朝日」唯一の反戦論。
前日1日、杉村は平民社を訪問しトルストイの非戦論を知る。杉村はその日のうちに第1章を仕上げ翌日掲載。杉村は日露戦争に備え採用された記者(もう一人は二葉亭四迷)。
7日「平民新聞」はトルストイ非戦論を第1~12章全章を掲載(幸徳・堺の訳)。
「戦争は又もや始まれり。何人も要せず何人も求めざる困厄此に再びし、詐欺此に再びし、広く人類の愚化獣化又此に再びせんとす」と説き起し、一水夫が抱いた「我等の指揮官が殺人を我等に強要するは果して神意に合するや」の疑いこそ、キリストが地上に燃やした一点の火花だと、戦争中止を訴える。
主戦論の旗振り役「朝日」が、「タイムズ」(英国紙)に載った反戦論を掲載し続け、政府もこれに干渉せず。
*
8月3日
・英のヤングハズバンド部隊、チベットのラサ占領。9月7日にラサ条約締結。
*
8月4日
・小村外相、駐韓林公使に「対韓経営計画実施方」訓令。
*
8月6日
・駐韓林権助公使、李夏栄外部大臣に①日本推薦財務監督、②外交顧問雇聘、③条約締結の日本との事前協議、承諾させる。
*
8月7日
・朝、旅順口北方土城子西南より海軍陸戦隊重砲隊が旅順口に対して山越えで砲撃。
8日、旅順のロシア軍司令官・艦長会議で司令長官代理ウィトゲフト少将は総督命令に従い、艦隊の旅順脱出を決断。
9日には日本の砲弾が戦艦「レトウィザン」に命中。
*
8月7日
・週刊『平民新聞』39号発行。創刊号と同じく8千部販売。
幸徳秋水「トルストイ翁の日露戦争論」(6月27日「ロンドン・タイムス」掲載記事の訳載)。
(荒畑寒村による要旨概略:荒畑『平民社時代』より)
第1章 戦争はまたもや起った。一方は殺生禁断の仏教徒、一方は四海同胞と敵をも愛せよと説くキリスト教徒が、陸に海に互いに殺戮を逞しくしている。19世紀中に死せる者は実に1千400万人、奴隷解放の南北戦争に出した金は彼等を賠償して自由となし得る額よりも多かった。昨日は戦争の惨害、無益を説いた同一人が、今日は人間労働の結果を暴殄(てん)し、平和、無害、勤勉な人民の間に憎悪、敵愾心の鼓吹挑発につとめている。
第2章 露国の科学者や法律家は、ロシア政府が平和の維持に全力を傾注した後、ついに戦争に訴うるのやむを得なかった所以を強調して、ヤソ教徒が黄色人を殺戮するのを是認すれば、日本の科学者や法律家も同じ論法を以て、仏教徒が白人を屠殺するのを肯定する。
軍人はいうに及ばず、昨日までは外国人に対して好意を示した学者、社会改良家、貴族、実業家も開戦と同時に、平生は無頓着だったロシア皇帝の忠勇なる臣民に急変する。1億3千万の人民に君臨するこの不幸な昏迷した少年は、絶えず側近のために欺かれて彼の軍隊が殺人の罪悪を犯すのを感謝し祝福する。教会の牧師は自らキリスト教徒と称しながら、敵を愛することを教える神に向って人類相殺す悪魔の所業に、祝福と神祐とを祈願して恥じない。もしこれに与しないで、多数の迷妄を啓発しようとする者があれば、彼等は逆賊、売国奴と罵られ残酷な暴徒によって生命の危険に遭うであろう。
第3章 今の時世は人類同胞、神の愛と人の和を教えたヤソその人など、かつて存しなかった如くである。だが真のキリスト信者ならどうして銃をとり、一人でも多くその同胞を殺さんがために狙い得ようか。信者以外の懐疑家であっても、無意識のうちにキリスト教の理想に感化された者も同じである。今の哲学者、芸術家、道徳家の中にはこの同胞相愛の理想を鼓吹した者も、決して少なくなかったではないか。
キリスト教の精神からは、全身に戦争の無意義と残忍とを痛感し、戦争がわれわれの正かつ善と信ずるところと全然反対なることを自覚せざるを得ないであろう。戦争に対して犯罪の意識なき能わず、虐殺者の感なき能わず、そして敵を殺し始めるや心底において己が行為の有罪を自覚するがゆえに、強いて良心を麻痺昏迷させて兇行をとげようと努めるに至る。
第4章 試みに兵士、伍長、下士官に向って彼等が今までに見たこともない人間を、何故に殺すのかと問うたなら、彼等はただ上官の命令だからと答えるだけだろう。将校は我々は軍人である、戦争は祖国防衛のために必要だというに過ぎない。外交官は各国間の平和が理想や空論で達成されるものでなく、外交的手腕と軍備に俟(ま)たねばならぬと答えるのみである。新聞記者に対して何故に煽動記事で、他人を戦場に赴かせるのかと問えば、彼等もまた兵士、将校、外交官と同じく国家の利害、祖国の防衛というが如き一般問題に逃避する。
実に独り隣人を殺すことを禁ずるのみでなく、さらに爾曹(なんじら)の敵を愛せよと教ゆるキリスト教を信ずるといいながら、自ら兇暴、掠奪、殺戮の戦争に参加するは何故ぞと問うたならば、主戦論者の答えるところはみな同じ。即ち祖国の名もしくは信仰、忠誠の宣誓、名誉、文明のような漠然たる抽象的なある物を藉(か)り来るのみで、また一個の個性、活きた人間としての良心、独自の信念の如きは措(お)いて問おうとしない。
第5章 現代のキリスト教界および人々は、あたかも正しい道をふみ違えて行けば行くほど、その道の誤っているのを疑う人に似ている。彼等は疑いの増せば増すほど足を速めて死物狂いに急ぎながら、こうすれば何処かに到着するだろうと自ら慰めているが、しかしその道が断崖に達するの外ないことを眼前に見得る時はついに到来した。
我々が永く現在の生活を続けるならは、人類は次第に堕落して滅亡に帰すべきは明白である。国際会議によって国際間の紛争を解決しようとしても、幾百万の軍隊を有する当事国に対して誰が国際会議の裁決に服従すべきことを強制し得ようか。現在の日露戦争は右の事実を証明している。おのおの完全に武装し、いつでも直ちに戦争を始めようとしている現在の国家の相互関係は、このいわゆる文明社会の人類がついに何等かの破滅に到達すべきことを、明白に示している。
第6章 2千年前、ヤソは世人に教えた。「爾曽(なんじら)もし悔改めずば皆同じく亡ぼさるべし」(ルカ伝13章5節)、ヤソが予言した破滅は今すでに眼前にある。
帝王にもあれ、軍人にもあれ、大臣、新聞記者にもあれ、姑(しば)らくその位地や肩書きを忘れて己れは何者ぞや、自己の目的は何ぞやとまじめに一考したならば、必ずや自己の行為の正当を疑うに至るであろう。そして己れがこの世に生まれた所以の大目的とは、キリスト教の法則に従って神意に服し、隣人を愛して己れの欲する所を他に施すにあることを知るであろう。人を統治し強制、処罰、およびもっとも恐るべき戦争を命令することでは断じてない。
されば人間のみずから招いた災害、なかんずく最悪なる戦争から免れようとする有効策は、決して外的方法にあるのではなく、ただ各個人の良心に訴うるにある。即ちヤソが教えたように万人悔改め、そして我は何者なるか、何故に生存しているか、何をなし何をなしてはならぬか、自問するにある。
第7章 現代人が苦難の原因は一に宗教を有しないことにあるが、その宗教とは一時の安心や慰めを与えるに過ぎぬ教条の信仰、儀式を専らとするものではない。実に人類と全能者、人類と神との関係を確立し、すべて人間の活動を一層向上させる宗教である。これ無くしては人は禽獣と異なる所なく、或は禽獣以下に堕落する。
宗教なき人間には決して鉄道、蒸気、電気、その他の発明や技術を用いる権利がない。なぜなら、彼等はこれらの発明や技術を単にその肉欲、快楽、放蕩のために、甚だしきは即ち相互の堕落のために使用しているからである。もし人間が宗教的自覚によって指導されるのでなかったら、これら一切の発明や技術、いわゆる文明の徳沢も人間を現在の野獣的境地から救うことはできぬ。
第8章 何人も我は何者であるか、何のために生くるかと、自問自答しないことは不可能である。そして現代人がこれに答えようとすれば、人生の法則が他人を愛し他人のために尽すにあることを認識せずには居られぬ。
真の宗教とは人類同胞の主義と己れの欲せざるところこれを他に施すなかれの規則であって、これこそ決して外部の事情に左右されず、他の思想を超越し、神人間の不易なる関係から生ずる大主義なのである。キリスト教において重要とされるところは洗礼でも聖餐礼でも信仰告白でもない、ただ神と隣人を愛し己れの欲するところを他に施すの神命を実行するにある。
第9章 わが生活の事業は旅順口に対する清国人、日本人、もしくはロシア人の権利の承認とは何の関係もない。実に我をこの世に送った神の意を行ない、わが隣人を愛してそのために尽すことである。
ゆえに戦争すでに開始された今日、何をなすべきかという問に対しても、よく天命を知れる者の答えはただ一つ。即ち開戦と否とを問わず、数千の日本人もしくはロシア人が殺されたと否とに関せず、啻(ただ)に旅順のみでなくサンクト・ペテルプルグおよびモスクワすらも陥落すると否とに拘わりなく、我は神の命ずるところ以外を行なうことは出来ぬ。わが身はいかに成り行くとも、神意を行なうために生ずる運命は、自他にとって必ず善なりと信ずることである。
かりにロシアが日本の要求に屈従する外なしとするも、戦争の停止は荒廃と殺戮を免れる明白な利益があるのみでなく、人類を破滅から救う唯一の手段である。これに反して戦争の継続は結果の如何に関せず、救世の唯一の手段と背馳する。ゆえに敬虔なる者は同志の多少を問わず何事が起るかを省みず、ただ神の命ずるところを実行するのみ。生死は一に神の手中に存す、我はただ神命に従うべきのみ。
第10章 敵を愛するとは、キリスト教の名の下に人間の原罪、贖罪、復活などの迷信を彼等に教ゆることではなく、正義、無私、同情、哀憐をわが善良なる生活を以て彼等に教ゆるにある。その目的を生活の外部的変化におかず、ただ我をこの世に遣わした神意を切実に果たそうとして、全力を以てその実現に努めるような極めて単純な人人の増加によってのみ、人間の解放は成就されるのである。
第11章 予はニコライ二世とクロバトキンが、日本人を満洲から駆逐するには5万人以上の人命を失えば足りると、言ったか否かを知らぬ。しかし彼等のなしている事は正にそれで、今や不幸なロシアの農民は幾千また幾千と絶えず極東に送られ、ついに一新聞をして「ロシアの成功すべき機会は、殺してもかまわぬ人間を無限に有するの一事にある」といわせるに至った。
彼等は宮殿に安座する不道徳な野心家が、支那朝鮮で犯した悪業、醜行、掠奪を擁護するために殺されている。ロシアには何の権利もなく、そして実はロシア人に何の必要もない他人のために、また投機師が大儲けをしょうとする朝鮮の森林のために、ロシア人全体の労働の結果なる幾百億の富が濫費されている。
蝗(いなご)の群が川を渡る時、上層の少数な群は水に溺れている下層の大群を橋に替えて、無事に対岸に達するといわれるが、これは正にロシアの現状である。(『ロンドン・タイムズ』一九〇四年五月二日号)
第12章 昏迷せる日本人は勝利を得た結果、殺人に対して一層熱狂している。日本皇帝もまたその軍隊を賞賜し、多くの将官はさかんにその武勇を誇負し、長官や投機師は競って私利を営んでいる。日本の宗教家も宗教的欺瞞、および褻瀆(せつとく)の術にかけて欧洲人に劣らず、仏陀が禁じた殺生をゆるし、これを是認して悍らない。
あゝ、いずれの時かこの事やむべき。欺かれた人民がついに我れに返り、そしていずれの時かよく左の言を発するであろう?
「汝、心なきロシア皇帝、日本皇帝、大臣、牧師、僧侶、将軍、新聞記者、投機師、その他よ、汝等みずから砲弾の前に立て。我等はもはや行かぬであろう。行け汝等、この戦争を起した人々よ。汝等よろしく自ら行きて、日本の砲弾および地雷火に立ち向うべし。我等はこの戦争を欲せず、またこの戦争がいかにして誰のために必要なるかを解せざるが故に、我等は決して行かぬであろう。」
* *
人民は一時、催眠術によって惑わされ、政府はなおも人民を惑わそうとしているが、その一方、「指揮官が我々に殺人を迫るのは果して神の意に合するや否や」という疑いは、ますます広く強く伝播してこれを消すことは思いも寄らぬ。
「指揮官が我々に殺人を迫るのは果して神の意に合するや否や」との疑いこそ、即ちヤソが二千年前地上に点じた霊火の火花であって、今まさに燃え広がり始めたのである。
一九〇四年五月二十一日
ヤスナヤ・ポリアナに於て リョフ・トルストイ
英文欄「朝鮮の搾取」
「いかに多くの犯罪が正義の名において行なわれたことぞ! 日本は朝鮮と支那の独立を確保するためにロシアと開戦したと宣言され、且つその目的のために既に数千の人命が犠牲に供された。だが、我々は哀れな朝鮮のために落涙を禁じ得ない。なぜなら彼女は、制覇のために戦っている二匹の狼の意のままなる、羊の如きものだからである。日本が勝とうとロシアが勝とうと朝鮮にとっては選ぶ所がなく、彼女の隷属は不可避と思われる。(中略)
概言すれば、戦争は盗奪である。名目上では正義なる戦争があるかも知れぬが、しかし結果はつねに盗奪である。我々はもし日本国民が、朝鮮ばかりでなく満洲の獲得のために戦っていると言ったら、もっと正直で無邪気だったろうと考える。愛国心は何処にありや、正義は何処にありや、この朝鮮の搾取は他の何ものよりも、もっと明瞭にこの戦争の本性を暴露する。」
中里介山の反戦詩「乱調激韵」(四連三十八行)
「トルストイの感化からのものであることは否定できない。介山はトルストイアンだった。」(荒畑)
*
8月10日
・黄海海戦
午前5時~8時15分、ロシア太平洋第1艦隊33隻、ウラジオへ向けて旅順口出発。
午前7時55分、東郷司令長官、全艦隊に迎撃下命。
午後0時20分「三笠」が戦艦「ツェザレウィッチ」を砲撃。砲撃戦始まる。午後2時37分、相互の距離が遠ざかり砲撃停止。
午後4時42分、殿艦「ポルタワ」が「三笠」を砲撃。砲撃戦。
午後5時35分「三笠」前艦橋に砲弾、艦長伊地知彦太郎大佐・参謀植田謙吉少佐・小倉寛一郎少佐負傷。
午後5時42分「ツェザレウィッチ」前艦橋・羅針艦橋に着弾。艦隊司令官代理ウィトゲフト少将以下司令部要員、戦死。
午後5時45分司令塔に命中。艦長イワノフ大佐以下戦死。
午後7時7分、戦闘終る
。日本側死傷225。ロシア側死傷453。旅順帰着は9隻のみ。「ツェザレウィッチ」らはドイツ租借地膠州湾に逃亡、抑留。「ノーヴィク」はサハリンに逃れ、日本艦により破壊。「アスコリド」は上海に入港、抑留。「ディアナ」はサイゴンで抑留。
*
*
0 件のコメント:
コメントを投稿