2014年7月25日金曜日

承保3/承暦元年(1077) ハインリッヒ4世(27)、教皇グレゴリウス7世(57)による教会破門の許しを乞う ロベール・ギスカール、ベネヴェント占領

北の丸公園 2014-07-22
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承保3/承暦元年(1077)
この年
・源義業、新羅三郎義光の嫡男として誕生。
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・ラースロー1世、ハンガリー王即位。彼の許でハンガリーの統一が回復。
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・セルジュークの王族の一人、小アジア(アナトリア)にルーム・セルジューク朝を樹立。
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・ニケフォロス・ブリュエンニオスの反乱。~1078年。
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・フランス、オータン公会議。「俗人叙任権教令」交付。
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・アンジュー伯、メイヌ伯領を攻撃。
イギリス王ウィリアム長男ロベール、フランス王フィリップ1世と同盟者やノルマンディー公領の一部諸候の支援を受けて蜂起。
イギリス王妃マティルダもロベールを支援。
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・セビーリャ王国ムータミド(位1069~1091)、コルドバをトレード王マームーンの無能な後継者カーディルから奪い、併合。
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・ロゲリウス1世、シチリア島西海岸都市(トラパーニ(トラパニ)、マルサーラ(マザーラ、マザラ))征服。
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・サルジューク朝小アジア監督者スライマーン・イブン・クトルミシュ(アルプ従弟)、小アジアにルーム(ローマの意)・サルジューク・スルタン国建国。
首都ニケーア(ニーキヤ、トルコ名イズニーク)、1084年以降、小アジアの古都市イコニウム(クーニャ、コニエ)。
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1月25日
・カノッサの屈辱
ドイツ国王ハインリッヒ4世(27)、教皇グレゴリウス7世(57)による教会破門の許しを乞う為、妻ベルタ・長子コンラート(3)を連れてアルプスを越えイタリア北部カノッサに赴き、カノッサ城の門前の雪の中に裸足で3日間立ちつくす。
27日、ハインリッヒ4世、グレゴリウス7世から破門撤回をとりつける。
ハインリヒ4世誕生の際、洗礼したクリュニー修道院長ユーグ(53)、グレゴリウス7世に取りなす。

カノッサの古城はトスカーナ女伯マティルデの居城で、マティルデの復讐を果たすときが来た。
ハインリヒは門前で粗末な外套のみに身を包み、酷寒の中裸足で立ちつくし、へりくだった言葉と態度で赦免を懇願した。
グレゴリウス7世と女伯マティルデはそのみすぼらしい皇帝の姿を冷然と見下ろす。
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2月
・ドイツ、ウルム、ドイツ諸侯会議。
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2月13日
・源師房(70)、右大臣(左近衛大将を兼任)辞職。
17日、源師房、没。62代村上天皇の第7皇子具平親王の子。寛仁4(1020)年、源氏姓を与えられ「村上源氏」が始まる。

源師房:寛弘5(1008)年誕生。母は父親王の異母兄為平親王の女。
寛仁4年(1020)年正月5日、村上天皇の2世王として従四位下に直叔。
同年12月26日(13)、関白藤原頼通養子として、頼通の上東門第(じょうとうもんてい)(土御門殿)において元服。同日、名を師房と改め、源朝臣(あそん)の姓を与えられ、翌27日参内、昇殿を聴(ゆる)される。
万寿元(1024)年9月19日正四位下、同月21日越階して従三位に昇る。前摂政道長の女尊子を娶っており、この叙位には道長・頼通父子の力添えあり。その後、官位昇進を重ね従一位右大臣に至る。
文才あり、万寿4年20歳~承保3(1076)年69歳迄の日記97巻を残す(「長秋記(ちょうしゅうき)」、「世の中の鑑(かがみ)」(「今鏡」)として尊ばれる。土御門右大臣の号により、「土右記(どゆうき)」と呼ばれるが、現在、僅か延久元(1069)年4~6月の3ヶ月の1巻の古写本が九条家旧蔵本中に伝存するのみ)。
師房には、道長の女尊子を母とする俊房(としふさ、1035~1121)・顕房(あきふさ、1037~94)兄弟、道長の男頼宗の女を母とする師忠(もろただ、1054~1114)など、女子の麗子は京極関白師実(もろざね)室となり嫡男師通(もろみち)をもうけ、摂関家との結び付きを一段と強める。
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3月15日
・ドイツ、フォルヒハイム、ドイツ諸侯会議
ハインリヒ4世廃位、シュワーベン公ルドルフ・フォン・ラインフェルデン(ハインリヒ4世姉の夫)を対立皇帝に選出。ルドルフは反対派牙城ザクセンに立て籠もる。
ドイツ史初めての自由な国王選挙による対立国王の擁立。
26日、ルドルフ、マインツで戴冠(位1077~1080)。

教皇はハインリヒ4世の破門を解き、アウグスブルク会議は中止され、教皇の明確な後ろ盾が得られていないので、人心はハインリヒ4世のもとに集まる。皇帝は反撃に転ずる。
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5月
・ロベール・ギスカールとカープア候リカルドゥス1世、ナポリ包囲攻撃、失敗。
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8月7日
・皇帝ハインリヒ4世、メルリヒシュタットで勝利。
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8月25日
・皇太后藤原歓子、出家。
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・白河天皇と賢子との子、敦文親王(4歳)、疱瘡で没。
賢子:村上源氏顕房の娘、師実の養女として東宮貞仁(白河天皇)に妃となる。承暦3年(1079)第二皇子(善仁親王=堀河天皇)を生む。
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11月17日
・「承暦」に改元。
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11月18日
・ベネヴェント候ランドゥルフス6世、没(位1060~1077)。
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11月26日
・下野守源頼義、大納言源俊房に馬を献上。
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12月14日
・前出雲守行房3男、源俊房宅で元服。越前守藤原家通(家道)ら列席(「水左記」)。
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12月19日
・ロベール・ギスカール、ベネヴェント占領。ベネヴェント候国消滅。
ノルマンディ人の南イタリア征服:
①都市国家:ナポリ公国。ガエータ公国(1063年アヴェルサ伯リカルドゥス1世征服)。アマルフィ公国(1073年アプーリア公ロベール・ギスカール征服)。
②ランゴバルド系候国:カープア候国(1062年アヴェルサ伯リカルドゥス1世征服)。サレルノ候国(1076年アプーリア公ロベール・ギスカール征服)。ベネヴェント候国(1077年アプーリア公ロベール・ギスカール征服)。
③東ローマ:カラーブリア(1060年アプーリア公ロベール・ギスカール征服)。アプーリア(1071年アプーリア公ロベール・ギスカール征服)。
④イスラム教徒:シチリア(1091年シチリア伯ロゲリウス1世征服)。
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