夕暮れどきの東京駅 2014-10-03
*明治37年(1904)
12月20日
・『平民新聞』第53号(『共産党宣言』)第一審判決。
西川、幸徳、堺の三被告が「吾人の目的は一に現時一切の社会組織を顛覆するに依て之を達するを得ペし云々」と規定した『共産党宣言』を以て、「日本社会主義者も亦その綱領とすべき者とし社会の秩序を壊乱すべき事項を掲載し」たる廉で各80円の罰金に処する旨、判決。
判決文の一節。
「共産党宜言なるものは五十余年前、ドイツの偉人カール・マルクス氏が経済上、社会上、哲学上の見地より社会を達観したる一個の社会経済論策なることはエンゲルス氏英訳序文に明記する所……蓋し古の文書は如何に共記載事項が不穏の文字なりとするも、之を現代の者の意見と一致するものとし又は右と同趣旨の実行を計るの意味に非ずして、単に歴史上の事実とし又は学術研究の資料として新聞雑誌に掲載するは単純に歴史的文書たるに止まり、社会の秩序を壊乱する記事と言ふ能はざるのみならず寧ろ正当なる行為と云ふ可し。然れども其文中の理想を以て現代の者の意見と一致するとし、又は其趣旨の実行を計らんとする記事なる時は……自ら編述したる文書と同様の責を負はざる可らず。」
要するに学術研究のためならば差支えないが、理想実現の宜伝に用いたから合計240円分、社会の秩序を壊乱したことになる、というのである。
平民社解散後、堺は月刊『社会主義研究』を発行し『平民新聞』訳では省略した第3章をも新たに加えて『共産党宣言』全訳を発表した。堺はこの判決文の一節を逆手にとって、主義宣伝の目的ではなく学術研究のためだと称した。
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12月20日
・午前1時、ロシア・バルチック艦隊、アフリカ最南端アガラス岬沖通過、インド洋に向う。
25日マダガスカル島南端、27日朝セントマリー海峡、着。
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12月21日
・三井呉服店、三越呉服店と改称。
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12月21日
・中央東線韮崎(山梨県)~富士見(長野県)間開通。
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12月21日
・病院船に関する条約及最終決議書に調印。1907年5月24日公布。
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12月22日
・清国、米に粤漢鉄道の回収要求。利権回収運動の開始。1905年9月6日、回収。
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12月22日
・ジュネーブ、レーニン、「フベリョード(前進)」創刊。
レーニン「専制政治とプロレタリアート」、絶対君主制は滅びつつある。
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12月25日
・舟橋聖一、誕生。
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12月25日
・週刊『平民新聞』第59号発行。
西川光二郎(社会主義協会幹事、平民社員)「日本社会主義一年間の発達」(報告)
(一)舌を以て
△集会数 総数一二〇回。そのうち演説会は、地方で一四回、東京で四回。茶話会その他が、地方で四回、東京で一六回。社会主義研究会が三〇回。社会主義婦人講演が一四回。
△地方遊説 遊説者は木下尚江、野上啓之助、松崎源吉、山口義三の諸氏及本社の堺利彦、幸徳秋水、石川三四郎、西川光二郎等。遊説地域は伊豆、茨城県、群馬県、埼玉県、東海道、千葉県、神奈川県及府下等。遊説中の演説会の総数四〇数回。
△伝道行商 社会主義伝道の有効な一方法で、本年此の任に当ったのは、小田頼造、山口義三、小野丑郎、西村伊作、野村生、阿南生、西島生、権田生等。伝道行商地域は、千葉県、信州、越後、近畿、関東、武州、相州、東海道及山陽道等。
(二)筆を以て
△社会主義拡張の檄 配布総数 三二、〇〇〇枚。
△普通選挙の檄 配布総数 七、〇〇〇枚
△普通選挙請願用紙 配布総数 三、〇〇〇枚
△平民文庫 八種類 販売総数一五、二七〇冊 内訳『社会主義入門』二、三〇一冊、『百年後の新社会』二、五九八冊、『火の柱』三、四六九冊、『消費組合』一、四一〇冊、『瑞西(すいす)』一、九三二冊、『ラサール』一、六二二冊、『土地国有論』 一、一一六冊、『経済進化論』八三一冊、外に平民社絵ハガキ 六五〇組
△社会主義書類取次販売 一九種 販売総数 九九八冊。
△平民新開 販売部数 約二〇〇、〇〇〇部
(三)其の結果
△社会主義者の団体、岡山市、北海道札幌、佐賀市、信州上田、信州神川村、名古屋市、水戸市、駿州吉原町、丹後峯山、紀伊田辺町、北海道夕張炭山、長野市、下の関、横浜市、北海道函館、上州名和村、宇都宮市、足尾銅山、飛騨高山、信州諏訪、越後長岡、出雲安来町、大阪市、高知市、米国桑港(サンフランシスコ)などに社会主義者の団体が結成され、定期集合がもたれた。
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12月25日
・再上京の石川啄木、盛岡中学の先輩金田一京助に15円の借金申込。
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12月25日
・(露暦12/12)露、改革の一般的再検討の勅令とゼムストヴォ・市会での改革論議を違法とする政府発表。
国家体制改善計画勅令(ミルスキーの春)
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12月25日
・フランス・イタリア、司法・条約上の問題は、ハーグの国際仲裁裁判所に持ち込むという調停協約に調印。
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12月26日
・石川啄木父一禎、宗費113円滞納のため曹洞宗宗務院より宝徳寺住職罷免。
啄木の運命の転機。
「当管轄内岩手郡渋民村四等法地宝徳寺住職石川一禎儀去ル明治三十七年十二月二十六日宗費怠納ノ為住職罷免ノ御処分ヲ受ケ侯」(曹洞宗宗務局所蔵宝徳寺関係記録)
翌38年1月15日、懲戒処分告示。
3月2日、宝徳寺を出て渋民大字芋田に移転。
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12月26日
・ロシア、バクーで労働者がゼネスト(~1905年1月13)。
ロシア皇帝ニコライ2世、民衆の待遇改善を約束する勅令。
しかし、ストと暴動は厳禁すると警告。
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12月27日
・韓国、駐米日本公使館顧問米人ダーハム・スティーヴンス、外交顧問着任。~1908年。帰国後、オークランドで在米民族主義者田明雲に暗殺。
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12月27日
・(露暦12/14)ロシア、デカブリスト記パンフレット、780人、戦争即時停止・憲法制定会議即時召集要求決議。
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12月28日
・二龍山攻撃、占領。東鶏冠山北保塁攻撃と同様に爆破から始まる。
ロシア兵の生埋め150・爆煙で倒れるもの20。
第36連隊(福谷幹雄中佐)第1大隊(田中貫一少佐)堀江小内蔵中尉108と第19連隊(山田良永中佐)第3大隊(藤岡忠純少佐)加納道大尉175の2特別中隊が突撃。死傷者続出。藤岡少佐負傷(小倉可夫中尉が代理)。
午後3時30分頃、爆薬に敵弾が命中し爆発により田中貫一少佐戦死(白石熊雄大尉代理)。
午後3時45分、突撃掩護射撃。ロシア兵の反撃。
午後4時7分、突撃。第19連隊が砲台線東部、第36連隊が同西部に辿りつく。ロシア兵の抵抗続く。
午後6時20分、第19・36連隊は更に突撃。第36連隊特別中隊は全滅。
午後9時まえ、ロシア保塁指揮官は退却命令。
29日午前3時、占領。第9師団死傷1,190(内戦死237)。
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12月28日
・堀辰雄、誕生。東京麹町区平河町5ノ5(現・千代田区平河町2丁目13ノ3)。父堀浜之助は旧広島藩の士族、維新後上京、裁判所勤務。国許に妻(1914年没)がいたが体が弱く子供がなし。嫡男として届出。
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12月29日
・ロシア第二太平洋艦隊主力、マダガスカル島沖投錨。
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12月29日
・旅順のロシア軍、ステッセル、緊急陸海幹部会議招集。降伏か抗戦続行か討議。
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12月30日
・連合艦隊司令長官東郷平八郎大将、上京、拝謁。
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12月30日
・日本新聞ストライキ。
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12月31日
・松樹山堡塁攻撃、陥落。
午前10時、保塁地下爆破。ロシア守兵208中半数が生埋め。
午前10時30分、第1師団(松村中将)第2連隊(渡辺祺十郎大佐)第1大隊(馬場少佐)木田特務曹長ら突撃。
午前11時50分、守備兵が降伏。
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