2014年10月19日日曜日

日系二世人権活動家ユリ・コチヤマの年譜(4) 1933(12歳)~1936(15歳)

北の丸公園 2014-10-14
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1933(昭和8)年 12歳
 「中学校に入るとターミナル島の子供たちや、サン・ペドロ丘陵地で農業をしている日本人の子供たちがサン・ペドロの学校にやってきた。その直前に通い始めた日本人学校や中学で、ほかの日本人の子供たちと机を並べるようになって、私は丘陵地やターミナル島の日本人と、市街地に住む自分たちの生活環境の違いを初めて知るようになった。
まずびっくりしたのは、彼らが日本語を驚くほど上手に話せるということだ。生活も日本の伝統と密接に結びついている。農業や漁業に従事する日本人の仕事や生活がどれほど厳しいかということも、彼らの家を訪ねたり、話を聞いたりして知った。白人の町で白人と同じように育った私は、ほかの地域の日本人がどんな慕らしをしているのかということを、それまでほとんど知らないままにいた。
肌の色は日本人と同じでも、中身はアメリカ人。私は文字通り、外側が黄色で中身の白い”黄色いバナナ”だったのだ。」(ユリ カリフォルニアの日々)

1月22日
・ニューヨーク、日本軍の「熱河作戦」に抗議して中国人留学生約100人が排日デモ。

2月14日
・国際連盟19人委員会、リットン報告書採択と満州国不承認とする英仏独など9ヶ国小委員会案を全会一致可決。理事会、日中両国に対する勧告案(満州事変以前に戻す)を可決。

「満州に対する主権は支那に属することを思い、南満州鉄道附属地外に於ける日本軍隊の・・・撤収を勧告す、・・・支那の主権の下に置かれ且支那の行政的保全と両立する一の機関を相当の期間内に満州に於て設立せんことを勧告す・・・」

2月14日
・ミシガン州の全銀行が閉鎖。金融危機が緊迫。銀行閉鎖が各地に広がり3月3日危機は頂点に達する。

2月15日
・マイアミ、大統領就任式直前のルーズベルトが狙撃(無事)。同席のシカゴ市長死亡。

2月24日
・連盟総会、対日勧告案可決。リットン報告書を採用した対日勧告案(日本軍満洲撤退)可決・スティムソン不承認主義採択。賛成42、反対1(日本)、棄権1(シャム)。松岡洋右代表退席。

松岡代表は、「総会によって採択された報告書を受諾することは為し能わざるところで・・・日本政府は日支紛争に関し国際連盟と協力せんとする、その努力の限界に達した」と演説、日本語で「サヨウナラ」と結んで退場。

3月4日
・ルーズベルト、第32代大統領就任。善隣政策発表、ラテンアメリカへの武力干渉停止。プラット修正条項廃棄。パナマ、ドミニカ干渉権放棄。ハイチ撤退。メキシコ駐兵権放棄決定。共産党は「国内においては残忍な抑圧の政策であり国外においては帝国主義者の政策」とルーズベルトを非難。
ルーズベルト米大統領、3月6日から9日までの銀行休業と、金銀輸出禁止を宣言。

3月9日
・ニューディール政策始る。緊急銀行救済法成立(3月6日の大統領布告を法制化)。財務省に通過・信用に関する統制の権限を付与。特別議会(「100日議会」)招集。以後6月16日までの最初の100日間に農業調整法(AAA、5月12日)、テネシー渓谷開発公社法(TVA、5月18日)など多くのニュー・ディール(改革案)が生まれる。

4月8日
・緊急救済予算法発令。大統領裁量で貧民救済、労働者救済、雇用増大の費用として40億ドルを計上。.

4月12日
・政府、ドル切下げを断行。

4月15日
・ドル下落。第1次大戦後の新安値を記録。

5月12日
・農業調整法(AAA)成立。農産物の作付面積制限。
・連邦緊急救済法成立。緊急救済局設置。貧民救済のため各地の機関に5億ドルを分配。

5月18日
・テネシー渓谷開発公社法(TVA)設立。政府のニューディール政策による総合開発事業。

5月19日
・中国・米(宋子文・ルーズベルト)が共同声明発表。極東和平の迅速回復を希望。
6月4日、中国・米が5,000万元(綿麦借款)協定に調印。

5月27日
・「進歩の100年」をテーマとするシカゴ万国博開会

8月5日
・全国労働委員会(NLB)設立。労働者の団体交渉権保障・労使の調整。

9月19日
・日本製白熱電球・ゴム靴等にダンピング法適用。

10月13日
・アメリカ労働総同盟、ナチスの労働対策に抗議してドイツ製品をボイコット。

12月5日
・憲法修正第21条を4分の3の州が批准して発効、14年間続いた禁酒法撤廃。

1934(昭和9)年 13歳
1月
・映画「街の灯」封切り。

5月23日
・米で映画「俺達に明日はない」のモデルとなったボニー・パーカー(23)とクライド・バロー(24)が4年間強盗殺人を重ねた末に、待ち伏せしたテキサスレンジャーにより射殺される。

6月18日
・「インディアン再組織法」制定。保留地細分化政策が廃止(売りに出されていない土地は再譲与)、保留地内の工場建設許可、貸付金の入手も容易化、部族集会の再び組織、居住区自治の許可。

7月
・南部小作農組合結成。

8月7日
・連邦控訴裁判所、アイルランド作家ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』を発禁としたアメリカ政府の決定は違法であるとの判決。

8月22日
・ニューディール政策に反対する保守派、「アメリカ自由連盟」結成。

8月22日
・アリゾナ州、日本人9人が外国人土地法違反で検挙。

8月31日
・サンフランシスコ、日系市民大会開催。

9月
・TUUL、AFLとの組織合体の方針を提起。40万人の組合員がAFLへ一斉加入。AFLは職能別組合に加入できない労働者を産業別に組織する方針を打出す。

9月13日
・アリゾナ州、排日運動激化。在留邦人が日本政府の保護嘆願

10月
・サウスカロライナを中心とした南部一帯、織物工場労働者32万人のゼネスト。全国に波及、死者133人を出して終結。

・失業者が1,080万人に達する。

10月1日
・シカゴで反戦、反ファシズムの全米大会。

10月27日
・「フレンド・オブ・チャイニーズ・ピープル(中国友の会)」設立。機関誌「チャイナ・トゥデイ(今日の中国)」。石垣綾子、「松井はる」の筆名で寄稿。

11月6日
・ルーズベルト大統領が再選。議会では下院で民主党が319議席、共和党が103議席、他10議席、上院で民主党が69議席、共和党が25議席、他1議席。

11月23日
・ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンに2万人が集まって大反戦集会。

1935(昭和10)年 14歳
1月4日
・ルーズベルト大統領、年頭教書で社会改革計画を提起。第2次ニューディールを提起。

2月17日
・ハワイ、日本人移民50年の祝賀祭。

2月26日
・屑鉄輸出の対日分が急増、過去最高と発表。

3月19日
・ニューヨーク、万引きで捕まった黒人に警官が乱暴したことから人種暴動が勃発し、3人が死亡。

4月1日
・カリフォルニア州下院、第1次大戦に従軍した東洋系在郷軍人の市民権確認法案が提出。 

4月8日
・議会が労働者の緊急救援費として48億8000ドルの拠出を許可する緊急救済支出法を採択。

4月15日
・門戸開放原則に基づいて、日本の満州での石油独占から生じる米国の権益の侵害に対して抗議。

5月6日
・雇用促進局設立

5月11日
・農村電化局設立。

5月27日
・最高裁、ニューディール政策の全国産業復興法第3条に違憲判決。これによりニューディール政策の大半が違法となる。

7月5日
・全国労働関係法(ワグナー法)成立。労働組合活動を保障。

8月14日
・社会保険法成立。老齢年金と失業保険制度を規定。

8月28日
・公共事業持株会社法成立。公共事業会社の行動を規制。

8月30日
・歳入法が可決され相続税と贈与税を規定。

8月30日
・中立法成立。交戦国への武器輸出を禁止。

9月
・ルーズベルト米大統領が企業活動への政府の干渉を「しばらく休む」ことに同意。

9月8日
・ルイジアナ州知事で弁護士のヒューイ・ロング、バートン・ルージュの州議事堂で医師に射殺。ポピュリスト政治家として「富の分配」提唱。

10月10日
・国際連盟総会が規約16条によりイタリアに対する制裁を決議。平和的解決の為の18ヶ国からなる委員会任命。11月18日、石油を除く武器原料禁輸による経済制裁を実施。

11月9日
・ジョン・ルイスら、アメリカ労働総同盟(AFL)内に産別労働組合会議(CIO)結成。産業別委員会を中心にAFL左派を糾合。末端には共産党の影響を受けた活動家が結集。CIOの1/5が共産党の影響下に入る。

12月3日
・ニューヨーク、アメリカ初の公共住宅が建設。 

12月24日
・中立法議会を通過

1936(昭和11年) 15歳

「ビビアンと私がトマト缶詰工場でアルバイトをしたのは、十五歳の夏。それは初めての記念すべき仕事だった。
・・・
私がトマト缶詰工場で働き始めたのは、サン・ペドロでも労働組合運動が盛んになってきた時期で、私の働いていた缶詰工場にも組合をつくろうと、労働組合の地区支部から活動家が次々と送り込まれていたときだった。
労働組合をめぐる騒ぎに、工場の従業員はみんな怯えていた。組合の活動家は経営者に組合をつくるように申し入れた。ここまではまだよかったが、経営者が拒否すると、彼らは七歳になる彼の息子をつかまえて、組合をつくらせないなら息子を傷ものにすると、泣き叫ぶ子供をエサに脅したのだ。
なんとひどいことをするのだろう。この一件で、組合に対する私の印象はすっかり悪くなってしまった。彼らはトマトを積んでくるトラックを横転させたりしたので、ビビアンと私は怖くなり、彼女の兄の勧めで工場をやめることにした。
工場で働いたのは約二カ月だったが、やめたのは正解だった。経営者と組合の活動家たちとの対立が、ますます戦争じみてきたからだ。」(ユリ カリフォルニアの日々)

この年
・カリフォルニア各地、メキシコ人主体の農業労働者ストあいつぐ

1月
・ゼネラルモーターズ社の労働者、座り込みストライキ。~2月。

1月6日
・最高裁判所、農業調整法(AAA)に違憲判決。

1月15日
・日本、ロンドン海軍軍縮会議を脱退。永野修身、モンセル第1委員会議長に軍縮会議脱退を通告。16日、政府声明を発表。

2月1日
・チャップリン「モダン・タイムス」封切り。 

2月29日
・第2次中立法案成立、軍需品販売・輸送、借款禁止。1935年の中立法が1937年5月1日まで延長される

3月2日
・土壌保全・国内割当法が制定。 農業調整法(AAA)を実質的に継承。

3月17日
・アリゾナ州、日本人に対する農業禁止令が解除。 

3月25日
・イギリス、アメリカ、フランス3国、海軍力の拡大を制限するロンドン海軍軍縮条約に調印(各種軍艦のトン数、砲台の大きさのみ制限)。日本とイタリアは会議を脱退。

5月30日
・ウォルシュ・ヒーリー政府契約法成立。政府と契約する会社に最高労働時間・最低賃金制の採用を義務づける。

10月22日
・レオン・トロツキー擁護アメリカ委員会設置

10月30日
・海運労働者3万9千人、西海岸の全港湾でゼネスト(西海岸の全港湾閉鎖)。カリフォルニア各地でメキシコ人を主体とする農業労働者スト。

11月3日
・大統領選挙で民主党ルーズベルト大統領再選。副大統領ガーナー。一般投票ではルーズベルト27,757,333票、ランドン16,684,231票、選挙人投票ではルーズベルト523票、ランドン8票。議会では下院で民主党331議席、共和党89議席、他13議席、上院で民主党76議席、共和党16議席、他4議席。

11月13日
・陸軍省、ミッドウェー島基地化計画を発表。

12月26日
・米人義勇兵第一陣96人の1人としてジャック・白井、フランス汽船ノルマンディ号に乗込む。31日、フランスのルアーブル着。
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