三笠宮崇仁さま逝去 100歳、天皇陛下の叔父:朝日新聞https://t.co/7qJM0GxaZn— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) 2016年10月27日
戦時中は、支那派遣軍参謀、大本営陸軍参謀などを務めた。中国での日本軍の規律の乱れや残虐行為に対して軍内で反省を促す声をあげるなど、毅然(きぜん)とした姿勢を貫いていたことが...
日本軍の生体実験や南京大虐殺に怒った三笠宮崇仁、無かったことにしたい安倍晋三 https://t.co/0bDTV6aihy— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) 2016年10月27日
三笠宮さまが歩んだ激動の一世紀 日本軍を批判、紀元節復活に反対も https://t.co/MnfBg21TYX # @HuffPostJapanより— 安冨歩 (@anmintei) 2016年10月27日
戦後、三笠宮様は東京大学文学部の研究生となり歴史学を学ばれた。1950年代の紀元節の復活への動きに対して、考古学者・歴史学者としての立場から、神武天皇の即位は神話であり史実ではないとして強く批判し、積極的に紀元節復活反対の論陣を張った。 pic.twitter.com/gLxzsewwnb— 徳永みちお (@tokunagamichio) 2016年10月27日
三笠宮崇仁さんはガチの歴史研究者だったので戦後、紀元節(神武天皇が即位したとされる2月11日)が祝日化されようとしたとき「神武天皇は実在してねえし2月11日に即位したのも歴史的事実じゃねえし」と反対してんのよね。皇族の立場でも歴史修正は絶対許さないという真摯な方でした。ご冥福を。 pic.twitter.com/jPE6lVJxXf— Simon_Sin (@Simon_Sin) 2016年10月27日
三笠宮崇仁の紀元節批判(1957年)— シン・コタツ (@sangituyama) 2016年10月27日
https://t.co/PBmcRgqKPo
三笠宮の言葉「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた世の中を、私は経験してきた。……過去のことだと安心してはおれない。……紀元節復活論のごときは、その氷山の一角にすぎぬのではあるまいか」建国記念日の創設に反対した。拙著『「諸君!」「正論」の研究』岩波— 上丸洋一 (@jomaruyan) 2016年10月27日
三笠宮様は、陸軍大尉として1943年(昭和18年)1月から翌1944年(昭和19年)1月まで南京の支那派遣軍総司令部に勤務。その三笠宮様が戦後ご自分の著書の中で述べられたお言葉。 pic.twitter.com/n0XBYtyz37— 徳永みちお (@tokunagamichio) 2016年10月27日
三笠宮さま、筋金入りだな。自著には「中国の人民にたいして犯したいまわしい暴挙の数かずは、いまさらここにあげるまでもない」と記し、「神武天皇が即位した日を祝う戦前の紀元節を復活させる動きに対し、根拠がなく、誤った国家観念を植え付けるとして真っ向から反対の論陣を張られた」。 pic.twitter.com/95ySCW3rdW— ミスターK (@arapanman) 2016年10月27日
三笠宮崇仁さんは戦時中「若杉」の名で南京の支那派遣軍総司令部に勤務し「略奪暴行を行いながら何の皇軍か。現地の一般民衆を苦しめながら聖戦とは何事か。大陸における日本軍官民のこのような在り方で、いったい陛下の大御心にそっているとでも思っているのか」と皇軍の素行の悪さに怒ってたりする。 pic.twitter.com/F04TowjAWJ— Simon_Sin (@Simon_Sin) 2016年10月27日
「聖戦」批判、「紀元節」復活に反対 三笠宮さまの戦後:朝日新聞デジタル https://t.co/DsM7Ty2xsn— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) 2016年10月27日
「聖戦という大義名分が、事実とはおよそかけはなれたものであった」
オリエント史研究に情熱=戦争、皇室批判も-激動の一世紀歩む・三笠宮さま:時事ドットコム https://t.co/MUb9K3M5C2 @jijicomさんから— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) 2016年10月27日
44年1月、三笠宮さまが陸軍を批判した文書は50年後の94年7月に見つかった。自身の「お印(しるし)」にちなんだ秘匿名「若杉参謀」の名で書かれ、「支那事変に対する日本人としての内省」と題し、「現在日本人、特に軍人に欠如しているものは『内省』と『謙譲』」と述べ、軍部に猛省を迫った。
日本軍の残虐行為をテーマにした映画を日本に持ち帰り、昭和天皇に見せたこともあった。「聖戦という大義名分が、事実とはおよそ懸け離れたものであった」「聖戦に対する信念を完全に喪失した私としては、求めるものはただ和平のみとなった」。著書に付した「わが思い出の記」で当時の苦悩を吐露している。
憲法9条について「戦争放棄は大変いいと思いました」と述べ、紀元節復活の動きには「歴史学的、考古学的な裏付けがない」と反対。時に踏み込んだ見解を示し、保守派勢力から「赤い宮さま」とやゆされたこともあった。
三笠宮さまは、南京虐殺について「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係はありません」(THIS IS 読売94年8月号)と述べられてる。— シン・wakako mithuhashi (@waka__chang) 2016年10月27日
三笠宮殿下のこの御言葉を、NHKニュース9が伝えた。 pic.twitter.com/YsCzaeOAqP— 徳永みちお (@tokunagamichio) 2016年10月27日
100歳の主治医が105歳だったか pic.twitter.com/fGhAExlxHS— ¥Cuスタ平(M3にH-01bで参加) (@stahe) 2016年10月27日
やなせたかしさんが亡くなった時も同じものを感じた。あのおかしい世の中を二度と繰り返してはならないと、強く思って生きて来たのに、よりによってあの時代に逆戻りするなを見ながら死ぬなんて。そんなの悲しすぎる。 pic.twitter.com/QsAdkEfdfb— spark (@Yonge_Finch) 2016年10月27日
「言論は極度に弾圧されており少しでも日本に不利な発言をしたり、あるいは日本を批判する者は『国を売る者』などといわれ、一般幕僚においては大胆なる発言は困難である。私は幕僚の末席にありながら僭越を顧みず特に発言するところである」三笠宮殿下のお言葉、リベラルで驚いた。すごい。#報ステ pic.twitter.com/VwvamTJ8DB— YOUCHARIST / 幽蛇 (@youcharist) 2016年10月27日
週刊新潮の「三笠宮殿下」特集がすごい件~「罪もない中国の人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数かず」 - NAVER まとめ https://t.co/SWxxjx1ory— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) 2016年10月27日
記録しときます。有名ですが、「週刊新潮」が紹介したということで一応。 更新日: 2016年10月27日
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