2016年10月27日木曜日

三笠宮(100歳)逝去 ; 神武天皇の即位は神話であり史実ではないとして強く批判し、積極的に紀元節復活反対の論陣 / 「兵隊の胆力を養成するには、生きた捕虜を銃剣で突きささせるに限ると聞きました」 / 「中国の人民にたいして犯したいまわしい暴挙の数かずは、いまさらここにあげるまでもない」 / 「略奪暴行を行いながら何の皇軍か。現地の一般民衆を苦しめながら聖戦とは何事か。」 / 「聖戦という大義名分が、事実とはおよそかけはなれたものであった」 / 南京虐殺について「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係はありません」 / 週刊新潮の「三笠宮殿下」特集がすごい件~「罪もない中国の人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数かず」 - NAVER まとめ













 44年1月、三笠宮さまが陸軍を批判した文書は50年後の94年7月に見つかった。自身の「お印(しるし)」にちなんだ秘匿名「若杉参謀」の名で書かれ、「支那事変に対する日本人としての内省」と題し、「現在日本人、特に軍人に欠如しているものは『内省』と『謙譲』」と述べ、軍部に猛省を迫った。
 日本軍の残虐行為をテーマにした映画を日本に持ち帰り、昭和天皇に見せたこともあった。「聖戦という大義名分が、事実とはおよそ懸け離れたものであった」「聖戦に対する信念を完全に喪失した私としては、求めるものはただ和平のみとなった」。著書に付した「わが思い出の記」で当時の苦悩を吐露している。

憲法9条について「戦争放棄は大変いいと思いました」と述べ、紀元節復活の動きには「歴史学的、考古学的な裏付けがない」と反対。時に踏み込んだ見解を示し、保守派勢力から「赤い宮さま」とやゆされたこともあった。












0 件のコメント: