長谷寺
*明治39年
宋教仁の入院
明治39(1906)年7月、宋教仁は神経衰弱になり、早稲田の清国留学生部予科の課程を終えた直後、ひと月ほど田端の東京脳病院に入院する。
退院後、宋教仁は下宿を引き払い、『民報』編集部のある牛込区東五軒町19番地(現、新宿区東五軒町3番22号)に引っ越した。
宋教仁の孫文に対する反感は、国旗問題と金銭の紛争で頂点に達した。日記には、孫文のやり方を批判して「専制跋扈に近し」と記している。常にマイペースで物事を決めてしまう孫文のやり方が我慢ならなかった。理論家で律儀な宋教仁とはまるで馬が合わなかった。
明治39年
魯迅、仙台から東京に戻る
明治39年、魯迅は仙台から東京へ戻り、官費奨学金をもらい続けるために、飯田橋にある獨逸学協会付属の獨逸語専修科(現、獨協大学)に入学登録した。しかしめったに学校へは行かず、独学でドイツ語を勉強して、大半の時間を読書と翻訳に費やした。
読んだのは日本の作家のもの以外に、東欧諸国の民族主義的な文学作品も多かった。日本で入手できない作品は、神田の中西屋や日本橋の丸善で海外から取り寄せ、本郷の南江堂や古書店を巡って、古書のドイツ語叢書の中から探し出した。英文学史、ギリシア神話も集めた。何種類もの雑誌を定期購読し、大切なページは切り抜いてスクラップした。ドイツ語の図書は、各国の文学作品から自然科学まで127冊も集めたという。食費を削って高価なドイツ語の『世界文学史』も買った。
こうした努力の積み重ねは、後に古代中国から明代までの小説を分析・研究した『中国小説史略』として実を結んだ。それまで中国には存在しなかった小説史を書くことこそ、魯迅がほんとうにやりたかったことであった。
東京は中国革命の熱気があふれていた。前年の明治38年、中国革命同盟会(後に中国同盟会と改称)が組織され、多くの革命家が東京を闊歩し、それを取り巻く清国留学生たちの間にも革命の高揚感が広がっていた。
著名な国学者の章炳麟が亡命して中国同盟会の機関紙『民報』の編集長となり、編集部を置いた貸家で毎週末「国学講習会」を主宰した。魯迅も国学を学ぶために通ったが、一方で、章炳麟の主宰する革命組織「光復会」が決死隊を中国へ送り込むことになり、そのメンバーに指名された。
しかし魯迅は気が進まず、「もし自分が死んだら、あとに残された母親をどうしてくれるのか、はっきり聞いておきたい」と告げると、一同のけぞって呆れかえり、決死隊メンバーから外されたという逸話が残っている。
魯迅は、東京の下宿屋を二度ほど移り、三度目に本郷に移った。
現在の東京都文京区西片1丁目12番で、東京(帝国)大学に近く、明治から昭和初期にかけて大学教授や高級官僚が住む「学者町」として知られ、夏目漱石、樋口一葉、二葉亭四迷、上田敏など文学者も住んでいた。
親友で同郷出身の許寿裳が見つけてきた貸家だが、家賃40円は留学生にとっては法外な値段だった。しかし魯迅は飛びついた。というのも、その家は直前まで、ロンドンから帰国した売れっ子作家の夏目漱石が住んでいたからだった。夏目漱石はこの家が気に入らず、住んだのは僅か9ヵ月で、小説『三四郎』を書き上げてから早稲田に引っ越した。
魯迅は、許寿裳と相談して強引に2人の留学生仲間と、数ヵ月前に中国から連れてきた弟周作人を入れて5人で住むことにした。5人で住むから「伍舎」と名をつけた。
魯迅は、家賃を頭数で割って、弟の分も負担したから毎月16円の住居費を支払った。僅かな奨学金の大半は本や雑誌に使ってしまい、生活費はひっ過した。好きな洋風の食べ物や飲み物 - ミルクセーキ、ジュース、チョコレートミルク、トースト、コンビーフなど - を我慢し、東大近くの有名な洋風食品店青木堂も横目で見ながら通り過ぎるしかなかった。
家は二階建てで、一階の玄関を入ったところが洋間になり、その先に8畳間の客間と6畳間があった。左手には風呂と台所、その奥に11畳の居間とトイレ。二階には8畳間と4畳半がある。一階にはガラス戸のはまった廊下があり、樹木の生い茂る庭が眺められた。その庭先に、魯迅と許寿裳は様々な花の種をまいたが、心を奪われたのは朝顔だった。
朝顔は、種を撒くとほどなく小さな芽を吹いた。見る間に弦が伸びて大きな葉を茂らせ、赤や青の大輪の花をつけた。朝露の残る早朝、開いたばかりの朝顔は瑞々しく、夕方になるとあっけなく萎んだ。萎んだ花をいくら摘みとっても、明日はまた新たな花芽が咲きほこる。可憐ではかない日本の風情だ。ふたりは陶然として朝顔に見入り、幸福なときをかみしめた。中国では見たことのない花だった。
魯迅は一階の6畳間を使った。日本の学生を真似て着物を着て、家にいるときは一日中浴衣姿で通した。毎朝目覚めると、布団から起き上がり、そのまま煙草をくゆらせて、朝日新聞を広げるのが習慣になった。新聞には、夏目漱石の『虞美人草』が連載されていた。
(つづく)
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