武者修行 茨木のり子
乱雲飛び
どすぐろい風 はためく曠野
野分はいくつすぎていつたか・・・・・
ふたたび武者修行のはやる季節
きたえられた宝刀を抱き
仮寝をむすぶ根なし草の氾濫
かつて父祖ら仕官のための放浪
われら今、あらゆる君主すてる旅路
人と人とのはざまは
千仭の谷
目のくらむ寂蓼に堪え
無辺の空と切りむすべば
暗い暗い火花が散る
燃えつこうとして 燃えつかない
ひうち石の火のような
夜陰
丘にのぼって
小手をかざせば
無数のかれらの閃光もみえる
つめたく
もどかしい
不吉な陣痛のひきつりのような
のろし火
彼方にあがり 消え
合言葉解せぬまま
彼方にのろし火あがり 消え
狂鳥墜ち!
沼ははげしい静穏を保つ
この島にはじめて孵る深海魚の子ら!
五官にみづからの灯を入れて
野火の夢を拒絶せよ!
(『対話』1955年11月所収 初出「櫂」第三号1953年9月 詩人27歳)
・・・・・茨木の詩「武者修行」(一九五三年九月)は、占領解除後の光景を「ふたたび武者修行のはやる季節」として捉えたものである。「かつて父祖ら仕官のための放浪/われら今、あらゆる君主すてる旅路」との状況認識は、戦時-占領とは異なった「今」に対する認識を、緊張感をもって示している。「あらゆる君主すてる旅路」との決意を示し、あらたな歴史に入り込むという緊張感を謳う。
のろし火
彼方にあがり 消え
合言葉解せぬまま
彼方にのろし火あがり 消え
狂鳥墜ち!
沼ははげしい静穏を保つ
この下りには、運動への期待が「のろし火」という言葉に込められ、それが散発的になされていくことが記される。最終節は、「この島にはじめて贈る深海魚の子ら!/五官にみづからの灯を入れて/野火の夢を拒絶せよ⊥と書かれる。これが、敗戦と占領を経験した茨木の認識であった。その時代から、さらにその先の未知の世界へ踏みいっていく覚悟が語られている。
(成田龍一「茨木のり子 - 女性にとっての敗戦と占領」(『ひとびとの精神史第1巻 敗戦と占領 - 1940年代』))
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