1907(明治40)年
4月1日
南満州鉄道、開業。
23日、調査部、設置。
この月、地質課、設置。撫順炭田の地質地形調査開始。
①レールの標準軌化・複線化(ロシアの超広軌、日本の狭軌を採用せず、イギリス式標準軌=広軌を採用)、
②大連中心主義:営口に対抗。英・米は主に営口を利用するが、営口は冬季には氷結(大連は不凍港)。長春~大連を長春~営口と同じ運賃とする(大連の方が218km長いが)。
③文装的武備」旅順に大規模病院・工学堂(旅順工科大学)設立。
4月1日
日清汽船会社設立。上海、漢口線に50万円等総計81万円の政府補助金を支出。
4月1日
寿屋(サントリー)が赤玉ポートワイン(赤玉スイートワイン)を発売。
4月1日
小野吉勝「弱者陣頭に立てり(内村鑑三氏とツラピスト)」(「世界婦人」)。
福田英子を破門した内村の行動をキリスト教社会主義者への挑戦と受け止め、これを攻撃。
4月1日
新聞紙条例及び出版法施行。
4月1日
(漱石)
「四月一日(月)、池辺吉太郎(三山)は、『菓京朝日新聞』に「社告」として、紙面改良を掲げ、その終りに、「序ながら御披露仕候/近々我國文學上の一明星が其本来の軌道を廻轉し来りていよいよ本社の分野に宿り候事と相成居り候、而して小説に雑著に其光を輝かす可く候、何如なる星何如なる光、試みに御猜思下さる可く候、本社の分野には従来燦然たる諸星を宿す、燦然更に燦然たる可く候、右御承知下され可く候(以下略)」と予告する。
四月二日(火)、『東京朝日新聞』に再び、「社告」「(前文略)又昨日の紙上にて新入社の文學者あるべき事を御披露致置候處誰れぞ誰れぞとお尋ね少からず實は本人目下旅行中にて未だ執筆の場合に至らず候間彼の如く申上置候處、強ひてお尋ねに付きては名前をも申上べく候/新入社は夏目漱石君/に候、斯人が如何なる文學者にて如何なる才藻詞品を有し候やは本社が之を知るより以前に疾く御承知の方も有る可く又猶御存知なき方は最早やがて紙上にてお知合と成られ候箸に付、此際別段の鼓吹は仕らず候敬白」と報ずる。(鳥居赫雄(素川)は、この発表を見て、漱石に手紙を書き、「小生の苦心も水泡に帰し候」「實は大兄を擁し同じ堡塁に據り天下を引受勇戦仕度存居候も一躓再躓遂に是に至り」と洩らす)
(紙面改良の内容)
第一に、内外の電報を第二ページに集める。第二に、宮廷・政治・経済上の重要記事は二ぺージに収めきれぬので第三ページから第四ページに掲げる。第三に、社会生活上の雑報はこれまで通り第六ページを中心とする。第四に、文学上の作物・批評はこれまで通りの場所に掲載される。挿絵は全紙に亘り掲げられる。中村不折のものもこれまで以上に力を入れ、また二葉亭四迷も休載しないで発表することになるだろう。」(荒正人、前掲書)
4月1日
啄木(21)、代用教員の辞表提出(岩本武登助役・畠山亨学務委員は慰留)。
19日、高等科の生徒と村の南端平田野において校長排斥のストライキを指示。村内騒擾。
20日、遠藤校長、岩手郡土淵尋常高等小学校訓導兼校長に転任内示。(6月5日付)。
21日、啄木に免職辞令。
4月1日
漱石、鈴木三重吉作『千代紙』序〔2月23日執筆(鈴木三重吉に送った手紙をそのまま使う。)〕(俳書堂刊)
4月1日
絵葉書の表面に通信文を許す
4月1日
『家庭生活』5巻6号発行。
大杉栄「婦人諸君に与ふ」を掲載
4月2日
上海、『神州日報』創刊。
4月2日
夏目漱石、東京帝国大学講師辞任(東京帝国大学と第一高等学校に辞表提出)。朝日新聞社に入社。月給200円。年1度100枚ほどの長編小説を書く条件。当時月給の最高は池辺三山で170円(交際費100円が加わる)。二葉亭四迷が100円。3日「入社の辞」掲載。
漱石の月給は200円。賞与は年2回で夫々月給1ヶ月分。三山に次ぐ高給。「東京朝日」創刊以来の古参編輯長で石川啄木の入社を世話した佐藤北江は130円、経済部長松山忠二郎は140円。入社前の漱石の収入は東京帝大講師が年収800円、一高講師が同700円、その他を合わせ1800余円で「朝日の給与は、年額にしてそれより千円も多い」と「社史」は計算している。
4月1日付「東京朝日」二面真ん中に二段分をぶち抜いた「社告」。内外からの電報(速報記事)は今後、二面にまとめて載せる、などの紙面改革を報告し、「序ながら御披露仕候」と別行にして大見出しをたて、「近々我国文学上の一明星が其本来の軌道を廻転し来りていよいよ本社の分野に宿り候事(中略)如何なる星如何なる光、試みに御猜思下さる可く候」という予告をだす。
2日の二面にも社告が載る。末尾に、新入社の文学者は誰かとの問い合わせがあったが、本人旅行中でまだ執筆はできないが、じつは「新入社は夏目漱石君」とここだけ活字を大きくしている。
なお、大朝は、4日の二面の片隅に一段扱いで漱石入社が告知されだけ。
「入社の辞」(改題して「嬉しき義務」)。
「大学を辞して朝日新聞に這入ったら逢ふ人が皆驚いた顔をして居る。中には何故だと聞くものがある。大決断だと褒めるものがある。大学をやめて新聞屋になる事が左程に不思議な現象とは思はなかった。余が新聞屋として成功するかせぬかは固より疑問である。成功せぬ事を予期して十余年の径路を一朝に転じたのを無謀だと云って驚くなら尤である。かく申す本人すらその点に就ては驚いて居る。然しながら大学の様な栄誉ある位置を抛って、新聞屋になったから驚くと云ふならば、やめて貰ひたい」。
「朝日」での担任の仕事は、「只文芸に関する作物を適宜の量に適宜の時に供給すればよいとの事」で、「文芸上の述作を生命とする余にとって是程難有い事はない、是程心持ちのよい待遇はない、是程名誉な職業はない、成功するか、しないか抔と考へて居られるものぢゃない」。
「新聞社の方では教師としてかせぐ事を禁じられた。其代り米塩の資に窮せぬ位の給料をくれる。食ってさへ行かれゝば何を苦しんでザットのイフのと振り廻す必要があらう。やめるなと云ってもやめて仕舞ふ。休めた翌日から急に脊中が軽くなって、肺臓に未曾有の多量の空気が這入って来た」。5月3日
4月3日
森林法改正、公布。1908年1月1日施行。
4月3日
漱石、(談話筆記)(桂月のこと)〔4月3日『東京朝日新聞』〕
4月3日
大杉栄「エスペラント語講義 第一一回」(『語学』)
4月3日
有島武郎の日記
「日本に於て私の将来の職業について熟考した。私は確かに、一個の独立人として、自ら立つ位の能力はある。しかしこれ丈では十分でない。過去の歴史に密接な関係を持ち、将来人道に不離の関係を有するものに、果して私はなり得るだらうか。人は、その真摯な賢明な努力によって、全人類と自らを結びつけた時に於てのみ、初めて不滅である。その他の凡てのもの、祈禱、信仰、行為、他一切は、人を不死-即ち、至幸にするのに決して何の役にも立ち得るものでない。この目的に達するまで、休むなかれ」
4月4日
陸海軍(天皇の軍事に関する最高諮問会議である元帥府会議)、「帝国ノ国防方針」「国防所要兵力」策定。天皇の裁可得る。
陸軍はロシア、海軍はアメリカが仮想敵国。
25個師団・「八八艦隊」(ド級戦艦8隻・ド級巡洋艦8隻基幹)。
財政難・情勢が緊急でないためこの増強計画はすぐには実行されず。当時の陸軍は近衛、第1~16師団の17個師団で、第1~3期にわけて2個師団づつ増強する計画(最初の2個師団増強の後、増設なし)。
4月4日
大杉栄「新兵に与ふ」発禁事件控訴審の第一回公判。同月6日に判決言い渡しとされ、午後2時閉廷。
4月4日
(漱石)
「四月四日(木)、晴。暖かい。東本願寺に赴く。高浜虚子の紹介で、大谷句仏(光演)に会う。枳殻邸(渉成因)を見る。西本願寺にも行き、七条(京都)停車場から梅田(大阪)停車場に向う。大阪朝日新聞社主村山龍平に面会する。大阪ホテルの晩餐会に出席する。鳥居赫雄(素川)やその他十二、三人と夕食を共にする。星野旅館(東区高麗橋詰)に泊る。(『大阪朝日新聞』第一両一段に、夏目漱石の入社を知らせる文が掲載される。)
四月五日(金)、快晴。午前九時二十一分梅田(大阪)停車場発(浜松行)で、京都に向う。十時三十分、七条(京都)停車場着。電車で伏見・宇治・桃山に赴く。「○大坂は気象雄大なり」(日記)
四月六日(土)、雨。『京に着ける夕』執筆する。(推定)
四月七日(日)、晴。午後、嵐山に行く。釈迦堂・天竜寺を見る。
四月八日(月)、嵐山に赴き、保津川を下る。仁和寺・妙心寺・等持院を見る。
四月九日(火)、狩野亨吉・菅虎雄と共に、山端(やまばな)の平八茶毘の傍らを通り、高野村に行き比叡山に登る。延暦寺の転法輪堂(釈迦堂 西塔)・根本中堂(東塔)を見て、坂本に降りる。途中で胃病み、峠の茶屋で湯を飲んで治る。(菅虎雄)「はしり堂」で昼食をし、人力車で大津市へ行き、インクラインで京都市内に帰る。
(4月4日の大阪朝日の記事)
「夏目漱石君/懦弱頽廃漸くに其弊に堪へざらんとする現時の文學界に一味清新警抜なる作品を投じ文名嘖々として一世の耳目を聳動せしめつゝある漱石夏目金之助君は今や其の帝国大學第一高等學校等の教鞭を抛ち進んで吾社の聘に應じて入社し其の抱負と本領とを専ら本紙の上に傾倒し讀者諸君の前に清新警抜なる得意の大作を試みんとす、現下文壇の一明星たる漱石君の作品を味はんとせば請ふ今後の本紙を観よ」
四月七日(日)付大阪朝日新聞社京都支局宛手紙(封筒なし)に、「拝啓別封は来る九日御社發刊に掲載すべき原稿に有之候鳥居君に御約束致候處少々時日後れ至急を要し候につき御手敷くながら此旨本社へ電話にで御通知の上使にて同君手元迄御届被下底願上候先は用事迄 早々頓首」と書く。この手紙は、『京に着ける夕』の原稿に添えて、使いの者に届けさせたと推定される。」(荒正人、前掲書)

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