大杉栄とその時代年表(696) 1906(明治39)年12月5日~15日 山川均上京。堺は『平民新聞』で「諸君の中には山川均君の名を記憶せぬ人もあるでせう、山川君は曾て皇太子御結婚の当時不敬罪を以て処罰せられ、未丁年の故を以て酌量軽減せられながら、猶且つ三年六ケ月の長き月日を巣鴨監獄に送った人である」と紹介 より続く
1906(明治39)年
12月16日
張賽ら上海の紳商、上海で預備立憲公会設立。
12月16日
(漱石)
「十二月十六日(日)、午後、『野分』八十枚まで書く。高浜虚子宛葉書に、『野分』八十枚裁きあげたが、予定の半分にも達していない、二十日 (木) には脱稿する積りだが、残りの一、二回分は、十二月二十日以後になるかも知れめと断る。高浜虚子から題名を聞いてきたので、『野分』ではどうだろうかと返事を出す。
(『読売新聞』は、明治四十年一月以後、特別寄武家として迎えることを重ねて予告する。(これは実現しない))
十二月十九日(水)、家内中インフェルエンザに罹る。(漱石だけは罹らぬ)『文學論』校正刷、中川芳太郎に校正を依頼しているのに間遮って届けられ転送する。
十二月二十日(木)、夜になったら、『野分』の最後の章を書いてしまおうと思っていると、鈴木三重吉・中川芳太郎ほか何人か来る。十分ほどで帰って貰う。鈴木三重吉に『鶉籠』を贈呈する。
高浜虚子、人力車で『野分』の原稿を受け取りに来る。十時過ぎまでかかって、原稿の半分を朗読して、助詞の誤りを訂正する。十時頃、瀧田哲太郎(樗陰)来る。小宮豊隆も来るかと思っていたが来ない。
十二月二十一日 (金)、『野分』脱稿する。(この後、『文學論』の補筆・修正・訂正に専念する。)
竹越与三郎を主筆に招いたことから、「社告」として、「一月以後、従来の四面五面を廃止して、火曜日「醫事界」、水曜日「法曹界」、木曜日「経済界」、金曜日「教育界」、土曜日「農事及園藝」、各二頁ならびに日曜日「文藝界」四頁の専門の付録を添える」、附言に「月曜日は例により四頁。第一面より第四面の紙上は現在の通りです」と発表され、その後に、「漱石夏目金之助氏」として、「『吾輩は猫である』以来常に清新の作を公にして文名海内に喧傳せる漱石夏目金之助氏は特別寄書家として其の創作と批評とを本紙上に發表せらるゞ事となりました、丁未以後の文壇に如何ばかりの偉彩を放つかは想像に餘りある事でせう。」と伝える。」(荒正人、前掲書)
12月20日
在米日本人の革命党(竹内鉄五郎・小成田恒郎・岩佐作太郎らの「社会革命党」)、バークレーで雑誌「革命」第1号発行。
記事「カリフォルニア州における日本社会党の運動」中に「ミカド・王・大統領の転覆」の表現あり。日本人排斥気運の中、大統領暗殺を企てていると俗流新聞が煽り、本部(レッドハウス)周辺は騒然となる。翌年初め、官憲の取調べ。
12月21日
英、労働争議法が成立。
12月22日
(漱石)
「十二月二十二日(土)、小宮豊隆宛手紙に、「僕瓦斯会社出張所の前を通つて見世にあるランプが欲しくなつた、札を見たら十五園である。今に瓦斯でも引く家へ這入つたら此ランプを買ふ事に致さう。」と書く。(小宮豊宛手紙は、午後余り遅くならぬうちに書かれたものかと想像されるが、六本めである。現在発表されているのは、ほかには奥太一郎宛のものしかない)
(Dr.Craig 死去する。)
十二月二十五日(火)、小宮豊隆のために、『鶉籠』の見返しに「春を待つ下宿の人や書一巻」と響く。
十二月二十六日(水)、朝から夜遅くまで、鈴木三重吉ら来て、引越しの準備を手伝う。」(荒正人、前掲書)
12月24日
福井県小浜の女子技芸学校の生徒213人、校長と教頭の意見衝突により同盟休校。校長は、休職処分に。
12月25日
雑誌「光」第31号で終刊。
12月25日
第23議会招集。28日開会、1907年3月27日閉会。
勢力分布:政友171・憲本94・大同63・他51。西園寺内閣発足時は政友149・憲本98・大同76・他56。原敬の政友会多数派工作により特に大同倶楽部が切崩される。
原敬と山縣派との闘い(郡制廃止問題):
府県制と町村制の中間にあり意義が薄れてきた郡制に対して、原敬は郡役所廃止でなく郡会を廃止し、郡長が郡会の制約を脱し自由に町村を監督できるというもの。官僚制強化となるものでが、山縣派はこれを機に原が郡長の大異動をすることを恐れ反対(郡長は警察官上がりが多く、官僚支配の末端を担い選挙干渉を担当。山縣派官僚支配の基礎。これに対して、原は高等文官試験合格の若手官僚を郡長に送り込みつつあるため)。
衆議院では憲本・大同連合を買収で切崩し24票差で通過。貴族院では、委員会では9対4で勝利、本会議で108対149で否決。原は、政友会の力の及ばぬ貴族院でも善戦し、「山縣の貴族院における勢力も驚くべき程のものにはあらざるが如し」と自信を強める。
12月26日
徳川光圀以来続けられてきた『大日本史』の編纂完了が明治天皇に報告される。
12月26日
インドの国民会議派第22回大会(カルカッタ大会)開催。~29日。
スワラージ(民族自治・独立)、スワデーシー(国産品愛用)、外国品ボイコット(英貨排斥)、民族教育の4大決議採択。
つづく

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