1907(明治40)年
2月初
大杉栄(22)、東京府豊多摩郡淀橋町柏木342番地に、堀保子と転居。
2月1日
足尾銅山四山山中当番総代会。待遇改善請願24条決定。2月6日に大日本労働至誠会集会開催、坑夫一同による請願などを決める。実際には、4日に「騒擾」。
2月1日
幸徳秋水「独乙総選挙と欧州社会党」(日刊「平民新聞」第13号)。
1月25日ドイツ総選挙での社会民主党の敗北と議員政党の無力。
「欽定憲法・立憲王政・無責任内閣の下における「議会の勢力」は美香にもろくして、かつよわきものにならずや。・・・単に投票の多くをきそえる「議会の勢力」は、いかに頼みすくなきものならずや」。
2月1日
漱石「家庭と文學」(談話筆記)〔『家庭文芸』1巻2号2月号〕
漱石「僕の昔」(談話筆記)〔『趣味』2巻2号2月号〕
2月1日
柳田国男・自然主義文学者ら、イプセン会結成。
2月1日
『家庭雑誌』5巻4号発行
家庭雑誌社を、豊多摩郡淀橋町柏木の大杉栄(発行兼編輯人兼印刷人)の自宅に移転。
大杉栄「四ツの道徳」「小説 釣鐘物語(ジュール・ルメール」を『家庭雑誌』に掲載
2月2日
「郡制廃止案の大勢」(日刊「平民新聞」)。官吏侮辱罪で発行兼編集人石川に罰金刑。
2月3日
大杉栄「エスペラント語講義 第六回」(『語学』)
2月4日
足尾銅山暴動
午前9時15分、.通洞坑内で鉱夫と会社役員が賃金のことで衝突。これが導火線となる。坑夫900余が見張小屋7・馬小屋1破壊。南助松・長岡鶴造ら至誠会の慰撫で一旦沈静。
古河本社は「平民新聞」の社会主義者の煽動によるものと発表。内相原敬(前古河鉱業副社長)は山縣陸相に出兵を要請、至誠会幹部の逮捕、東京府下の社会主義者取締りを命令。堺・幸徳家は家宅捜査をうける。
夜、平民社、西川光二郎を足尾銅山に派遣。
6日に西川は足尾の労働者と共に逮捕され、7日、荒畑が足尾に向かう。"
6日朝9時、坑夫3,600の要求提出後、至誠会幹部検挙、宇都宮裁判所護送。再度騒動。坑夫数千がダイナマイトで本山建物数ヶ所を爆破・放火。鉱山所長南挺三宅を襲撃、重傷負わせる。本山9割焼失。夜、高崎歩15連隊3個中隊・騎兵憲兵1小隊出動。300人検挙。南助松、永岡鶴蔵、西川光二郎、拘引。
7日、午後4時、戒厳令。沈静化。坑夫の不満:
①現物賃金制:賃金の代りに会社の販売店より粗悪な日用品を購入させられる。
②賄賂の多寡により坑に差をつけ就業を差別。
③物価上昇に賃金がリンクしてない。
至誠会は要求が受入れられない場合は、北海道へ集団移住を提案。
西川は予審で免訴。南・長岡らは一審で無罪。"
7日夜、荒畑は日光駅に到着、翌8日朝、幸徳が準備した「ニ六新報」記者章を携行して大雪の中を足尾に向かう。
「はすでに戒厳令下にあって、軍隊は本山、小滝、通洞に各一個小隊、細尾に五分隊、その他は足尾町に分駐し、家屋という家屋は軍隊の司令部、裁判所の判検事、警察官、新聞記者で溢れていて泊ることなど思いも寄らぬ状態である。そして既に検挙された坑夫とその護送の巡査と、まだダイナマイトをかかえて坑内に潜んでいると称せられる坑夫と、その逮捕に向う巡査の決死隊と、新聞記者とが、雪どけの泥濘をふみ返して狭い街路を右往左往し、さながら戦場のような騒ぎであった。
著者はまず先年、その家で談話会を開いたことのある至誠会員(後出)早瀬健次郎が無事であることを知り、同家を宿に定めた。そして早速、警察本部、軍司令部、鉱山事務所をはじめ検挙された坑夫の家族を訪うて取材し、得るに従って本社に打電した。坑夫の間には各新聞の特派員が古河から買収されたという風説が流れていた。二月十日の『平民新聞』は著者の通信を載せるとともに、「奴隷記者」と題する短評を掲げ、「……吾人は此説を信ずるを欲せず。然れども亦此事あるを怪しまず」と皮肉った。
著者は街上で出会った本物の『二六』記者野沢枕城から、警察が著者の足尾潜入を知って所在を捜索している、騒擾も既にかく沈静したことだし、危険を冒してまで取材する必要は無いから、一刻も早く引揚げた方がよいと忠告された。その夜、宿の主人早瀬もついに検挙され、そして著者が潜伏していた室の外には、夜を徹して雪に軋む巡査の靴音が絶えないので、ついに意を決して十日の払暁、また降り出した雪に警戒のゆるんだ隙をうかがい、南助松の妻みさお、加藤栄松の妻ふじが、宇都宮監獄に送られた夫の差入れに赴くのと伴なって足尾を脱出した。粉のような細雪が風に狂う中を、多くの坑夫が軽便鉄道に積込まれ、手錠腰縄で巡査に護送されて行く。その囚徒の中には至誠会員の泉安治、加藤栄松、山崎伊三平等も交っていたのである。」(荒畑『続平民社時代』)
〈事件の根本原因〉
「事件の原因が坑夫の不満怨嗟にあったことは、提出の予定だった要求項目によく表われている。たとえば、本番賃金(3給)の六割増、最低十円二十銭の請負賃金制などの問題はともかく、開坑採鉱の間代(一間掘り何円何十銭という定め)の定期改訂。二週間以上の病人に対する五号施療(賃金の半額以上)の救助費。賃金支払い上の違算を防ぐため、現場員から間代を記した垂尺受取の証明を現場で渡すこと。請負賃金の不公平や、鉱石に含まれた鋼の歩合が不相当と思われる場合、立会と調査の権利を坑夫に与えること。坑内の衛生、安全、照明、通風の施設。労資合同委員による共済組合事務の監査、並びに毎月末の決算報告。施行規則の発布前、坑夫に通達してその承諾を求めること。会社の長屋が不足のため不得止(やむをえず)借家住いする者の家賃補助。なかんずく坑道ごとの飲料水設備とか、坑口の火薬類や札の渡し場に雨覆いを設けるとかの問題などは、どれ一つとして穏和妥当な要求でないものはなく、寧ろこんな基本的な条件すら欠けていたことが、この不祥事を惹起した根本原因と見なければならぬ。」(荒畑、前掲書)
〈政府の責任追及〉
「この事件は前年のいわゆる反屈辱講和問題暴動以来の大騒擾として、社会を驚倒させるとともに妄りに軍隊を動かした政府の責任に対して、囂々たる非難がおこったが果然、二月七日の衆議院で代議士武藤金吾が質問をおこない、その中で次の如く論じた。
古河市兵衛は幸福な人で、政府部内と因縁を結び官辺とはつねに縁故が絶えない。現政府の内務大臣原敬君とも関係があることは、天下周知の事実である。足尾鉱業所長の南挺三君はいかん、彼は農商務省において、足尾銅山の鉱毒予防工事を監督する責任者でありながら、足尾鉱業所の所長となった人物である。諸君、この暴動は果してこの問題と関連するところ無いであろうか。
だが、原内相は積弊の根源をついた武藤代議士の質問に直接答えようとはせず、「坑夫の一部を教唆煽動して暴動を起こさせた者があり、それは至誠会と称して北海道夕張にあるものの一部で、その一員たる南某は昨年の春以来、足尾に入り込んで労働者を煽動して不穏の行動に出づる懸念があった」と、攻撃の鉾先を他にそらしてしまった。」(荒畑、前掲書)
(註)内相原敬は前古河鉱業副社長
2月4日
安田善次郎ら、東京~大阪間の日本電気鉄道株式会社設立計画発表。3月1日不認可。
2月4日
ロシア外相、本野公使に日露協商を提議。
つづく
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