2025年12月7日日曜日

大杉栄とその時代年表(701) 1907(明治40)年1月15日~31日 「一月十七日(木)、木曜会。野上ヤヱ(緯名、野上八重子)宛手紙に、『明暗』(発表されなかった)について文学理論におよぷ詳しい批評を箇条書きにして送る。木曜会で、野上ヤヱの原稿『縁』朗読される。また、野上豊一郎(臼川)『忘れ草』も朗読される。注文いろいろ出る。もっと締まれば、詩的なものになると批評を加える。(略)」(荒正人)

 

野上八重子(弥生子)

大杉栄とその時代年表(700) 1907(明治40)年1月1日~15日 「明治四十年一月十五日、日刊『平民新聞』は産声いさましく誕生した。足かけ四年前の明治三十六年十一月十五日、日露戦争の開始を目前にして日本の歴史上に初めて戦争反対の叫びを掲げた週刊『平民新聞』の発行を見たのであるが、その英文欄には「機運が之を要するに至らば、吾人は近き将来に於て日刊新開の発行を期待する」と明記されていた。今や実にその期待が実現され、そして日刊の『平民新聞』が呱々の声を揚げたのである。」(『続平民社時代』) より続く

1907(明治40)年

1月15日

(漱石)

「一月十五日(火)、『文章世界』二巻第一号(一月号)口絵に「名家の書斎」として、島村抱月の書斎と共に掲載される。

一月十六日(水)、寺田寅彦『枯菊の影』を高浜虚子に廻送する。

一月十七日(木)、木曜会。野上ヤヱ(緯名、野上八重子)宛手紙に、『明暗』(発表されなかった)について文学理論におよぷ詳しい批評を箇条書きにして送る。木曜会で、野上ヤヱの原稿『縁』朗読される。また、野上豊一郎(臼川)『忘れ草』も朗読される。注文いろいろ出る。もっと締まれば、詩的なものになると批評を加える。鈴木三重吉、印半纏の気になってみたいと繰り返すので、教育のある者とない者は同じようにはなれぬと云う。」(荒正人、前掲書)

寺田寅彦『枯菊の影』(青空文庫)


1月15日

東亜セメント株式会社創立。尼崎市、資本金50万円。来年3月に操業開始。

1月15日

東洋モスリン株式会社設立。資本金200万円。

1月中旬

(漱石)

「一月中旬(推定)(日不詳)、渡辺和太郎、横浜市から来る。庄野宗之助の絵画について話す。(絵画を買い取って貰う交渉をする。二月中旬までかかる)」(荒正人、前掲書)


1月中旬

1月中旬の宋教仁の日記には、日本人から武器や火薬製造技術を提供してもらうことについて、孫文や滔天と協議したことをうかがわせる記事がある。

1月16日

「大韓毎日申報」、高宗の米・独・仏・露元首宛書簡掲載(「ロンドン・トリビューン」報道を写真版で掲載)。前年2月英紙ロンドン・トリビューン特派員ストーリに託したもの。ストーリーは帰国後「ロンドン・トリビューン」にこれを掲載。21日、書簡は偽物と政府発表。

1月17日

米国政府、日本学童隔離問題を加州大審院及び巡回裁判所に試訴。

1月17日

この日、有島武郎(30歳)、弟の壬生馬(26歳)と別れて、帰国のためにパリを発ってロンドンに向う。

1月18日

大杉栄(22)「エスペラント語講義(第六回)」(『語学』)

1月19日

大杉栄(22)、学士会事務所で日本エスペラント協会評議会に参加。機関誌『エスペラント』の改良、財務などについて話し合う。4月以降の体制として、黒板勝美監督のもとで、大杉は、千布利雄とおもに機関誌編集主任になることが決議される。

1月19日

ホッケー競技最初の記録(慶應大学のホッケー倶楽部、横浜外人団と試合、6対0で慶應が敗れる)

1月20日

漱石「寫生文」〔1月20日『読売新聞』〕

1月20日

憲政本党党則改正。大隈総理引退。

1月20日

横浜生命保険株式会社創立。資本金100万円。

1月20日

『平民新聞、』1月15日に創刊号を出すとすぐ休刊し、この日(20日)第2号を発行。

休刊中の5日間、堺は大石誠之助、西村伊作の2人に金策を依頼するため紀州新宮に行く。当初、大部分の創業費出資を約した竹内が何かの事情で約を果さなかっため。

1月21日

「明治恐慌」始まる

東京株式相場が暴落し、日露戦争後の恐慌が始まる。

1月19日に最高値をつけた大阪株式取引所の株価は月末までの12日間に2/3に落込む。また、年末にはピーク時の12%(774⇒90円)となる。

(16日には8%近く(58円)上昇、17日には51円上昇、と高騰を続けていた。)

危険を察知していた野村徳七(29)は前年末より、株の売却を続けているが、追証(委託証拠金)を求められるようになり、鴻池銀行より100万円の融資を受ける。結局、この間、徳七は500万円余の儲け得る

1月22日

インドネシア、大津波。死者約1,500人を出す。。

1月23日

(漱石)

「一月二十三日(水)、橋口清(五葉)宛手紙で、今日、第一高等学校で、モリスに会ったら、先日書いて貰ったブック・プレート(蔵書票)を版にしたいので、誰か紹介して欲しいと云っていた。また、自分のインキ壺二つ(赤と黒)青銅か何かで鋳造したいので、これも紹介して欲しいと依頼する。(予算は二つで五円位)」(荒正人、前掲書)


1月23日

湯川秀樹、生まれる。

1月25日

火野葦平、生まれる

1月25日

独帝国議会選挙。社会民主党に対抗するブルジョワ=ブロックの進出により同党議席半減。

1月26日

西園寺内閣、谷中村に土地収用法適用認定公告内相原敬(明治38年4月、古河鉱業副社長、内相就任後、顧問となる)。

1月26日

日清生命保険株式会社創立。東京、資本金100万円。

1月26日

オーストリア、議会選挙で普通・平等・直接選挙法公布。

1月27日

(漱石)

「一月二十七日 (日)、庄野宗之助宛手紙に、「技術は神聖であります。大兄の如く貧に處して神聖なる技術をけがさぬ御心掛は洵に敬服の至に堪へません。」と戴き送る。(『国民新聞』の「文芸消息」で、三上参次博士が漱石の面前で、「夏目君の傍によると書かれるぞ」と云うと、漱石は答えて、〝何に大抵は僕自身で間に合せるよ、『野分』の人物も隣を三分したものと思へば可からう〞と答えている。)

一月二十九日 (火)、「午前ハ夏目さんの十八世紀、」 (「志賀直哉日記」)」(荒正人、前掲書)

1月29日

東京地方裁判所第2号法廷で「神兵諸君に与ふ」発禁事件の第3回公判。

1月30日

高見順、誕生。

1月26日

陸軍大将乃木希典、学習院院長に任命される。

1月31日

米トール国務長官、青木大使に再び移民禁止協約を提議。


つづく



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