2012年5月5日土曜日

昭和17年(1942)5月13日 「一昨日日本運送船太平丸玄海灘にて米國潜水艦に襲はれ沈没し死人八百人あまりに及びし由、」(永井荷風「断腸亭日乗」)

東京 江戸城(皇居)東御苑 2012-05-02
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昭和17年(1942)
5月1日
五月初一。陰。落葉を焚く。貝母の花ひらく。
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5月2日
五月初二。晴又陰。市兵衛町大掃除。日暮金兵衛に飰す。
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5月3日
五月初三 日曜日 晩間細雨烟の如し。食後淺草を歩す。
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5月4日
・五月初四。午後土州橋病院に行く。芳原の娼家不二楼の主人なりと云ふ人に逢ふ。歸途金兵街に飯す。此日くもりて蒸暑し。
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5月5日
五月初五。晴。午睡半日覚めて後金兵衛に飰す。木村富子來書。共著淺草富士の序を需む。舊作の發句をおくる。
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5月6日
五月初六。晴又陰。晩間電車新橋停留場にて去年の春頃折々尋來りし女事務員椎野何子に逢ふ。明日午後お尋しますとて用事ありげに立去りぬ
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5月7日
・五月初七。或人のはなしに松竹會社文藝部員小出某其他二三名、去年より徴用令にて南洋に迭られたる者。其資格は軍曹にて仕事は紙芝居の筋書をつくるなりと云。背景は同じく徴發せられし大道具の画工これを描き占領地の住民に見せ日本國は神國なることを知らしむるなりと云。この日雨。
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5月8日
五月初八。雨歇まず風冷なり。夜淺草に行く。
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5月9日
五月九日。晴れて風寒し。夜金兵衛に飰す。偶然清潭子に逢ふ。
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5月10日
五月十日 日曜日 晴。終日困臥。
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5月11日
・五月十一日。晴。
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5月12日
五月十二日。曇りて南風親し。午後土州橋に至る。
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5月13日
五月十三日。陰。一昨日日本運送船太平丸玄海灘にて米國潜水艦に襲はれ沈没し死人八百人あまりに及びし由、新聞には今日に至るも其記事なしと云。
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相変わらずの
「世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎吾事ニ非ズ。」
の態度である。


実際の「世上」はどうなっていたか。
赫々たる戦果と、躓きの第一歩(「ミッドウェーへの道」)が出た頃である。
また、13日の「太平丸」というのは「大洋丸」のこと。


5月1日 ビルマ、マンダレー占領。
5月3日 ツラギ(ソロモン諸島政庁所在、ソロモン群島フロリダ島)無血上陸、占領。
5月5日 ミッドウェー、アリューシャン作戦発令。
5月7日 コレヒドール要塞占領。
5月7日 珊瑚海海戦
5月8日 大洋丸沈没(大洋丸事件)
     日本郵船の大洋丸、東シナ海・長崎沖男女群島近くで米潜水艦の雷撃で沈没。 
     543(523?)人救助、817人死亡。
      多くは南方へ向かう途中の第一次南方建設隊。
5月6日にも、南シナ海中部で船団中2隻が沈没。
この頃より、アメリカ軍潜水艦魚雷攻撃の被害が出始めている。
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