2012年8月16日木曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(28) 「第1章 ショック博士の拷問実験室」(その8)

東京 北の丸公園 2012-08-04
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ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(28)
 「第1章 ショック博士の拷問実験室」(その8)

9・11、混乱、不安と恐怖、集団的な退行。「ダークサイド」に踏み入ることも辞さない決意
二〇〇一年九月一一日、長年アメリカ政府が取り続けてきた「もっともらしい否認」の立場は、一瞬にして消し飛んだ。
世界貿易センターとペンタゴンへの攻撃は、「クバーク・マニュアル」で想定された衝撃とはまったく異質のものとはいえ、その影響は驚くほど類似していた。
著しい混乱、極度の不安と恐怖、そして集団的な退行。
クバーク方式の尋問者が「父親のような存在」として立ち現れるのと同様、ブッシュ政権はすぐさま人々の恐怖を利用して、必要であれば手段を選ばずに「国土とその脆弱な人民を守る親のような保護的役割を演じようとした。
「ダークサイド」〔映画『スター・ウォーズ』の用語で、人間の持つ邪悪な面を指す〕に足を踏み入れることも辞さないというディック・チェイニー副大統領の発言は悪名高いが、これに象徴される米政府の政策転換とは、それ以前のより人道的な政権であれば敬遠したような戦術を取り入れることではなかった
(多くの民主党員は、アメリカ人は生まれながらに無罪だという神話 - 歴史家のギャリー・ウィルズが(原無罪)と呼んだもの - を引き合いに出し、米政府の政策転換は本来罪のないアメリカ人の名に恥じるものだと主張した)。
9・11を境にした大きな転換とは、かつては代理人を介し、追及されたときには否定できるだけの距離をおいて行なわれていたことが、今や直接行なわれ、公然とその正当性を主張されるようになったということなのだ。

内部者による拷問が可能になり、訴追の心配もない
拷問の外注化についての指摘は数多くなされているが、ブッシュ政権が行なった本当の意味での革新的な転換は、内部者による拷問を可能にしたことだった。
すなわち、拘束者は米国市民の手により、米国の運営する刑務所で拷問されるか、米国機によって直接、第三国に「特別引き渡し」されることになったのだ。これがブッシュ政権と他の政権とのきわだった違いである。
9・11以降、同政権は拷問する権利を誰はばかることなく要求するようになった。
結果として刑事訴追を受ける可能性が生じるわけだが、ブッシュ政権はこの間題に法の改正をもって対処した。

捕虜でなく「敵性戦闘員」
その経緯はよく知られている。ブッシュ大統領に権限を与えられた当時のラムズフェルド国防長官が、アフガニスタンで拘束された囚人は捕虜ではなく「敵性戦闘員」であるからジュネーブ条約は適用されないと主張し、この見解は当時のホワイトハウス法律顧問アルベルト・ゴンザレス(その後司法長官に就任)によって承認された。
次にラムズフェルドは、対テロ戦争において一連の特殊尋問行為を使用することを承認
ここにはCIAのマニュアルに記載されている方法(「三〇日以内の隔離施設の使用」「光と聴覚刺激の遮断」「移送と尋問の際に拘束音の頭に頭巾をかぶせる」「衣服を脱がせる」「拘束者の個人的な恐怖症(たとえば犬に対する恐怖)を利用してストレスを与える」)が挙げられていた。

ホワイトハウスによれば、拷問は依然として禁止されているが、拷問と定義できるのは、与えられる苦痛に「臓器不全のような重大な身体的損傷に匹敵する痛みを伴う」場合に限られるとしている。この新しいルールに従えば、アメリカ政府は一九五〇年代に何層もの秘密のベールに隠れて開発した方法を自由に使うことが可能になる。
しかも、今や訴追される心配なく公然と行なうことができるのだ。
そして二〇〇六年二月、CIAの顧問機関である情報科学委員会が発表した国防総省のベテラン尋問官の執筆による報告書には公然と、「「クバーク・マニュアル」を入念に読むことは尋問に関わるすべての者にとって必須である」と書かれている。

ホセ・パディラの場合
この新しいルールが真っ先に適用された一人に、アメリカ国籍の元ギャングの一員ホセ・パディラがいる。
二〇〇二年五月、パディラはダーティーポム(放射能爆弾)の製造を企てた容疑でシカゴのオヘア空港で逮捕された。パディラは起訴されて裁判にかけられることなく敵性戦闘員として扱われ、あらゆる権利を剥奪された。サウスカロライナ州チャールストンの米海軍刑務所に連行されたパディラは、本人の話によればLSDかPCPと思われる薬物を注射され、極度の感覚遮断状態に置かれた。非常に狭い独房には窓からの光も差し込まず、時計やカレンダーを目にすることもできなかった。独房の外に出るときは手かせ足かせをはめられ、目には黒いゴーグル、耳には重いヘッドホンを弟けさせられて何も見ることも聞くこともできなかった。パディラはこの状態で一三〇七日間過ごし、尋問官以外には誰とも接触することができなかった。尋問を受けるときには強烈な光と音を浴びせられた。

二〇〇六年一二月、パディラは法廷審問を許された。
この時点でダーティーポムの容疑は取り下げられ、パディラはテロリストとの接触の罪に問われていたが、彼は自分を弁護する術をほとんど持たなかった。専門家の証言によれば、退行を引き起こすキャメロン流の手法が全面的に功を奏して、パディラは成人としての人格を破壊されていたのだ。
これはまさに意図されたことにほかならなかった。
「長期に及ぶ拷問により、パディラ氏は精神的にも身体的にもダメージを受けた」と、彼の弁護士は法廷で述べている。「パディラ氏は政府から受けた処遇によって人格を奪われた」。パディラの精神鑑定を行なった精神科医は、彼には「自分自身を弁護する主張を行なう能力がない」と結論している。
にもかかわらず、ブッシュに任命された判事はパディラが裁判を受ける判断能力を持つと判断した。そもそも彼が公開裁判を受けたこと自体、きわめて異例だった。米政府の運営する刑務所に収容された他の何千人という収監者(パディラとは異なりアメリカ国籍は持たない)は、同様の拷問を受けながら、民間の法廷で裁きを受けることはいっさいない。

(つづく)


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