2013年6月2日日曜日

「朝日新聞」2013-05-30「論壇時評」 高橋源一郎  「生々しいことば 信頼できると思うんだ」

「朝日新聞」2013-05-30「論壇時評」 高橋源一郎 
「生々しいことば 信頼できると思うんだ」

①北原みのり『さよなら、韓流』(今年2月刊)

 北原みのりさんの『さよなら、韓流』は、いわゆる「韓流」にはまった、ひとりの女性の記録で、最高に面白い(①)。

 いかに韓流アイドルがカッコいいかを、売り出し中の「オカマ」で処女(童貞?)の「少年アヤちゃん」と熱く語り合ったり、フェミニズムの立場から上野千鶴子さんに厳しく批判されてショボンとしたり、なんかカワイイです。
でも、読んでいるうちに、この軽い面持ちの本が突きつけていることの重要さに、ぼくは思わず居住まいを正した。

 韓流ドラマを流すテレビ局への「反韓」デモで、その存在を広く知られた「反韓」な人たちは、その刃をファンの「おばさん」たちにも向けたんだ。

 「たかが女の欲望」なのに「まるで非国民のように、まるで日本の男を裏切っているかのように罵倒される。まるで戦時中にアメリカの文化を敵視した感性と同じものが、今、韓流に向けられている。というか、もしかしたら私たちは今、戦時中なの?」

 そして、「正義」と「愛国」の名の下に(日本の男たちに)憎しみをこめて「韓流おばさんは、韓国へ行け上と叩かれる現実。
北原さんは、「反韓」感情の底に、根深い「女性差別」を見つけ、こう考えるようになった。

 「この日本で女でいることって、何なの?・・・自分が選んだものでもないという点で、女であることも日本人であることも全く一緒だ」

②橋下徹大阪市長の発言(記者団とのやりとりから)

 「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、精神的にも高ぶっている猛者集団を休息させてあげようと思ったら、慰安婦制度は必要ということは誰だってわかる」という発言をして物議を醸したと思ったら、それは「大誤報」だと言い出した橋下徹大阪市長(②)。
「私は、いま、そう考えている」と言わない限り、後で正反対のことを主張してもOKなんだって。
さすが「論理の穴」を見つける天才だなあ、とぼくは唸(うな)ったよ。

③大沼保昭『「慰安婦」問題とは何だったのか』(2007年刊)
④江川詔子「日本が誇るべきこと、省みること、そして内外に伝えるべきこと」

 この「慰安婦」発言に関しては、多くの反応があった。
中でも、ぼくが心を打たれたのは、江川紹子さんによる、「女性のためのアジア平和国民基金」の呼びかけ人で理事を務め、『「慰安婦」問題とは何だったのか』(③)の著者でもある大沼保昭さんへのインタビューだ(④)。

 「基金」の最大の使命は「戦時中に日本兵相手の『慰安婦』となった海外の被害女性に対する償い事業」だった。
だが、この「基金」の活動にはいくつもの困難が立ちふさがった。
「『100%の結果は得られずとも、少しでもよりよい状態を実現しよう』と地道に積み重ねてきた人たちの思いや努力」は、様々な事情によって「無残に踏みつぶされ」てしまった。
勃興するナショナリズム、それぞれの立場の「正義」を言い募ること、それらのはざまで、主人公であるべき「慰安婦」の人たちの「本音」はかき消されていった。
そのことを、大沼さんは話す。

 印象的なのは、静謐で、少し哀しげなしゃべり方だ。
それは、大沼さんが、紙の資料やなんらかの「正義」や証明したい「事実」ではなく、生身の「慰安婦」たちの姿を見ていたからだ。
彼女たちの呟(つぶや)きの一つ一つを、膝がくっつくほどの距離で聴いたからだ、とぼくは思った。

 すぐに撒回され、なかったことにされる発言、「資料がない」からといって否定される事実、あるいはお互いに罵倒のことばをぶつけ合うだけの「論争」、そういうシーンを見ていると、なんだか、ことばを使うのがイヤになってくる。

 だからだろうか、ぼくの目に飛びこんでくるのは、「現場」を凝視した上で発されることばだ。

togetter「小久保哲郎さんが語る、『これはトンデモナイ生活保護法改正案!』」
大西連「生活保護法改正法案、その問題点」(シノドス)
みわよしこ「事実上、利用できない制度へと変わる!?生活保護法『改正』案の驚くべき内容」(ダイヤモンド・オンライン)

 「生活保護」の申請をさらに困難にし、親族の扶養義務を強化する、という、先進国といわれるところではありえない「改正」が、ほとんど話題にもなっていない。

 そこにどんな問題があるのか、生活保護法の現場を見てきた弁護士小久保哲郎さんのツイッターへの投稿(⑤)、同じく生活困窮者へのサポートを続けてきた大西連さん(⑥)や、自らも障害を抱えたみわよしこさんがネット上に発表したことば(⑦)には、「生活保護」の現場が生々しく映っている。

 そういうことばが、いま欲しい、とぼくは、心の底から思う。

⑧想田和弘「日本人は民主主義を捨てたがっているのか?」(世界6月号)

 いや、「論壇誌」に載ったものの中にも、生々しいことばがある。想田和弘さんのことばだ(⑧)。
想田さんは、憲法について、いま自民党が言い出している「改憲案」について考える。
学説や、いろんな人の意見によらず、たったひとり、自分のことばを積み上げて、考えてゆく。
それが想田さんの「現場」だ。
想田さんの考えは、論文のタイトル「日本人は民主主義を捨てたがっているのか?」に集約されている。

 いまこの国の人たちの中に、「身も蓋もない言い方をするならば、『みんなで無知でいようぜ、楽だから』というメッセージ」が蔓延しつつある、と想田さんはいう。
「彼らにとって、政治家のレベルが低いことは好ましいことであり、むしろそのことを、無意識のレベルで熱望しているのです」

 北原さんの、大沼さんの、想田さんのことばには、ぼくたちの国が置かれている状況が正確に照らし出されていて、ぼくは信頼できると思ったよ。
それに、彼らは、自分が言ったことばを絶対、撤回したりもしないだろうしね。


論壇委員が選ぶ今月の3点
小熊英二=思想・歴史
・北中淳子「労働の病、レジリエンス、健康への意志」(現代思想5月号)
・神野直彦「『人間的社会』の創造を求めて」(世界6月号)
・マーク・ブリス「緊縮財政という危険思想」(フォーリン・アフェアーズ・リポート5月号)
酒井啓子=外交
・ロナルド・ドーア、ジュリオ・プリエセ、エズラ・ヴォーゲル誌上討論「日本が軸足をおくべきは、米国?中国?」(中央公論6月号)
・フセイン・ハツカニ「米・パキスタン同盟の創造的破壊を」(フォーリン・アフェアーズ・リポート5月号)
・斎藤貴男「原発を売る『プラント輸出』という国策ビジネス」(g2 vol.13)
菅原琢=政治
大西連「生活保護法改正法案、その問題点」(シノドス5月18日)
・上村雄彦「金融取引税の可能性」(世界6月号)
・田中愛治「支え合う日本人と震災復興」(アスティオン78号)
漬野智史=メディア
・五十嵐敬喜「総有と市民事業」(世界6月号)
・米本昌平「PM2.5問題は日中環境外交の好機である」(中央公論6月号)
・中川淳一郎「やっぱりウェブはバカと暇人のもの」(新潮45 6月号)
平川秀幸=科学
・谷岡郁子「私は官僚の『不作為』という犯罪を許さない」(週刊金曜日5月17日号)
・明石昇二郎「被害者救済に背を向け、問われる司法の『不正義』」(世界6月号)
・奥田みのり「最高裁が初認定 感覚障害だけでも水俣病」(週刊金曜日4月26日号)
森達也=社会
・「政権に対する是々非々の姿勢を失った大新聞・テレビの惨状」(SAPIO6月号)
・孫崎享・白井聡「暴力としてのアメリカ」(atプラス16号)
・砂川浩慶「安倍政権『メディア規制』の履歴」(放送レポート242号)
※敬称略、委員50音順


担当記者が選ぶ注目の論点
私たちの生活の行方
 憲法改正やアベノミクスの是非などの社会問題が、ニュースとして大きく報じられている。そんななか、私たちの生活は今後どうなるのかを探った論考が目を引いた。

 「現代思想」5月号は「自殺論 対策の現場から」という特集を組んだ。
北中啓子「労働の病、レジリエンス、健康への意志」は、自殺と心の病の関係について概観した。
日本でうつ病が日常的な心の病と短期間で認識されるようになった背景には、過労自殺などの社会問題を巡る司法判断で、労働とうつ病の関係が認められるようになったことをあげる。
さらに、日本人の過労自殺を「クレージー」と驚いていた国でも、不況によって伝統的な労働環境が崩され、職場のストレスで、精神障害が起こるという認識が広がり始めたという。

 雨宮処凛と川口有美子「死なせないための、女子会」は尊厳死や生治保護問題などの一連の動きについて「弱い立場にある人のことを『大変だな』と思うような、大きく広い視点を持てなくなっている」(雨宮)と指摘した。

 今月17日に閣議決定された生活保護法改正法案を巡っては、大西連「生活保護法改正法案、その問題点」(シノドス5月18日)がいち早く論じた。
申請手続きの変更や扶養義務強化が「『水際作戦』の再来と強化のおそれ」につながると指摘し、法案の前提にある
「『自助』を中心に『共助』をあてにし、確たる制度としての『公助』を圧縮しようという発想」を批判した。
 アベノミクスについては、「フォーリン・アフェアーズ・リポート5月号」が特集「清算主義の罠と流動性の罠」で海外識者の見方や評価を紹介。
多くの先進国が直面する、金利ゼロでも資金が動かない「流動性の罠」からどう抜け出すかに他国の関係者も期待を寄せているという。

(改行、段落を施した)




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