2014年8月29日金曜日

『朝日新聞』論壇時評2014-08-28 「戦争と慰安婦 想像する 遠く及ばなくとも」(高橋源一郎)

『朝日新聞』論壇時評2014-08-28
「戦争と慰安婦 想像する 遠く及ばなくとも」(高橋源一郎)

①映画「父親たちの星条旗」(クリント・イーストウッド監督、2006年)
 映画「父親たちの星条旗」の冒頭、「ほんとうに戦争を知っているものは、戦争について語らない」という意味合いのことばが流れる(①)。
深く知っているはずのないことについて、大声でしゃべるものには気をつけたい。
これは自戒としていうのだが。

②渡辺恒雄「「安倍首相に伝えたい『わが体験的靖国論』(文芸春秋9月号)
 読売新聞主筆・渡辺恒雄が文芸春秋に書いた文章のタイトルは「安倍首相に伝えたい『わが体験的靖国論』」(②)。
それは、消えつつある「ほんとうに戦争を知っている」世代から、そうではない世代の指導者への遺言のように、思えた。

 渡辺は、「先の戦争」の責任について語り、その象徴として「靖国問題」を取り上げた。
宗教性を持たせぬようにしたため、対立を報じられることの殆どない、他国の追悼施設に対し、特異な宗教的施設である靖国を戦没者の追悼の場所とすることへの強い疑念を表明した渡辺は、さらに、「戦争体験者の最後の世代に属する」ものとして、自分が経験した軍隊生活の悲惨な実態についても語っている。
わたしは、渡辺とは多くの点で異なった考えを持つが、戦争を語るときの真摯さにはうたれる。
彼のことばには、「戦争について語りすぎるもの」への不信が覗くが、その不信は、大きな声ではなく、ただ呟くように、書かれている。

③本紙記事「慰安婦問題を考える(上)~『済州島で連行』証言」(8月5日付)
 「先の戦争」が残した、大きな傷痕の一つ「慰安婦問題」に、今月、大きな動きがあった。
朝日新聞が、「慰安婦強制連行」の証拠としてきた「吉田清治発言」を「虚偽だと判断し、記事を取り消」すと発表したのだ(③)。
「強制連行」があったかどうかは、もともと本質的な問題ではなかったはずだ。
なのに、この一連の記事によって、いつしかそれは「慰安婦問題」の中心的論点になってしまった。
そのことの責を新聞は負わなければならないだろう。
だが、わたしが取り上げたいのは、そのことではない。

④秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(1999年)
 たとえば、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性』は、この間題について、広範で精密な資料を提示する「代表的」な文献とされる(④)。
けれど、わたしは、この、「正確な事実」に基づいているとする本を読む度に、深い徒労感にとらわれる。

 秦は、慰安婦たちの「身の上話」を「雲をつかむようなものばかり」で、「親族、友人、近所の人など目撃者や関係者の裏付け証言がまったく取れていない」と書いた。
慰安婦たちのことばを裏付ける証言をするものなどおらず、彼女たちのことばは信ずるに足りない、と。ほんとうに、そうなのだろうか

■     ■

 先の戦争で、数百万の日本人兵士が戦場へ赴いた。
その中には、多くの小説家たちがいた。
生き残り、帰国した彼らは、戦場で見たものを小説に書き残した。
そこには、歴史家の「資料」としてではなく、同じ人間として生きる慰安婦たちの鮮やかな姿も混じっている。

⑤田村泰次郎「蝗」「裸女のいる隊列」
 田村泰次郎は、次々と半ば強制的に様々な部隊の兵士の「慰安」の相手をさせられながら過酷な列車の旅を続けてゆく女たちを描いた「蝗」や、全裸で兵士たちと共に行軍を強いられる女の姿を刻みつけた「裸女のいる隊列」を書いた(⑤)。

⑥古山高麗雄「白い田圃」(70年、『二十三の戦争短編小説』所収)
 強姦と殺戮が日常である世界を描いた田村と異なり、古山高麗雄の作品群には不思議な静けさが漂う。
主人公の兵士である「私」は、戦場で自分だけの戒律を作った。「民間人を殺さない」こと、そして「慰安所に行かない」ことだ。
それは「私」にとって「正気」でいるために必要な手段だった。
そんな「私」は、慰安婦たちに深い同情と共感を覚える。
なぜなら、「彼女たちは何千回となく、性交をやらされているわけだ。拉致されて、屈辱的なことをやらされている点では同じだ。(略)私たちが徴兵を拒むことができなかったように、彼女たちも徴用から逃げることはできなかったのだ」(⑥)。

⑦同「セミの追憶」(93年、同)
 戦後、「慰安婦問題」が大きく取り上げられるようになって、古山は「セミの追憶」という短編を書いた(⑦)。
「正義の告発」を始めた慰安婦たちの報道を前に、その「正しさ」を認めながら、古山は戸惑いを隠せない。
それは、ほんとうに「彼女たち自身のことば」だったのだろうか。
そして、かつて、戦場で出会った、慰安婦の顔を思い浮かべる。

 「彼女は……生きているとしたら……どんなことを考えているのだろうか。彼女たちの被害を償えと叫ぶ正義の団体に対しては、どのように思っているのだろうか。そんな、わかりようもないことを、ときに、ふと想像してみる。そして、そのたびに、とてもとても想像の及ばぬことだと、思うのである」

■     ■

 戦後70年近くたち、「先の戦争」の経験者たちの大半が退場して、いま、論議するのは、経験なきものたちばかりだ。

 紙の資料に頼りながら、そこで発される、「単なる売春婦」「殺されたといってもたかだか数千で、大虐殺とはいえない」といった種類のことばに、わたしは強い違和を感じてきた。
「資料」の中では単なる数に過ぎないが、一人一人がまったく異なった運命を持った個人である「当事者」が「そこ」にはいたのだ。

 だが、その「当事者」のことが、もっとも近くにいて、誰よりも豊かな感受性を持った人間にとってすら「想像の及ばぬこと」だとしたら、そこから遠く離れたわたしたちは、もっと謙虚になるべきではないのだろうか
性急に結論を出す前に、わたしは目を閉じ、静かに、遥か遠く、ことばを持てなかった人々の内奥のことばを想像してみたいと思うのである。
それが仮に不可能なことだとしても。

(読み易さのため、改行を施した)


論壇委員が選ぶ今月の3点
小熊英二=思想・歴史
・和田春樹「慰安婦問題 現在の争点と打開への道」(世界9月号)
・ケント・カルダー「もはや、日本流『静かなる外交』は通用しない」(中央公論9月号)
・野家啓一「既視感(deja vu)の行方」(現代思想8月号)
酒井啓子=外交
・ウイリアム・サレタン「イスラエルよ、今こそ兵を引け」(ニューズウィーク8月12・19日合併号)
・マイケル・マザー「不満と反発が規定する世界」(フォーリン・アフェアーズ・リポート8月号)
・李鍾元・平井久志 対談「東アジアは合従・連衡の時代に入るのか」(世界9月号)
菅原琢=政治
・井戸まさえ「『秘境の村社会』地方議会は変われるか」(世界9月号)
・特集「ルポ 外国人労働」(週刊東洋経済8月2日号)
・高橋昌紀「戦後70年:数字は証言する データで見る太平洋戦争(1)」(毎日新聞http://mainichi.jp/feature/afterwar70/pacificwar/data1.html)
濱野智史=メディア
・篠田博之「『秋葉原事件』加藤智大被告が『黒子のバスケ』脅迫事件に見解表明!」(http://bylines.news/yahoo/co.jp/shinodahiroyuki/20140814-00038250/)
・ゼンショーホールディングス「『すき家』労働環境改善のための調査報告書受領について」(http://www.zensho.co.jp/jp/news/company/2014/07/20140731/html)
・ALS支援の「アイス・バケツ・チャレンジ」をめぐる一連のネット上の論争
平川秀幸=科学
・特集「科学者 科学技術のポリティカルエコノミー」(現代思想8月号)
・特集「科学報道はどう変わるべきか」(Journalism8月号)
・池内了「軍学共同の動きが急になってきた」(科学8月号)
森達也=社会
・鈴木静人「報道番組に喝!NEWS WATCHING」(GALAC9月号、テーマは「安倍総理記者会見に見る政治記者の腰砕け」)
・神保太郎「メディア批評」(世界9月号、テーマは「NHKが危ない!」「分断される中央紙、頑張る地方紙」)
・特集「『個人情報が一大事』でとかくに人の世は住みにくい!」(週刊新潮7月24日号)


担当記者が選ぶ注目の論点
終戦69年 大戦を振り返る

 終戦から69年の8月。保守寄りの論壇誌などに掲載された、先の大戦を振り返る論考が目を引いた。

 戸部良一「日本は何のために戦ったのか」(中央公論9月号)は「太平洋戦争の目的は東南アジアの石油をはじめとする重要な資源の獲得にあり、大東亜解放は、否定されていたわけではないが、戦争目的の優先順位としては、高くはなかった」と指摘。連合国側が「一部に偽善があったとしても」、民主主義の擁護を戦争の理念として掲げたのに対し、「理念を政治戦の武器としなかった日本は、理念を信じようとはしなかった」と論じた。

 一ノ瀬俊也「戦艦大和 戦後作られた最強神話」(文芸春秋9月号)は、当初は賛美の対象ではなかった戦艦大和が次第に、「かつて日本人が作り得た唯一の『世界最強』であり、プライドの拠り所として唯一無二の存在」へと祭り上げられていく過程を措いた。「戦後日本人の都合や欲望に応じ、人ないし神として変遷を遂げ続けた『大和』の姿は、私たちのなんとも奇妙な太平洋戦争観を表している」。
清水政彦「零戦は普通の戦闘機だった」(同)は「無敵伝説」と共に語られる機体の性能を各国のライバル機と比較分析。「一九三〇年代末の水準からみて、ごく普通の飛行機だと評価するのが妥当」とした。

 アジア各国からの見方も紹介された。中国の馬立誠は「中国と日本には、和解以外の道はない」 (世界9月号)で、対日戦争を率いた鄧小平が戦後、「中日関係を長期的な視点で考慮し……永遠に友好を続けていかなければならない。これは我々両国のすべての問題の重要性を越えるものだ」と発言したことを再考。「経済を先導役にして、戦争や争いを友好と平和に転じさせ、徐々に融和を目指していくことは可能だ」と訴えた。


二十三の戦争短編集 (文春文庫)
二十三の戦争短編集 (文春文庫)



0 件のコメント: