2014年8月31日日曜日

戦後70年へ 国家の枠を超えて (孫歌 『朝日新聞』2014-08-27) : 「沖縄で集団自決を強いられた民衆の記憶も、南京で虐殺された民衆の記憶と重ねてとらえることができます。」

戦後70年へ 国家の枠を超えて (孫歌 『朝日新聞』2014-08-27)
スングー 55年、中国吉林省生まれ。竹内好ら日本の政治社会思想を研究。一橋大客員教授など歴任。著書に「歴史の交差点に立って」ほか。

共に相手直視せず
日中が相互不信
対等な心理持とう

「人間」の視点で
歴史の本質を捉え
理解積み上げて

戦争が終わって70年がたとうとするのに、歴史認識をめぐる日本と中国の溝は深まるばかりだ。
歴史論争を国家や政治家だけにゆだねていいのか。
加害と被害という立場の違いを超えて歩み寄ることははたして可能なのか。
中国を代表する日本社会思想の研究者で、日中の知識人交流に力を注いできた孫歌さんに聞いた。

■日中間の相互不信がなかなか解けません。
「よく日本の人から言われます。『中国はとても活気に満ちていますね。でも言論の自由がない』。経済は発展しているけど、市民の教養度は低く、人権は軽んじられ、独裁で大変だと。
問題は実際の中国を見る前からこの結論が用意されていること。これも冷戦思考です。
確かに中国には不自由がありますが、日本のように『空気を読む』必要のない自由はあります。体制でも反体制でもない空間で、自分で考える個人も確実に増えています。彼らの声、認識、発想は実に多様なのです」

社会生活面の優越感が差別にもつながっています
日本人の『中国産食材イコール危険』はイデオロギーの域に達しています。
日本でも産地偽装など問題はあるのに、なぜ同じ尺度で考えないのでしょうか」

■中国側にも問題はありませんか。
「列強に植民支配された中国は劣等感が強い歴史を経験し、それが逆転した形での反発も強まりました。外国を見るときに、つい中国の立場を意識してしまうのです。外国に素直に好奇心を持ち、対等な心理で接する準備がまだできていない」

「かつて中華世界の辺境にあった日本が先進国になったことへの屈折した思いもあります。優越感と劣等感の間で心のバランスが取れない。つまり日中間に対等な社会心理がずっと存在してこなかったのです」

■2年前の中国の反日デモは多くの日本人に衝撃を与えました。
「中国社会には、日本に対してよりも、『弱腰』だと考える自分たちの政府への不満が強い。私は同調しませんが、『過去を直視しない日本に断固対抗すべきだ』という心理になりやすい雰囲気はあります」

「でも反日デモでは『釣魚島(尖閣諸島)は中国のもので、(日本のセクシー女優の)蒼井そらは世界のもの』というメッセージが若者の間を駆け巡りました。中国のマンガ世代は大衆文化を通じて日本に親しみを感じています。日本を訪れた観光客もそうです。安倍政権への反感は強いですが、国家政治レベルの『反日』は生活実感とはかけ離れています。
現代中国人の日本理解は、こうした位相の異なる反感と好感の上に成り立つ実に複雑なものなのです。」

■     ■

■歴史認識をめぐって日本に対する見方も厳しくなっています。
「日中で戦後処理をめぐる時間軸が大きくずれていて、認識がかみ合わないのです。
多くの日本人は、1952年の台湾との平和条約(日華条約)で戦後処理が終わったと考えましたが、大陸中国にとって日本との戦後は(国交が正常化した)72年に始まりました。当時は文化大革命で賠償の問題より国のプライドが優先しました。しかし日本の謝罪は不十分でした。90年代以降、中国社会も変わり、自立し始めた民間から補償などの要求が出てきたのです」

「一方で中国では、ある世代までは非常にリアルな被害の経験と意識がありました。南京以外でも大勢が殺されました。日本人は被害者の心情を想像せずに『政府にコントロールされている』と思い込んでいませんか。戦争責任を認める日本の良識層も、それを否定する右派との論争は国内にとどまり、被害者との連帯は十分ではありませんでした」

■戦争の被害をどのように考えればいいのでしょうか。
「慰安婦にされた人や細菌戦で健康を害した人、様々な被害証言を集める活動が中国ではあります。その体験を記憶することは被害国の人の歴史的責任です。その努力の上に平和は成り立つのであって、報復のためではないことを知ってほしい」

「日本人にも被害体験がありますね。
広島、長崎での被爆の記憶が福島の事故でよみがえりました。誰が犠牲になったのか、加害者は誰か。福島をはじめ多くの日本人が今これを追及しているでしょう。
沖縄で集団自決を強いられた民衆の記憶も、南京で虐殺された民衆の記憶と重ねてとらえることができます
広島・長崎、沖縄、そして南京は、いずれも戦後の文脈の中で国際情勢によって絡み合っています。これらの文脈を一緒に整理する作業は、国の枠組みを超えて戦争・戦後責任の追及に結びついていくはずです」

■加害と被害を「国家」という枠組みではなく、人間の視点でとらえようということですね。
「加害と被害を国の単位で整理することも必要でしょう。しかし国と国の関係だけでは歴史の本質を突くことになりません。
国の視点から見ると人間は人形のように権力に翻弄される存在ですが、生活の視点から見た人間は決して人形ではない。それを実感したのが、春に訪れた長野県の満蒙開拓平和記念館でした」

■「実感した」とは?
「満州事変後、中国東北部に移住した開拓者の多くが日本の貧しい農民でしたが、地元農民から土地を奪い、彼らを使用人にして豊かな生活を得ました。しかし敗戦で集団自決に追い込まれたり、極貧状況に追い込まれたりなど大変な苦難も経験しました。記念館はそうした記憶をありのままに保存しているのです」

「当時、日本人を手助けした中国の農民がいた。苦労しながら日本人孤児を育て上げた養父母もいた。彼らは道徳的勇気と豊かな人間性をたっぷりと表現した人間です。被害者という一語で片づけられない強い力も体現しています。残留孤児も単なるかわいそうな日本人ではなく、普通の日本人にはない『越境』という貴重な文化的経験を背負っています。被害者と加害者という二つの分類しかなければ、こうしたことは解釈不能になってしまうのです」

「当初は優越感や差別意識を持っていた日本人入植者は、苦難を経て中国人も自分と同じ人間なんだ、という実感に至りました。こうした現象も国家単位で歴史をとらえているとなかなか見えてきませんね」

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■でも、なぜ中国の農民は自分たちを虐げた日本人に手を差し伸べたのでしょうか。
「簡単にいえば、『天下』という公理感覚、人間関係を規定する道徳システムです。中国の王朝権力ではなく庶民の空間に古くから息づく生活倫理です。かつて中国の農民は王朝が滅びるのは恐れないが、天下が滅びるのを恐れる、といわれました。危機にさらされた幼い子供がいれば、敵の子供でも手を伸ばして助ける。学歴がなかった農民だったからこそ、その感覚がストレートに表出されたのでしょう」

「人間は単純な存在ではありません。彼らは時に抵抗し、時に従順な態度をとる。それでいて時には国家を無視する。いろいろな変化があります。国家政治とは関係がない庶民の人間関係も存在するのです」

■庶民の生活倫理は今の中国にもあるのでしょうか。
「今の中国にも『天下』はあります。近代国家システムとの関係は複雑で、当然、混乱も起こります。日本人はとかく西洋のレンズで『法治社会でなく人治社会だ』などと片づけがちです。しかし、こうした中国の歴史の論理を先入観なしに見ることによってはじめて、相互理解は深まるはずです」

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■日中の緊張を解消するために個人でできることは何でしょうか。
「好奇心です。うっかりしていると陥ってしまう傲慢、偏見とか差別などの社会心理と戦いながら、平等な視点で他の国や人々を理解しようとする好奇心さえあればいい。
昔はお互いの文化の接触が少ないところから戦争へと動員されました。いまは様々な形で日中の個人的な交流が蓄積しつつあります。個人の体験を踏まえて、文化理解を積み上げていけばいいのです」

「ネット時代、情報は氾濫していますが、自分の好きな疑似世界に閉じこもりがちです。短い会話を交わす気分的パターンから、思考も短絡的になります。同じ現象は中国にもあります。あらかじめ用意された前提はいったんゴミ箱に捨て、日本、中国という未知の世界をお互いに発見しあいませんか」

取材を終えて
孫歌さんが訪ねたという満蒙開拓平和記念館に私も足を運んだ。
戦前の国策入植と戦争末期のソ連軍侵攻に翻弄された元開拓者たちが、中国の農民への罪悪感や謝意も淡々と語る証言展示にはっとした。
加害と被害の両方を体験した彼らには、もはや「国」に義理立てする必要はなかったのだ
ナショナリズムを鼓舞して支持を集めたい為政者にとって歴史問題は都合の良い道具にもなりうる。
だからこそ過去の教訓をくみ取るために歴史を「民」の手に取り戻そう。
中国の知識人が発する呼びかけがかの国に広がり、日本が呼応する日が来るのを待ち望みたい。                      (沢村亙)

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