大臣が判断は違憲疑い 慶応大教授 鈴木秀美氏
放送法は、1条で放送の自律や表現の自由の確保を原則に掲げ、3条で「何人からも干渉され、又は規律されることがない」と放送番組編集の自由を明文化している。「政治的公平」などを定めた4条は、放送事業者が自律的に番組内容の適正を確保する倫理規定であり、政府の介入は認められないと考えるべきだ。
日本の放送行政は、欧米のような政府から独立した機関ではなく、大臣が直接担当する。そもそも、「政治的公平」は判定不能で、数値では測れない。こうしたあいまいな文言をもとに、番組内容が適切かどうかを大臣が判断することになれば、4条が番組の内容への規制となり、表現の自由を定めた憲法21条に違反する疑いが濃くなる。
かつて米国でも「公正原則」は採用されてきた。ところが、政治家などが介入することで言論を抑圧する結果を招きかねないとして、1987年に廃止された。
報道の役割は、権力を監視することだ。報道機関でもある放送局に政府が介入できるとしたら、放送局に権力を監視するというジャーナリズムの役割を期待できなくなる。
▲『朝日新聞』2016-02-11
この内閣は「お上」意識ばかりが強過ぎて、
何でもかんでも規制したり、縛ろうとする。
▲『朝日新聞』2016-02-11
春の番組改編を機に、安倍晋三政権に厳しいコメントをしていた看板キャスターらが、降板したり、レギュラーから外れたりすることに、海外のメディアや言論団体は「民主主義への挑戦」と警鐘を鳴らす。https://t.co/tiOvWfYtIM pic.twitter.com/VTvuOQYTgg
— やがて空は晴れる...。 (@masa3799) 2016, 2月 13
『朝日新聞』2016-02-10
2016/02/09 メディア規制を強める安倍政権・高市大臣がテレビへ「電波停止」の恫喝的発言!BPO委員長代行の是枝裕和氏が「放送法」のカラクリを暴く! https://t.co/VNc3Ksw7Nl @iwakamiyasumiさんから— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) 2016, 2月 13
(略)
是枝氏は、そもそも放送法を倫理規範ではなく法規範であることが自明の理であるかのように述べる高市大臣の議論に対し、次のように反論する。
「少なくとも2000年代初頭までは総務省はじめ、政権内でも表向きはおおむね共有されていたであろう(倫理規範としての)この4条を巡る『解釈』が菅官房長官が総務相時代の2007年あたりから、『あるある大辞典』の問題をきっかけに急に『倫理規定』から『罰則』へ大きくその解釈の舵を切り、監督権の強化を声高に主張し出したわけで、歴史の長さから言っても、主張の太さから言ってもあちらを正論ととらえこちらの『倫理規定』という主張を『誤解』と切って捨てるのはあまりに乱暴ではないか」
つまり、2000年頃まで政府も放送法は「倫理規範」であるとする立場をとっていたということだ。現在の高市大臣の発言だけを見れば、このことはまったく分からない。
(略)
東京新聞2/13こちら特報部 ニュースの追跡— さとしん/Shin Sato/佐藤伸 (@shinsato0130) 2016, 2月 12
大臣判断「違憲の恐れ」
「電波停止」発言
放送法は倫理規定
参院選対策の脅しでは
いやあ全く恐ろしい話だ。
ご尊顔も恐ろしいが…。 pic.twitter.com/cgSYdQXvW5
この「統一見解」自体が報道の自由を制限するもので、違憲だと思います。これを「なるほど、そうですね」と受け入れてしまうと、報道機関は死んでしまう。→電波停止:「政治的公平性」解釈で政府統一見解 - 毎日新聞 https://t.co/mJwaR8W6FB— 想田和弘 (@KazuhiroSoda) 2016, 2月 13
#報ステ— 但馬問屋 (@wanpakutennshi) 2016, 2月 12
片山善博教授
放送法は、放送の自律と放送による表現の自由を守る為にある。戦前の大本営発表を垂れ流しにした放送の反省から。権力からの自由を保障する法律であり、その為に番組編集についても何人からも干渉を受けないとしている。 pic.twitter.com/EL2wgH0DKu
荻上チキ・Session-22│2016年02月10日(水)高市総務大臣の『電波停止』発言をめぐる、安倍総理と大串議員の国会論戦を荻上チキが解説(書き起こしあり) https://t.co/0iAwQvvMao @Session_22さんから— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) 2016, 2月 13
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