『朝日新聞』2016-02-23
(略)
フランス革命は身分制の網の目から「個人」を解放し、自由にしました。裸になった個人と強力な
国家が向き合う構造を前提に、憲法で国家を縛り、国家の権力を分立させることによって、国家の圧迫から個人の尊厳と人権を守る。それが近代立憲主義です。西欧起源の概念ではありますが、その価値は普遍的だと私は考えます。
(略)
本を執筆する直前、日本では巨大な「自粛」現象が起きています。昭和天皇が倒れたことをきっ
かけに、人々もメディアも「自由」に自らフタをしていったのです。近代立憲主義を反映した日本国憲法が誕生して当時40年余り。自粛現象が示したのは、自由であるべき個人の思想が「世間という名の社会的権力」の専制に拘束されている、日本の実情でした。
明治憲法下の日本にも立憲主義を大事に考える人々がいた事実を私はこの本に書いています。「立憲」や「憲政の常道」がキーワードとして語られていたのです。ただ1930年代以降は立憲政治が葬り去られ、軍部による戦争拡大に歯止めがかけられなくなる。
「戦前=暗黒の時代」とする単純な見方では日本の針路を誤る、と感じ始めていました。それなりに立憲が実現している時代があったのに、なぜ終わってしまったのか。それを考えることが重要だ、との思いが強まったのです。
振り返れば89年は、日本で経済のグローバル化が広がり始めた時期でした。人々は「会社共同体」から放り出され、かろうじて残っていた農村共同体も壊されます。保護してくれる盾を失った個人に向けて「郷土」や「美しい国」といった口先だけの癒やしを提供する政治が台頭する。それが今の安倍政権につながる流れです。
私は近年、社会的な発言をする場を以前より広げています。<代表的なメディアにたまに出るほかは、新書を書くか、一部の総合雑誌に寄稿するだけにする>。そういう自己原則をずっと貫いてきたのですが、第2次安倍政権になって、<街頭に出る>ことをあえてしました。国家に対抗する勢力が減り、日本社会から多元性が失われてきた、と感じるからです。
(聞き手 編集委員・塩倉裕)
自由と国家―いま「憲法」のもつ意味 (岩波新書)
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