2016年2月9日火曜日

昭和19年(1944)1月1日~5日 米軍がダンピール海峡を制し、主戦場は中部太平洋に移る 第17師団松田支隊(松田巌中将)のニューブリテン島ツルブ攻撃、失敗(戦死2千) 「東条は官吏を昔の士族と心得ている。したがって民間を一歩下の被統治階級と心得ている。 大東亜戦争 - 満州事変以来の政情は、軍部と官僚との握手である。戦争を目的とする者と、一部しか見えない事務家、しかも支配意識を有している者とが混合妥協した結果生れたものである。」(清沢『暗黒日記』)

京都御苑 2016-02-05
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昭和19年(1944)
この年
・内務省警保局、新聞紙法に基づく新聞雑誌のこの1年間の創刊・廃刊数は、創刊364種、廃刊1378種(前年度は創刊223種、廃刊809種)と発表。

1月
・「軍需会社ニ対スル資金融通ニ関スル要綱」、大蔵省で決定。軍需融資指定金融機関制度を指定。
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・南ボルネオ、バンジェルマシンから、ポンテイアナ事件取り調べのため流石巌ボルネオ民政部政務部警務課長がポンテイアナに来援。
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・鶴見の三菱硝子工場、婦人労働者・年少労働者の約30%が、重労働と食糧不足のために脚気になったこと報告
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・大日本映画協会、社団法人として新たに発足。
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・インド国民軍第1連隊、アキャブ地区チン高地出動。
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・各雑誌の表紙に「撃ちてし止まむ」と刷りこむことを命ぜられる。
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・丹羽文雄「現代史 第一編」(「改造社」)、堀辰雄「樹下」
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・太宰治(35)、神奈川県下曽我の大雄山荘に太田静子を訪ねる。戦争の激化の中、たびたびの帰郷で故郷回帰の重いが強くなる。「佳日」(改造)
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・アッツ島のアメリカ軍が千島列島を空襲
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・米英両国、アルゼンチン大統領ラミレスの独スパイ活動協力に対し抗議。
アルゼンチン、米英両国の圧力により枢軸国と断交。宣戦布告は翌年3月にずれこむ。
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・仏、駐仏独大使アベッツ大使、ヴィシー占領地区の対独協力者の入閣要請。情報大臣フィリップ・アンリオ、警察大臣ダルナン(ブスケの後任)、労働大臣マルセル・デア
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・ソ連、モスクワ、「ポーランド共産党中央ビューロー」設立。ポーランド愛国者同盟(モスクワ)・ソ連・ポーランド労働者党(国内)を結ぶ結節点
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・独、防諜局外国部戦争管理担当官フォン・モルトケ逮捕
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月初
・南方軍参謀副長綾部中将、上京しインパール作戦許可求める。
参謀本部作戦部長真田穣一郎反対、杉山元参謀総長の賛成で翻意
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1月1日
・「対伯工作」:山西軍4個師、浮山・安澤地区に移駐
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1月1日
・元水上機母艦の空母千歳と千代田の改造終わる
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1月1日
・「一月一日(土)
重大なる年来る。歴史を決する日来たる。しかしそれにかかわらず、全くそうした気がしない。形式が整わないからである。
玄米の餅を食う。笠原清明兄弟来たる。
朝、切符が買えたので熱海に赴く。山王ホテルに歩いてつく。
東郷安〔貴族院議員、横川電気取締役〕男〔爵〕、土屋計左右君〔第一ホテル社長〕と夕飯を共にし、土屋氏の家でコーヒーを呑みながら、国家の前途について語る。かつて山王ホテルの会談は談論風発、興味があったが、今は時局の話しは、公開の席では一切禁物である。
どこの家でも朝飯の食前に向っていう事は「来年も果してこうして食えるかどうか」ということだ。
寒い。火の気が少しもないのである。
『ペリー前の日米関係』という英書を読む。面白い。日本でも外国人を、それほど虐待したのではないらしい。もっとも、これは対米宣伝の意味もあろうから取調べの必要あり。明らかなことは日本人の漂流者は非常に優待されたことであり、また米国では米人の漂流者受取りに、わざわざ軍艦を送ってきている。これに対し、日本では、漂流者も受取らない有様だ。「国民」というものの価値が異なる。」(清沢『暗黒日記』)
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1月1日
・シリア独立
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1月1日
・仏、統治権をレバノン政府に移管。レバノン、主権回復。
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1月1日
・独軍、東部戦線(ウクライナ)より撤退開始
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1月1日
・ワルシャワで共産党系の国内国民評議会結成会議。
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1月1日
・ロンメル、B軍集団の指揮をとる
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1月2日
・連合軍、ダンビール海峡西岸の中部太平洋への出口ニューギニア側のグンビ岬に上陸。
ダンピール海峡の東西両岸(ツルブとシオ)が突破され、米軍が海峡を制し、以降、主戦場は中部太平洋に移る。

グンビ岬は、安達第18軍がダンピール海峡西岸の最後の要衝として確保に努めていたシオ地区の、死命を制する位置にあるが、日本の航空兵力は、陸海軍とも無力になっており、今村均第8方面軍司令官は、即日第18軍のシオ方面ダンピール西岸要域確保任務を解き、残存兵力をマダン附近以西に退却させる。
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1月2日
・「一月二日(日)
例によってお昼にホテルより御馳走になる。大変に御馳走が出る。
晩に土屋氏のところで東郷、犬養健〔代議士〕の四人で話す。犬養氏は例の尾崎秀実事件で告訴され無罪になったのである。
一、かつて近衛内閣の時に一週間一回官邸で話しをする集まりがあった。風見章は司法大臣をやっていたので、支那問題は自然尾崎秀美が中心になった。犬養君などが話すと、尾崎にいって置いてくれといった調子だった。そのグループの内尾崎が一番穏健であった。
二、西園寺公一〔近衛内閣嘱託〕は対米交渉に興味を有していた。近衛メッセージのドラフトが西園寺の家から出たりして、それが訴訟に不利であった。
三、中野正剛の葬式の時に緒方君〔竹虎、朝日新聞主筆〕がいっていた。「中野を馬に譬え(たと)えるのは失礼だが、サラーブレッドの馬は、汚ない馬小屋につながれると恥て自ら死ぬそうである。中野は生一本で、刑事の手などで恥かしめられたので自ら死んだのだろう」と。頭山満〔大日本一新会顧問〕のところにも大した遺書は送っておらぬ。これは頭山秀三君〔大日本興亜同盟第一部長〕の話しである。
四、支那との交渉に、役人はキチンと証書みたいにしないと承知しない。それでは支那側で呑まない。日支交渉で一番有望な時はトラウトマンの仲介の頃であった。蒋介石は英雄として死にたいと考えている。(以上犬養君話)
いろいろな話しをして十一時頃までいる。」(清沢『暗黒日記』)
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1月2日
・アメリカ軍、サイドール上陸により日本軍の退路遮断
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1月3日
・~16日、第17師団(酒井康中将)松田支隊(松田巌中将)、ニューブリテン島ツルブ攻撃、失敗。
ニューブリテン島西部攻防ヤマ場、戦死2千。
20日、松田支隊は、ニューブリテン島西端から北岸中央部タラセアまで約200kmを後退。

3日、ツルブの松田支隊長は、片山憲四郎歩兵第41連隊長の掌振する部隊に、内陸からツルブ海岸に向け総攻撃を命じる。攻撃は開始されるが、失敗。三角山への山砲1発に対し600発が撃ち返される。弾丸は3日でなくなり、糧秣もひどい時は1人1日タロ芋の茎3本。第17師団長は松田支隊に玉砕覚悟の三角山奪取を命ずることとし、方面軍に対し在ラバウルの航空部隊と艦隊の協力を要請するが、返電は、1機・1艦もなしというもの。
12日、松田支隊は三角山奪取のため先ず万寿山付近を占領するが、たちまち砲煙に包まれる。
1月中旬、松田支隊に致命的な弾薬・糧秣不足がくる。2昼夜半をもちこたえるが、万寿山は失陥。
16日、松田支隊長命により、万寿山奪還のため片山連隊長が出撃し、敵前100mの地点で、松田支隊長は攻撃中止を命令。ツルプ地域は完全に米軍の手に落ち、戦闘は終る。約2千人が戦死。

後方ガププで指揮する第17師団酒井康中将は三角山攻撃失敗後、孤立した無装備の松田支隊をこのままにしておけば、全員餓死のほかないと判断し、1月中旬、今村方面軍司令官に松田支隊後退を打電。
今村も、松田支隊を補給可能な地域まで後退させる決意をし、20日、タラセアまで後退することになる。しかし、松田支隊と全く同じ条件下にあるマーカス岬の小森支隊には撤退は許されず。戦後整理された「第八方面軍作戦記録」に、「上陸以来の小森支隊の敢闘に対して、再度にわたり御嘉賞のお言葉を賜わっている。そこで極力補給を維持し、最後まで敢闘させて支隊将兵の光栄を全うさせたい」(勇戦に対し天皇から「お言葉を賜わった」殊勲の部隊は殺しでも、後退させる訳にはいかない、との事情である)との記述がある。
小森支隊を更に敢闘させることで、松田支隊の後退で誘発を懸念される士気の低下、闘志の衰えを食止め、全軍の敢闘精神の支えにしようという統帥上の配慮もある。
2月23日、ようやくラバウルへの撤退が決まる。小森少佐は健兵組・弱兵組に部隊を分け、自らは弱兵を率い3月6日オーギツニを出発。
4月9日ラバウルへの道の半分も行かぬ位置で米軍と遭遇、戦死。
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1月3日
・ソ連軍オフレスク占領、ワルシャワへの鉄道遮断
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1月4日
・日本陸軍第52師団1個連隊、トラック島進出
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1月4日
・戦時官吏服務令、文官懲戒戦時特例、公布
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1月4日
・「一月四日 (火)
夕刊に政府が戦時官吏服務令を決定したとで、それについて東条首相が、また訓示している。戦時官吏服務令というのは恐ろしく抽象的である。「不屈不撓、努力と工夫とを尽してその責務を貫徹すべし」といったことだ。これをまた東条が例の説教でやっている。
東条は官吏を昔の士族と心得ている。したがって民間を一歩下の被統治階級と心得ている。
大東亜戦争 - 満州事変以来の政情は、軍部と官僚との握手である。戦争を目的とする者と、一部しか見えない事務家、しかも支配意識を有している者とが混合妥協した結果生れたものである。」(清沢『暗黒日記』)
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1月4日
・英、ポーランド亡命政府最高司令官ソンコフスキ、ミコワイチック首相に国内軍の「ブージャ作戦」への懸念表明
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1月4日
・連合軍、フランスのレジスタンス・グループに補給物資の投下を開始
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1月4日
・連合軍『カーペットバガー(山師)』作戦(伊レジスタンス組織への武器・物質投下作戦) 
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1月4日
・ユーゴのパルチザン、バーニャー・ルーカー奪取
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1月4日
・デンマークの牧師・劇作家ムンク、ナチスのゲシュタポにより虐殺される。
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1月5日
・英、イーデン、ポーランド亡命政府軍事計画書をソ連大使に伝えモスクワへの伝達依頼
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1月5日
・英、ポーランド亡命政府、ソ連との軍事協力公式申入れ声明
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1月5日
・北極圏船団4グループ、ソ連へ送られる
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1月5日
・カニェフの包囲戦
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