木村伊兵衛(1901-74)《志賀直哉》1937昭和12
『暗夜行路』完結の年
木村伊兵衛(1901-74)《長谷川如是閑》1933昭和8
前年の昭和7年に『日本ファシズム批判』を出版(発禁)
木村伊兵衛(1901-74)《泉鏡花と里見弴》1938昭和13
林忠彦(1918-90)《坂口安吾》1947昭和22
木村伊兵衛(1901-74)《永井荷風》1954昭和29
戦後、エロ爺と化した荷風散人、この年74歳
恩師森鴎外の33回忌として、団子坂観潮楼跡に荷風揮毫による『沙羅の木』の碑文が建てられる。記念館造営のため5万円を寄付。
1月には、日本芸術院会員に選ばれる。
一方で、相変わらず浅草へ通い、フランスやアメリカの映画を繁く見ている。
「戻ってきたバッグと無心状の山」のエピソード
4月25日、相磯凌霜氏と有楽町で夕食をして、帰りの電車内でバッグを網棚の上に置いたが、それをスリにやられた。しかし、スリは、現金が入っていないので、そのバッグを船橋駅のホームで捨ててしまった。そして、アメリカ人の軍曹がそのバッグを拾った。警察に届け出て調べてもらったら、有名な文豪の持ち物だと判明。「そんなエライ作家なら自分が直接に返却したい」と警察には預けず持ち去った。
中身は、1千万円の定期預金、約1千万円の普通預金の通帳、額面50万円の文化功労年金通帳、小切手など。
なくしたのに気づいた荷風は新小岩駅に届け、併せて取引銀行にも無効届けを出した。幸い印鑑は家に置いていて無事だった。
無効届けの出た預金通帳はただの紙切れにすぎないから、それを拾ってくれた人に礼金を支払う「法律的」義務はなかったが、荷風は2日後に木更津の基地に出かけてゆき、届けてくれたアメリカ兵に5千円の謝礼金を渡した。
このことが新聞に報道されるや・・・。
通帳の額面2千万円に対して礼金5千円はあまりに少なすぎる。荷風はケチだという風聞。不当な非難に荷風は憤慨したが、もっと驚いた事態が発生した。
「そんなにお金持ちなら、少しお恵みを」という無心の手紙や葉書が全国から舞い込んできた。
荷風の人間嫌いはそれでいっそう亢進した。
秋山庄太郎(1920-2003)《松本清張》1974昭和49
秋山庄太郎(1920-2003)《司馬遼太郎》1975昭和50
横浜美術館コレクション展2016年度第3期 [写真]全館展示 2017-01-11 (その1)女優さんたち
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