大正4年(1915)
2月
・馮国璋・段芝貴・張作霖ら9将領、21ヶ条要求に断固反対を表明。
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・原田(安田)皐月「お目に懸かった生田花世さんに就いて」。
伊藤野枝「貞操についての雑感」(「青鞜」第5巻第2号)
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・生田花世「再び童貞の価値について-安田皐月様へ」(「反響」)
花世は皐月を訪ね、会見結果が、双方によって書かれる。
皐月は言う、「徒らに憐みを乞うみじめに痛ましく実生活に打破られた女」、「少しの尊敬も敬意も持ち得ない」。
花世は書く。「あなたは三十近い病身な青白い顔をした肩の痩せた眼の鋭いぎりぎりした人でした。・・・あなたのお考とお生活とが一つとなって、立派なあなたの生涯をお示し下さることを希望いたして置きます」
野枝は、乞食になっても恥かしくはない、弟がいるといっても子供ではない。
「処女を保つと云うことの意義を単なる利益問題」にした、そこに花世の「落ち度がある」、自分なら「寧ろ未練なく自分かヴァージニティを逐い出してしまう」、処女を失くしも幸福な結婚はできる、現に花世はしたではないか、「何故もっと婦人達は強くなれないのだろう」と。
そして、その終りに野枝は、彼女が「青鞜」に刻みつけた中での、もっとも美しい叫び、彼女の希求の、結晶そのもののような言葉をほとばしらせる。
「ああ、習俗打破!習俗打破!それより他には私達のすくわれる途はない。呪い封じ込まれたるいたましい婦人の生活よ!私達は何時までも何時までもじっと耐えてはいられない。やがてー、やがてー」(『青鞜』第五巻第二号掲載「貞操についての雑感」)。
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・岩野泡鳴「悪魔主義の思想と文芸」(「天弦堂」)
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・総選挙で大隈首相・尾崎司法相吹き込みのレコードによる与党候補者応援演説が使用され、話題となる。
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・警視庁、不正白米商人252人を検挙。
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・有島武郎の妻安子、平塚の杏雲堂病院に入院。
大正5年8月、子供3人残し27歳で没。
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・天王寺師範付属小学校で柔道教育を始める。
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・京都吉水園、都ホテルと改める。
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・サンフランシスコ万国博覧会、開幕。交戦中の欧州諸国も出展。
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・1916年開催予定のベルリン五輪大会、中止。
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・ロシア、議員団事件審理。
議員団の理論的指導者カーメネフ、レーニンの敗北主義とは一線を画そうとする。
「人的構成の面で弱体なドゥーマのポリシェヴィキ議員団は、開戦当初、充分な力量がなかった。ポリシェヴィキ議員団はメニシェヴィキ議員とともに、「どこからくるものであれ、あらゆる侵害から国民の文化財を擁護する」ことを義務とする宣言を提案した。
ドゥーマではその陣地の明け渡しを拍手で大歓迎した。
ロシアの組織や党グループの中で、レーニンが国外で唱えていた敗戦主義の立場を公然ととるものはひとつもなかった。しかし、ポリシェヴィキの中では愛国主義者の比率は大きくはなかった。ナロードニキやメニシェヴィキとは反対にポリシェヴィキは一九一四年からすでに大衆の中で文書や口頭で戦争反対のアジテーションを展開しはじめていた。ドゥーマの議員はまもなく自失状態からわれにかえって、革命活動を再開した。当局はあちこちにはりめぐらした挑発網のおかげでそのことにきわめて精通していた。戦争前夜のペテルブルグ党委員会の七人のメンバーのうち三人が保安部のメンバーであったと言えば足りる。
ツァーリズムはこのように革命と鬼ごっこをしていた。
二月にはポリシェヴィキ議員が逮捕された。国中で全面的に党破壊が開始された。
一九一五年二月には裁判所で議員団事件の審理がおこなわれた。議員たちは慎重にふるまった。議員団の理論的指導者であったカーメネフはレーニンの敗戟主義の立場とは一線を画そうとした。現在、ウクライナの中央執行委員会議長であるペトロ-フスキーもそうであった。
議員にたいするきびしい判決を知っても労働者側がいかなる抗議運動も起こさないのを見て、警察局は喜んだ。
戦争で労働者階級が変質したように見えた。それは実際に著しく、ペトログラードでは労働者の構成は四〇%近く新しくなった。革命の継承性はひどく失われた。戦争まえに存在したものは、ドゥーマのポリシェヴィキ議員団をはじめとしていっきょに後退し、ほんど忘れさられた。
しかし、平穏、愛国主義、いやそれどころか部分的には君主主義の頼りない覆いの下で、大衆の中では新たな爆発の気運が蓄積されていった。」(トロツキー『ロシア革命史』1:段落を施す)
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・メキシコに権益を持つ米資本家と米カトリック教会、米国に亡命したエドワルド・イトゥルビデ前メキシコ連邦区長官擁立画策。カランサは報復措置としてユカタン半島のプログレソ港封鎖、米資本所有のシサル麻出荷停止。
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・メキシコ、オブレゴン、COMの活動再開許可。8千人以上を「赤色旅団」として組織。
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2月2日
・日置駐華公使、陸徴祥外交総長と21ヶ条要求に関して第1回交渉会議開催。以降26回。
中国側は交渉を引き延ばして列強の干渉を待つ。
馮国璋以下19将軍、連名で交渉反対声明発表。
前日、駐中国米公使ラインシュ(親中国家)、日本は次の企図で21ヶ条要求を提出したとワシントンに打電。①満洲、山東省、福建省を中国進出の三大拠点にする。②漢冶萍公司を独占して、揚子江流域の産業を支配下に置く。③とくに第5号は、中国を実質的に日本の保護国にしようとする狙いが歴然である。
日本側は、2月20日まで、第5号を外した内容で各国に通報しており、「第5号かくし」は日本側の「悪手」となる。
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2月2日
・北海道落石無線電信局、日本~ハワイ間の無線通信試験成功
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2月3日
・台湾に公立中学校を設置。初の男子中等教育機関。
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2月3日
・文学的及び美術的著作物保護修正条約(ベルヌ条約)追加議定書批准。4.17 発効。
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2月3日
・大正3年度米実高は5700万7054石と発表。
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2月3日
・トルコのシリア派遣軍司令官アフメド・ジュマル・パシャ、スエズ運河攻撃。
4日、押し戻され、失敗。
失敗の原因をアラブ指導者に着せ、6月、シリア人、レバノン人、パレスチナ人指導者を逮捕。
メッカのシェリフ、フセインは、この報に接し、トルコの政策(アラブ民族指導者の一掃)に疑問、イギリスとの連携を検討始める。
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2月3日
・イギリス保護領ニヤサランドの独立教会運動指導者・反英運動指導者チレンブウェ、反乱中に戦死。
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2月3日
・米、公定歩合引き下げ。5%→4.5%。18日 4%。
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2月4日
・ドイツ、イギリスの北海封鎖作戦(1914年11月)への対抗処置として、イギリス周辺を交戦海域と指定、商船含むあらゆる船舶を無警告で撃沈すると宣言(無差別無警告攻撃作戦)。
ドイツは、イギリスの封鎖作戦は国際法で定めている条件付軍需物資と禁制品の区別を無視、と指摘。食料品を条件付軍需物資としたため、ドイツはイギリスの封鎖作戦を飢餓封鎖と呼ぶ。
ドイツの無差別攻撃作戦は2月18日より。イギリスもドイツ封鎖作戦を3月11日より実行。
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2月4日
・マズール地方の冬期戦(~22)。
ドイツ軍、北方のロシア軍に向かって進撃。メーメル占領。ロシア第10軍に打撃。
ロシア軍、東プロイセンから撤退。
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2月5日
・政府、対華要求を中国全土にかかわる第5号を除いてフランス・ロシアに通告。1.22イギリス、2.8アメリカに各通告。
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2月5日
・タゴール著・三浦関造訳「森林哲学・生の実現」。
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2月8日
・長塚節(37)、没。
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2月8日
・アメリカ、D・W・グリフィスの映画「国民の創生」封切り。米の歴史を叙情詩風に描く。一部の都市で上映禁止。この映画のもつ人種的偏見に抗議広がる。
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2月10日
・大連汽船(株)設立。本社大連、資本金200万円(全額満鉄出資)。
満鉄は、創業当時から上海など沿岸航路を直営してきたが、運営は日本郵船からの傭船によっている。この年、海事協会との共同出資で3500t級の榊丸を建造する段階で自立化を決走。
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2月10日
・臨時台湾旧慣調査会「蕃族習慣調査報告」刊行。
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2月10日
・イギリス大使、日本の対華要求事項に関する通告に第5号が漏れていたことに遺憾を表明。
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2月10日
・アメリカ大統領ウィルソン、アメリカ船への攻撃はアメリカの中立を侵犯するとしてドイツの「戦争領域に関する宣言」(2.4)に抗議。ドイツ軍を欺くため船にアメリカ国旗を掲げることを認めているイギリスにも抗議。
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2月11日
・東京、中国人留学生が1月18日の21ヶ条要求に対して抗議集会。委員を北京に派遣。
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2月12日
・中国、日本から提示された(1.18)21ヶ条要求の修正案を提出。
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2月13日
・九州帝大の稲田龍吉・井戸泰ら、ワイル氏病スピロヘータを発見。
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2月13日
・松根東洋城(36)、俳誌「渋柿」創刊。編集兼発行人:横須賀不入斗146番地(のち楠ケ浦323番地)大塚柳吾。大正6年より発行所は東京に移る。
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2月15日
・インド兵、シンガポールで反乱事件。
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2月16日
・連合軍、シャンパーニュで大攻勢(~3.30)。ほとんど効果なし。
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2月17日
・荒畑寒村ら9人(大杉、宮嶋資夫、麗子、山鹿泰治、野沢重吉ら)、銀座~上野まで行進、月刊「平民新聞」第4号を約千枚配布。胸のプラカードには、「平民新聞一、二、三号発売禁止、五号印刷中没収せらる」と大書。4号は朝日新聞などからの転載記事で埋める。
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2月18日
・ドイツ、対イギリス封鎖開始。潜水艦による海戦開始。
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2月19日
・壺井栄(16)、坂手村の郵便局職員に採用。月給5円。この頃、窓口に来た一つ年上の黒島伝治と知り合う。
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2月19日
・ダーダネルス海峡突破作戦。
イギリス・フランス艦隊、ギリシャ領レムノス島ムドロス湾に集結
(イギリスはド級戦艦4隻を含む戦艦14隻:クイーンエリザベスは超ド級戦艦で15インチの巨砲を搭載、フランスは戦艦4隻)。
ダーダネルス海峡のトルコ軍砲台を砲撃。3.18 同作戦、失敗。
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2月19日
・ロシア、トハチェフスキー中尉(のち元帥)、ロムツァ近郊ヴィソキエ・ドゥージ村で近衛セミョーノフ連隊第7中隊壊滅、ドイツ軍の捕虜となる。
のち、脱走を図り、厳重なインゴルシュタット要塞に送られる。
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2月20日
・アメリカ大使、日本の対華要求中の第5号について日本に問合わせ。イギリス・アメリカ・フランス・ロシアに対華要求第5号を各内告(~27日)。
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2月21日
・袁世凱、新華儲蓄銀行を開設(4月21日との説も)。
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2月21日
・4元老、連署の日露同盟促進意見を大隈首相に送致。
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2月22日
・イギリス、日本の対華要求に関しイギリスの既得権・中国独立尊重の希望を表明。
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2月25日
・上海で国民対日同志会結成。
3月 上海・漢口・広東に日貨排斥運動おこる。
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2月25日
・ドイツ軍、毒ガス使用。
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2月25日
・ダーダネルス海峡突破作戦。艦砲射撃再開。トルコ軍砲台部隊、退却。
26日、陸戦隊がセデルバール砲台に上陸、占拠。
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2月28日
・日本と中国、日本の21ヵ条要求に関して第6回交渉会議開催。中国側、強硬。
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2月28日
・パリ、マルトフ主宰「ゴーロス(声)」発禁のあと、「ナーシェ・スローヴォ(われわれの声)」発刊。
トロツキー、メンシェヴィキとの訣別語る。
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