2018年10月12日金曜日

「エージャナイカ」と「七赤金星男」と「旋毛曲り」 : 坪内祐三『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り 漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代』(新潮文庫)より

しばらく前から夏目漱石の年譜作りにとりかかっている。
そのための参考本として、
坪内祐三『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り 漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代』(新潮文庫)
という本を使わせてもらっている。
慶応三年生まれの七人の小説家(ほぼ)の生きざまとその生きた時代について書かれているものだ。
この七人の名前を見ただけで何やらざわざわするものがある。

この本のとっかかりはこうだ。

明治文学研究の先駆者柳田泉が幸田露伴伝(『幸田露伴』)で、露伴と同年(慶応3年))生まれの文学者として、尾崎紅葉、石橋思案、夏目漱石、斎藤緑雨、正岡子規、芳賀矢一らの名前をあげている。

柳田泉はさらに、「そんなことを強調すると、水滸伝的空想と笑はれるかも知れないが」と言葉を続けたのち、

この政治的、社会的、日本のすべての方面にとって、あくまで重大な意義をもった年に、他年近代日本文学の大立物となった人々がまるで誘ひ合したやうに、ぞくぞくと生れて来てゐるのは、そこに一種の天意、天の配剤といつたやうなものが働いてゐるのではないかといぶ気がするのを禁じ得ない。

と語っている。

この一節を目にした時から私も、慶応三年生まれの人びとを特別に注目し、彼らに対して「水滸伝的空想」を抱くようになった。

ただ、柳田泉が指摘していない慶応三年生まれの人で、著者(坪内さん)が「一番好きかもしれない」人物に宮武外骨がいる。

で、書名にある七人を対象として絞り込んだという。
      
外骨はたびたび、自分の生まれ年のことを問題にしているけれど、自伝「宮武外骨自叙伝」(吉野孝雄編『新編予は危険人物なり』に収録)で、「予と同年生の人々を調べてみると、その一部を列挙すると左のごとくである」と語って、尾崎紅葉からはじまる五十三人の人の名前を列挙している。
漱石、露伴、子規、緑雨はもちろんであるが、他に有名なところでは、南方熊楠、画家の藤島武二、建築家の伊東忠太、実業家の池田成形、山下亀三郎、豊田佐吉、さらには軍人の鈴木貫太郎らがいる。外骨も言うように、「実に文学、実業、官吏、政治の各界にわたって多士済々、一代をリードした人々が少くない」。
これらの人びとすべてを主人公に『明治水滸伝』あるいは『近代日本水滸伝』を描いていったら、どんなに面白いことだろう。
しかしそれは私の手に余る。
そこで私は「七人の侍」よろしく、その中でも私にとって(そして、多くの人びとにとっても)馴染みの深い七人の男たちに絞って、これから、彼らの生きた時代を共に見て行くことにしたい。
彼らとは、
正岡子規
尾崎紅葉
斎藤緑雨
夏目漱石
南方熊楠
幸田露伴
官武外骨
の七人である。

では、外骨自身は慶応三年生まれの人たちをどう見ていたのか、というと・・・。

・・・・・彼は、五十歳を少し過ぎたころ、「アナタのご性格はイツ頃からソンナにご変化ですか」と、外宮の性格の突飛振りを問題にする近所の警察署長に対して、自分が生まれた年に起きた「ええじゃないか」と結び付けて、こう答えている。

コンナ騒ぎの年に生まれた者ですから、そのエージャナイカの気分がワタクシの性格に成ったのであろうと思います、癇癪と色気もエージャナイカ、過激と猥褻もエージャナイカ、監獄行きもエージャナイカと成り、近年は矛盾不徹底の廃姓外骨、民法違反もエージャナイカ、講演の脱線もエージャナイカというような性格を作ったのでありましょう。

(中略)

漱石が亡くなった時、外骨は雑誌『スコブル』を主宰していたが、まさに漱石が亡くなった直後の号(大正六年一月発行の第三号)には、・・・・・。
さらに本文頁には、「七赤金星男は旋毛曲りと胃病」というタイトル記事が載っていて、

明治文壇に於て『吾輩は猫である』 の小説を著して名を知られたる漱石夏目金之助氏は、去る九日病死したが、氏は慶応三年正月五日生れで、其享年五十である。

と書き始めたのち、漱石や外骨と同年生まれの「七赤金星男」たちの名前をあげ、こう言葉を続けている。

これらの人々が揃も揃って、いづれも旋毛曲りなのは、昔の性学者の言ふ如く生れ年に因るのであらう、尾崎紅葉の旋毛曲りは有名であり、正岡子規の旋毛曲りは新派俳句を興し、幸田露伴も旋毛曲りの偏物であり、斎藤緑雨に至ってはその奇警の文章、放埓の性格等いづれも旋毛曲りの甚だしい者であった・・・・・今度死んだ夏目漱石も旋毛曲りで、その博士号を辞したなどは最も著名な話である・・・・・次にまた奇とすべき一事がある、九星考の本に七赤の者は胃病を煩ふとあるがナルポドその通りである。

「エージャナイカ」と「七赤金星男は旋毛曲りと胃病」、なかなか面白いキーワードである。

で、この七人のうちで一番長生きしたのが、この外骨ということらしい。

今この七人を私は没年順に並べた。・・・・・
大日本帝国憲法が発布された年(明治二十二年)二十三歳だった彼らは皆、日清戦争(同二十七〜二十八年)は体験したけれど、子規(三十五年九月十九日没)、紅葉(三十六年十月三十日没)の二人は日露戦争(三十七〜三十八年)を知ることなく亡くなり、緑雨も対露宣戦布告(三十七年二月十日)と相前後して同年四月十三日に死んでいった。
三十代半ばの同い年でありながら、紅葉は明治を代表する文豪として惜しまれつつ世を去っていったのに対し、子規、緑雨、二人の死には、たしかに子規など全集にして二十巻を越す文業を残したものの、天折という言葉を使ってみたくなる。
漱石はロシア革命の前年、第一次世界大戦まっ盛りの大正五(一九一六)年十二月九日に亡くなった。その時激石は、まだ(!)五十歳、つまり満年齢で数えれば四十九歳だったのである。
熊楠、露伴、外骨の三人は還暦と共に昭和を迎え、七十過ぎても元気だった。しかしまず熊楠が、太平洋戦争の始まったその月(昭和十六年十二月)二十九日に七十五歳で亡くなり、露伴は日本の敗戦を見届けたのち、昭和二十二年七月三十日、満八十歳の誕生日の一週間後、娘文子、医師武見太郎、さらには柳田泉、小林勇、塩谷賛といった人びとに見守られながら市川の仮寓で静かに息を引き取った。
一番長生きをした外骨は、戦争が終わってもその反骨精神は衰えず、『アメリカ様』というパンフレットを発表したのち、昭和二十七年四月のサンフランシスコ講和条約発効までも、その生ある内に体験し、昭和三十年七月二十八日、まさに大往生と言っても良い死を迎えた。数え八十九歳、満八十八の米寿である。

この七人の中で大学予備門に進学したのは、紅葉、漱石、子規、熊楠の4人であるが、大学予備門~帝国大学というコースをまっとうしたのは漱石だけだった。

露伴は電信技師の養成学校を経て北海道余市で働くが、文学の志やみがたく(確か?)徒歩で東京に辿り着くという冒険を果たす人。
緑雨は、その露伴と鴎外とともに『めざまし草』で活躍、晩年の一葉をサポートし、没後の全集出版に尽力する。幸徳秋水ともつきあいのある人。
熊楠はアメリカでサーカス団に加わりながら、世界中の菌類を収集した人・・・。ナニ学者と言えばいいのか。雑誌『ネイチャー』掲載回数の記録保持者。

いずれも奇才ぶりには甲乙つけがたい人物ばかり。

著者の「水滸伝的空想」(問題意識)はこうである。

・・・・・同い年である彼らは、お互いに顔見知りでもあった。ある人物とある人物は同級生 - 漱石と子規と熊楠 - であり、さらには親しい友人 - 漱石と子規、緑雨と露伴、熊楠と外骨 - でもあった。
・・・・・しかし面白いのは、同じ時代を生きた人びとでありながら、そのポイントとなる部分が少しずつ(時には大いに)違う点だ。
例えば紅葉が明治三十六年十月に亡くなった時、彼はその時代を代表する押しも押されもしない大文豪だった。・・・・・

(中略)

紅葉という大文豪が死んだ時、・・・・・夏目漱石は、一部の生徒たちからは人気があったものの、神経衰弱に悩まされる、無名の、ロンドン帰りの、第一高等学校教授兼帝大講師に過ぎなかった。・・・・・。
しかし今や立場は逆転し、漱石は万人の認める文豪であり、紅葉は「明治の文豪」という時代限定商品に成り下ってしまった。だがこの場合の「明治の」とは、何を意味するのだろう。二人共、まったく同じ時代場所に生まれ育っていったはずなのに(漱石の生まれた牛込馬場下横町と紅葉の死んだ神楽坂横寺町は地下鉄東西線の駅名で言えば早稲田と神楽坂、つまりたった一駅の距離だ)。明治という時代に対して、二人は、それぞれ別の形で関わっていったのだろうか。
そのことを私は知りたい。

この本、とっても面白い。

なお、黙翁流漱石年譜の参考資料は、既読本を中心に下記を考えている。

《参考資料》
十川信介『夏目漱石』(岩波新書)
井上百合子編「(夏目漱石)年譜」(『夏目漱石全集別巻』筑摩書房)
松岡譲ら『漱石傳記篇』(創藝社『夏目漱石全集第十一巻』)
荒正人編『(夏目漱石)年譜』(創藝社『夏目漱石全集第十一巻』)
坪内祐三『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り 漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代』(新潮文庫)
中村文雄『漱石と子規、漱石と修 - 大逆事件をめぐって -』(和泉書院)
小森陽一『子規と漱石 友情が育んだ写実の近代』(集英社新書)
安住恭子『『草枕』の那美と辛亥革命』(白水社)
川西政明『新・日本文地史1』(岩波書店)
伊藤整『日本文壇史』(講談社文庫)
江口渙『わが文学半生記』 (青木文庫)
水川隆夫『夏目漱石と戦争』 (平凡社新書)
牧村健一郎『新聞記者 夏目漱石』 (平凡社新書)
関川夏央『子規、最後の八年』 (講談社文庫)
関川夏央『二葉亭四迷の明治四十一年』 (文春文庫)
長山靖生『「吾輩は猫である」の謎』(文春新書)
半藤一利編『夏目漱石 青春の旅』(文春文庫ビジュアル版)
江藤淳『漱石とその時代 第1~5部』 (新潮選書)



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