2022年3月21日月曜日

「(事業部長が・・・・・シュレッダーに・・・・・胸倉を・・・・・掴まえられた・・・・・)そのフレーズが頭の芯でなんども繰り返し聞こえ、その度に新たな発作に見舞われるのだった。」(四元康祐「シュレッダー」 〈笑うバグ〉より)     

 シュレッダー

昼下がりのオフィスに異様な悲鳴が響きわたった。わたしは書類から眼を上げ、声のした方を振り返った。小肥りの水野事業部長が、上体を折り曲げるようにして、シュレッダーの上に覆い被さっていた。事業部長のディオールのネクタイがシュレッダーの歯に挟まっているのが見えたのは、その次の瞬間である。その西ドイツ製の機械は、事業部長のネクタイを既に結び目の辺りまで呑み込み、なおも牙を震わせている。事業部長は襲いかかる牙から必死で顔をそむけているが、その表情にはもはや当惑や狼狽はなく恐怖だけが張りついている。突出した下腹をシュレッダーの角に食い込ました窮屈な姿勢のまま、両手をばたばたと動かしているのは、スイッチの場所を探しているのだろうか。おい、だれか・・・・スイッチ・・・・・スイッチ・・・・・。そう云ったのが事業部長だったのかそれとも小菅第二課長だったのかは、いまとなってはもう定かではない。一番近くにいた黒川くんがこわごわとした様子でシュレッダー(そしてそれに付着している水野事業部長)に近づき、スイッチを消した。シュレッダーのうなり声が止み、奇妙な静寂のなかで事業部長の荒い息づかいだけが聞こえた。パニックの空気が薄れ、人々はシュレッダーの周りに駆け寄っていったが、わたしは席を立つことが出来なかった。突如、烈しい笑いの発作に襲われたからである。いまや全身の力を抜き、シュレッダーの口に頬ずりしているかのような事業部長を見るうちに、わたしの身体はけいれんし、噛みしめた唇の奥で咽が震えた。か細い悲鳴のような声に続いて、笑いが爆発した。おなかを押さえ、床に膝まづいた姿勢のまま、わたしはオフィス中に響きわたるわたしの笑い声を聞いた。額を床に何度も叩きつけだが笑いは止まらなかった。再び空気が凍りつき、みんなの視線がわたしに注がれているのを感じた。わたしをたしなめる誰かの声が聞こえた。それでもわたしは笑いつづけた。眼から涙が溢れ、口からはよだれが垂れて、息が止まった。苦しさの余り顔を上げると、まだシュレッダーにへばりついたままの事業部長が、顔を真っ赤に染めてわたしをにらみつけているのが見えた。それがさらに笑いを刺激した。おなかをを押さえたまま床に横たわり、もはや笑い声すらたてることも出来ず、うめいた。(事業部長が・・・・・シュレッダーに・・・・・胸倉を・・・・・掴まえられた・・・・・)そのフレーズが頭の芯でなんども繰り返し聞こえ、その度に新たな発作に見舞われるのだった。

(四元康祐〈笑うバグ〉より 現代詩文庫179四元康祐) 

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