2013年2月16日土曜日
日本社会=体育会体質(爲末大)
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日本社会=体育会体質/爲末大学
大阪市立桜宮高バスケットボール部主将が体罰を受けた後に自殺した事件に始まり、女子柔道選手への暴力やパワーハラスメントも発覚し、日本のスポーツ界が揺れている。自ら取材、執筆を手がける責任編集の為末大(34)が「スポーツと教育」をテーマに、その問題点に切り込んだ。
以下、項目のみご紹介。
<1>人間に限界はない
<2>苦しくなければ成長はない
<3>管理されなければ人間は怠ける
<4>みんな同じ目的でなければいけない
<5>人には上下があり逆らってはならない
<6>思いさえあれば手段は問わない
◇ ◇
1つ、僕には疑問がある。これだけ世の中から問題あると言われる体育会体質なのに、どうして体育会出身者は企業からいまだに人気が高いのか。なぜ、スポーツは人気があるのか。
僕は体育会的体質は、実は日本社会的体質とも言えるのではないかと思っている。歯を食いしばり苦しみに耐え、指導者に必死でついていき、熱い思いで勝利を目指す。そういう姿を社会はスポーツ界に期待して、そしてスポーツ界もそれに応えていた。
いわゆる体育会的性質とは、礼儀正しく、限界を作らず、忍耐強く、空気を乱さず、上には逆らわず、熱意を持って動く。日本のスポーツ界は、こういった資質を持つ人間を育てる仕組みとしてはすごくうまく機能していて、ある意味で日本社会に最も適した人材育成の役割をスポーツが担っていたのではないか。
でも時代は変わりつつある。グローバル化により年齢や地位を恐れず、自分の考えを主張し、議論できるタイプの人間が必要とされるようになった。イノベーション(物事の新機軸)やクリエーティビティ(独創的なアイデア)が必要とされ、無理やり1つの型にはめ込もうとする教育に抵抗が強くなった。そして1人1人の権利が重要視されはじめた。そういう社会の流れにスポーツ界はついていけていない。
体罰は禁ずるべきだが、もっと深いところに問題の本質はある。これからは人間を型にはめて管理しやすくする教育観から、個人の権利と個性を尊重し、生かす教育観にスポーツ界も意識を転換すべきだ。むしろスポーツの世界から日本社会をリードするような理念を打ち出してほしい。指導者も選手も本当は日本をスポーツで豊かにしたいという同じ思いを持っているはずだ。どうか今回の事件を、世界に胸を張れる新しい日本スポーツ文化を生み出すきっかけにしてほしいと、強く願っている。(為末大)
◆為末大(ためすえ・だい)1978年(昭53)5月3日、広島市生まれ。広島皆実高―法大。男子400メートル障害で世界選手権で2度(01、05年)銅メダル。五輪は00年シドニー、04年アテネ、08年北京と3大会連続出場。自己ベストの47秒89は現在も日本最高記録。昨年6月の日本選手権を最後に現役引退し、現在は社会イベントを主宰する傍ら、講演活動、執筆業、テレビのコメンテーターなどマルチな才能を発揮。爲末大学の公式サイトは、http://tamesue.jp/
[2013年2月15日2時41分 紙面から]
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